「僕は以前からこれしかないと…」「えっ?」アルピニスト野口健氏と知事がガチ対談 富士山登山鉄道構想

山梨県は11月から、富士山登山鉄道構想について地元への説明会を始めた。
賛否両論が渦巻くなか、やまなしin depth編集部は、
世界の山を知り尽くす野口健さんと長崎幸太郎・山梨県知事の対談を企画した。
「県が企画するこの手の対談って、台本があってその通りに進んでいるんでしょ?」
と思ったアナタ、残念ながら今回は早合点。
どんな展開となるのかまったく予測がつかない「ガチ対談」。
1時間を超えた議論の行方は――。

◼️この記事でわかること
✔ 富士山を世界遺産として維持するために必要な対策
✔ 富士山の問題は世界的な関心事
✔ 富士山登山鉄道構想の概要
✔ 野口さんは登山鉄道構想に賛成か反対か
✔ 登山鉄道ができるとわかる富士山の未体験ゾーン
✔ 登山鉄道で新たな価値が生まれる富士五湖周辺地域のイメージ

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対談は12月13日午後1時半から山梨県庁知事室で行われた

富士山は100点満点の山ではない

 対談前、山梨県富士山登山鉄道推進グループの和泉正剛・推進監は「きょうはどんな話になるんでしょうかね。不安です」と話した。両者は笑顔で挨拶しあったものの、笑顔が消え、真剣な表情で対談は始まった。

知事:野口さんの著書『世界遺産にされて富士山は泣いている』(2014年6月出版)を読んだのですが、大変ショックを受けました……。

野口:多くの日本人は“富士山は100点満点の山だから世界遺産に登録された”と思っている。でも、本当は条件がついた上での登録で、出された宿題をクリアしなければ取り消しになるんだということを本に書いて伝えたかったんです。

知事:まったくおっしゃるとおりです。

野口:そのことを行政もメディアもちゃんと伝えて来なかったと思います。

知事:まったく耳の痛いお話で……。

<2013年、富士山が世界遺産に登録された際、イコモス(ユネスコ世界遺産委員会の諮問機関 )は今後解決すべき課題として“3つの宿題”を出した。その3つとは、

  • 来訪者数の増加によるオーバーツーリズムの解消
  • 観光大型バスなどの排気ガスによる環境問題の改善
  • 信仰の場である富士山の景観をふさわしいものにする、だった

野口:世界的に有名なヨーロッパの登山家が、「いろんな国の山を登ったけど、富士山がいちばん汚かった」と話していました。登山家の間では、富士山は“汚い山”の代名詞になってしまっています。

いまや富士山はグローバルイシュー

知事:2023年夏、富士山登山の問題がCNNやロイター通信といった世界的なメディアをはじめ、100を超える海外メディアで報じられました。富士山をいかに世界レベルまで引き上げるかということはグローバルイシュー(世界的な課題)になったのだと感じました。

野口:それは、まったくそのとおりです。

知事:いや、お恥ずかしい話、世界遺産に登録されてから10年たったいまも同じ議論をしています。特にオーバーツーリズムの問題は深刻で、来訪者数をコントロールせよと言われているにもかかわらず、現実は真逆の方向に進んでいる。それが原因で環境負荷も起こりますし、人工的景観にいたっては何ら手をつけられていません。

コロナ禍直前の2019年、富士山五合目の来訪者数は、世界遺産登録時の2倍を超えた

野口:本を書くにあたって、山梨県職員と意見交換したんですが、このまま何もルールを設けなければいずれ世界遺産登録を抹消されてしまうんじゃないかと危機感を持っている人はいました。でも、世界遺産になったお祝いムードのなかでネガティブな発言をしてはいけない空気がある、と言っていました。入山規制なんていうと観光業に携わる人たちからは猛反発を受けてしまうし……。

