ふるさとの価値を再発見! 『山梨の文化的テロワール』を解き明かした冊子が完成 

グローバリゼーションが進み、
日本、ひいては世界中の価値観やデザインが均質化していく――。
時代の静かなうねりに対して、山梨県は挑む。
自らの足元を深く掘り下げることで、地域独自の価値を再構築しようと。
その羅針盤となるのが、このたび完成した冊子だ。
『山梨とは何か 歴史・風土・人の営みが織りなす文化的テロワール』
記されているのは、単なる歴史や文化、名産品の記録ではない。
欠乏を豊かさに変えてきた先人たちの知恵であり、山梨の本質的な価値だ。
つまり、山梨の「基本OS(共通言語)」が示されている。

■この記事でわかること
✔ 地域づくりの基盤となる「文化的テロワール」
✔ 逆境を豊かさに変えた先人の知恵と4つの価値 
✔ 均質化が進む世界に対して出した山梨の答え

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「文化的テロワール」とは

 2026年4月、山梨デザインセンターのセンター長を務める永井一史氏と、山梨県立美術館の青柳正規館長から、長崎幸太郎知事へ一冊の冊子の完成が報告された。

長崎知事に冊子の完成を報告する山梨デザインセンターの永井一史センター長 (左)と山梨県立美術館の青柳正規館長(中央)

 タイトルは、『山梨とは何か 歴史・風土・人の営みが織りなす文化的テロワール』。

 山梨県の自然や風土、歴史、人々の暮らしや営みなど、多様な地域資源を「文化的テロワール」として捉え、体系的に可視化するというプロジェクトの結晶だ。青柳館長は「テロワール(terroir)」という言葉を採用した背景について、次のように語る。

「テロワールとは、もともとフランス語で『土地(terre)』に由来する言葉で、ワインの産地でよく使われてきた用語です。本来はその土地の気候や土壌、地形、日照といった自然環境が、農作物の生育に与える風土的な特性を指します。それが近年は、その土地で暮らす人々が培ってきた経験や知恵、精神性、歴史的背景までも含めた『文化的総体』として捉えられるようになりました。そこで、この考え方を私たちは『文化的テロワール』と定義した上で、山梨の地域性を捉え直してきました。この冊子は、その新しい視座を示したものになります」

「点」を「面」に。基盤なき施策は空回りする

 山梨デザインセンターでは、2024年の開所時から「文化的テロワール」の言語化を重点課題としてきた。永井センター長は、その根底にある課題意識を次のように明かす。

「山梨の魅力といえば、富士山やフルーツがよく挙げられます。ただ、その魅力がどのような歴史や文脈で育まれてきたか、というストーリーを深く理解している人は多くありません。名産や名物といった点を繋いで線にし、さらに面として捉え直すことで、山梨の本質的な魅力をあぶり出したいと考えました」

 完成した冊子を長崎知事に手渡した青柳館長は、冊子の意義を次のように強調した。

「全国各地で地域おこしが急務ですが、その土地の特性であるファウンデーション(基盤)を深く理解していなければ、新しいプロジェクトを立ち上げても、木に竹を接ぐような不自然なものになります。今回、山梨の文化的テロワールが可視化されたことで、各施策が本当にその土地に適しているかを比較したり、判断したりするための基準ができました」

 長崎知事も「基盤がなければ、いかなる施策も空回りしてしまう」と述べ、「県政を牽引する私自身にとっても、施策の軌道修正を図るための重要な指針になる」と応じた。

 完成した冊子は、県職員が行政施策を推進する際の拠り所になるだけではない。県民や事業者が、新しいチャレンジをする際の「共通言語」や「羅針盤」として機能することも期待されている。

逆境を豊かさに変えてきた先人たち

 永井センター長は、山梨の本質をこう語る。

「歴史を紐解くと、四方を山に囲まれ、海がなく、水はけが良すぎて米が育たず、水害が多いという『制約だらけの環境』でした。しかし先人たちは、制約を嘆くのではなく、知恵と技術で独自の豊かさへと変換してきました。この『欠乏から独自の豊かさを生むプロセス』こそが、山梨の本当の価値なのです」

記者会見で「山梨の本質」を語る永井センター長

 その言葉の通り、冊子では山梨の価値を、読者がイメージしやすいように4つのストーリーとして整理している。

 1つ目は、恵みをもたらす大地をテーマにした「豊穣」だ。かつて、山梨の扇状地は水はけが良すぎて稲作には向かないという弱みを抱えていた。しかし先人たちは、それを逆手にとって、養蚕そして果樹栽培へと大転換を遂げた。また、冬の厳しい乾燥を生かして「枯露柿ころがき」を作るなど、自然の制約を見事に保存食の知恵へと変換してきた。そうした自然の恵みと人の営みが織りなす、力強くも豊かな暮らしについてひも解いている。