知事:いまの富士山の状態はベストですか? と聞くと、みなさんが「違いますよね」となるのですが……。

タブーに踏み込んだ知事発言

野口:僕が非常に驚いたのは、長崎知事が「このままでは富士山は危機遺産リストに入ってしまう可能性がある」と発言したことです。僕はそのニュースをヒマラヤに登っているときにスマホで見てびっくりしました。

知事:えっ、どうしてですか。

野口:だって、富士山の世界遺産登録が抹消されるかもしれないという話はタブー中のタブーじゃないですか。地元の人だけでなく日本人にとってもショックが大きいから。僕の知る限り、山梨県の知事でそういう話をされたのは長崎さんが初めてですよ。いままでの知事ではありえない発言!(笑)

のぐち・けん=1973年米ボストン生まれ。16歳のときキリマンジャロ登頂。1999年、25歳のときにエベレスト登頂に成功し、世界最年少記録を樹立。2000年から富士山清掃活動を始めた

知事:世界文化遺産になるということは、「必ず3つの宿題を解消します」という国際的なオブリゲーション(義務)を伴うものです。それなのに、何もやらないというのは“公約違反”ですから、なんとかしなければいけませんよね。

野口:僕はすべての山に入山料や入山規制が必要だとは思いません。ですが、富士山は特殊な山なので、国際基準で守っていく必要があるんじゃないでしょうか。

知事:はい、入山料の徴収と入山規制は本格的にやろうと思っています。特に弾丸登山など危険な登山者がいるので、入山規制は喫緊の課題です。

野口:ぜひお願いします。

いよいよ登山鉄道構想の話に…

知事:入山規制など“すぐに取り組まないといけない対策”を検討するのに加えて、いま私たちは「富士山登山鉄道構想」を提案しています。3つの宿題を解決し、さらに富士山と周辺地域の価値を上げるという、少し長期的な視点に立ったアイデアです。

野口:もちろん知っています。僕は以前、山梨県とは別の組織で、登山鉄道を検討するグループのメンバーだったことがありますから。

富士山登山鉄道構想の概要。富士スバルラインの道路上に軌道をつくり、路面電車が走る(山梨県提供)

知事:富士山登山鉄道は、麓から5合目までの富士スバルラインの上に軌道をつくって路面電車(LRT)を走らせる構想です。路面電車なら既存の道路を活用できますし、電気の供給はワイヤレス給電なので電柱も立てなくて済む。

野口:僕は以前から、富士山を守るためには鉄道以外に方法はないと思っていました。

知事:えっ、野口さんも登山鉄道に賛成なんですか?

知事室の空気が少し緩み始めた。

野口:はい。道路に車両を通したままでは、入山料を取っても来訪者を制限できないじゃないですか。でも登山鉄道なら列車の本数によって来訪者数をコントロールできる。

知事:そうなんです。スバルラインを車が通らなくなれば五合目にある広大な駐車場も必要ないので、コンクリートを埋め戻して、あるべき植生を回復させます。これで、景観問題も解決できます。

路面電車の軌道の下にケーブルを敷くなどしてインフラを整備する(山梨県提供)

野口:五合目は電気と水がないので、トイレやゴミの問題など衛生的にもひどい状態です。これは改善されますか?

知事:登山鉄道構想を具現化するときに、軌道をつくるのと一緒に、電気や水などのインフラも整備するつもりです。

 対談を見守っていた県職員が、登山鉄道構想を説明する資料を2人の間に置くと、野口さんは勢いよくページをめくり始めた。

五合目を空撮したイメージ。コンクリート部分に植物を戻す(山梨県提供)

野口:なるほど。きれいな施設ですね。(五合目を空撮したイメージ画像を見ながら)あー、ここは半地下になっているのか。これは富士山で噴火が起きたときにシェルターにもなりますね。

知事:そのとおり! 災害時は避難場所になります。現在、山梨県側の富士山のシェルターは下山道七合目に1ヶ所しかありません。地震や噴火がおきた場合に備えて、落石や噴石を防ぐ安全対策もできるんです。

植生を戻したゾーンの半地下部分に土産店などが並ぶ(山梨県提供)

多くの人が意外と知らない富士山の“未体験ゾーン”

野口:他にもまだ登山鉄道のメリットがありますよ。

知事:なんでしょうか。

野口:登山鉄道が通ったら冬にも富士山五合目に行けるようになりますよね。

知事:はい。

野口:いやあ、冬の富士はいいですよ。冬は空気が乾燥していて景色がくっきり見えるので、銀世界の富士山は美しい。

知事:それは知りませんでした!

野口:ぜひ体験してみてください。スイスは登山鉄道で標高3500mくらいまで上がれるんですが、氷河の寒さを体験できるだけで観光客は喜びます。

知事:そうなんですね。

登山鉄道が通ると、冬の富士山も楽しめる(山梨県提供)

野口:五合目で食事を楽しんだり、宿泊したり、冬の富士山は魅力的な観光地になるはずです。

知事:はい、夏だけでなく年間を通して観光ができるなら、地元の人たちにとって経済的な利益も出てくると考えています。

抜本的な解決策がいまこそ必要

野口:ただ、心配なのは登山鉄道の工事に何年かかかることです。その間、山小屋や五合目店舗に対する休業補償はどうしますか。

知事:それはもちろん、しっかりやります。

野口:ですよね。ということは、やはり登山鉄道しかありませんね!

知事:私は、富士山の世界的な価値を守るためには、スバルライン上に登山鉄道を走らせるか、そうでなければ、いずれの日にか今度はスバルラインそのものを廃止して車を通さないことを求められるようになってしまうのではないかと思っています。

野口:確かに。富士山は現状維持ではなく、現状からの改善を世界から求められている。抜本的解決策を出して変えていかなければいけない状況ですからね。

知事:登山鉄道構想への反対論も、もちろんあってしかるべきだと思っています。そうした方にも富士山についての課題を解決するためのアイデアをどんどん伝えてもらいたい、ということは地元説明会でも話しています。

登山鉄道を起点に一帯を文化ゾーンに

野口:知事は富士山の周辺一帯を文化ゾーンにしたいというお考えだと聞きました。

知事:はい。まずは、古くから富士山を信仰してきた「富士講」で登った富士吉田登山道を再興したいと考えています。御師の文化をもう一度復活させたい。登山鉄道で得た収益はそうしたことにも使うということです。それに合わせて、富士五湖の周辺一帯をダボス会議のような国際会議を開ける“世界の交流拠点”にできたらいいなと思っています。

野口:そうなると富士山が文化遺産になった意味が出てきますね。

知事:いま、産業界や教育界、社会起業家の皆さんに集まってもらって「富士五湖自然首都圏フォーラム」という場をつくりました。リゾート地と首都圏機能を融合させた「前例のない先進的な地域づくり」のためのアイデアを議論いただいています。

野口:富士山登山鉄道構想とぴったりのアイデアですね。

※富士五湖自然首都圏フォーラムについてはこちら

知事:フォーラムができてちょうど1年経ちました。カリフォルニアのアート団体と交流をして、若い人たちとアートを共通言語にしたワークショップをやったり、世界平和を議論するリーダー研修をしたりするなど、ダボス会議のユース版みたいなところから始まって、いろんな価値が生み出されるような場所にしたいという話をしています。

野口:それは素晴らしい。

知事:ありがとうございます。

野口:そのフォーラムも、やはり富士山が守られていることが前提になりますよね。富士山登山鉄道構想という大プロジェクトになると、すべての人が賛成とはいかないものですから、どこかで誰かが覚悟を持って実行に移さないといけない。

知事:はい、そろそろ、議論のアクセルを踏み込む時期になりつつあるのだと思います。

野口:僕で力になれることはいつでも協力しますよ。

知事:ありがとうございます。この対談をきっかけに、野口さんからも富士山について発信していただければ心強いです。

構成・北島あや、写真・今村拓馬

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