 2つ目は、清らかな水の恵みに焦点を当てた「清澄」だ。今でこそ名水の地として名高い山梨だが、実は暴れ川との闘いの歴史でもあった。武田信玄が築いた「信玄堤しんげんづつみ」などの優れた治水技術が甲府盆地に安定をもたらし、やがてその豊かな水資源は、和紙や日本酒、ウイスキーといった名産品から水力発電にいたるまで、県の産業と暮らしを根底から支える生命線となっている。

 3つ目は、県民性をひも解く「開拓」だ。四方を山に囲まれてはいるが、実は古くから多様な人が行き交う交流の拠点であり、「山の向こうの広い世界を見たい」という県民の強い好奇心が、近代日本の交通インフラを築き上げた「甲州財閥」の活躍や、フランスでワイン醸造を学んだ青年たちの情熱を生んだ。このフロンティア精神は脈々と受け継がれ、現在の「グリーン水素の社会実装」といった世界をリードする挑戦へと繋がっている。

 4つ目は、県民の結びつきを紡ぐ「共創」だ。山梨では過酷な自然環境の中で生き残るため、「無尽むじん」に代表されるような、個人の自立と集団の助け合いを両立させる独自のコミュニティが発達した。また、世代を超えて絆を深める祭りや伝統文化が数多く残っている。こうした文化は、これからの社会においても県民の大きな礎となるはずだ。

 永井センター長は次のように力を込める。

「広域な山梨県の価値を、市町村という身近な単位にブレイクダウンしていくことで、県民一人ひとりが地域の価値を再認識し、自信やシビックプライドの醸成に繋がっていくのではと考えています」

※無尽:仲間内で定期的にお金を積み立て、飲み会などの交流を楽しむ現代に根付く独自のコミュニティ文化。高齢者が外出するきっかけとしても機能している

「どこも同じ風景」になる世界へ、山梨からの答え

 冊子は、県職員や地元のクリエイター、外部の専門家など延べ100名近い人々が集まり、対話を重ねて作り上げられた。そこで見えてきたのは、山梨に暮らす人々の、驚くほど共通した「山梨観」だった。永井センター長は、ワークショップで浮かび上がった魅力と面白さをこう語る。

「議論を通じて、皆さんの山梨に対する認識にほとんどブレがないことが分かりました。特に印象的だったのが二面性です。『控えめなのに、実は野性的でしたたか』という、相反する魅力が共有されました。そして、多くの共感を集めたのが『何をやるにもちょうどいい山梨』という言葉です。かつては、中途半端というネガティブな捉え方をされることもありました。でも今では、都心への近さや豊かな自然、災害の少なさといった、すべてにおいて過不足のない『ベストバランスな地』として、大きな価値になっていることが見えてきました。リニアが開通すれば、この価値はさらに高まるでしょう」

 連綿と紡がれてきた歴史や文化の蓄積と、ワークショップで集まったさまざまな意見。それらを一冊にまとめ上げるにあたり、最も悩ましかったのは「何を残し、何を削るか」だったと永井センター長は打ち明ける。

「結果的に、各地域が持つ細かいディテールは思い切って削ぎ落とし、点と点を繋いで描き出す山梨の大きなストーリーを優先しました」

 その決断の裏には、これからの時代に対する強い信念がある。

「例えばスマートフォンや名作の椅子のように、優れたデザインは世界中で愛される普遍性を持っています。しかし、それを追求しすぎると世界中の価値観や文化が均質化し、どこに行っても同じような風景になってしまうというジレンマがあります。これからの時代に本当に必要なのは、その土地のローカルな歴史や固有の価値に根ざした新しいデザインです。県民の皆さんに『山梨って素晴らしいところだ』と自信を持ってもらうためにも、基盤となるような山梨の本質的な価値の全体像を描き出す必要があったのです」

完成した冊子

自分たち固有の価値を見出し、未来へと繋ぐ

 完成した冊子は、これからの山梨の行政やビジネスを動かしていくための「基本OS」として、社会に実装していくための拠り所となる。本冊子は4月10日にオンラインで公開されたほか、今後は子どもたちに山梨の魅力を伝える絵本版の制作や、学校への寄贈も進められていくと永井センター長は話す。

*冊子を閲覧したい人はこちら

「今回提示したのはあくまで全体像です。ここから各市町村へと展開し、地域ごとの固有の物語が紡がれ、それが再び県全体に還流することで、山梨の『文化的テロワール』はさらに厚みを増していくはずです。グローバル化によって価値観やデザインの均質化や画一化が進む社会だからこそ、自分たち固有の価値を見出し、未来へと繋ぐ。そんな地方創生の先進的なモデルケースとなるよう、県民や企業の皆さんと一緒に新しい山梨をデザインしていきたいと考えています」

 自分たちの足元をもう一度見つめ直し、自信を持って前へ進んでいく。そのための基盤が、これから広く共有されていくことになる。

文・黒川なお、写真・今村拓馬

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