
未来を切り拓く信玄公へ 第52回信玄公祭りは何かが違う!
2023年10月、第50回信玄公祭り。
初の女性信玄公を務める、モデルで俳優の冨永愛さんが舞鶴城公園のステージで背筋を伸ばす。
そして、集まった大勢の人たちを前に声を張り上げた。
「憎むべきは戦(いくさ)じゃ」
このセリフを書いたのは、脚本家の三谷昌登さん。
なぜこのセリフにしたのか。常に進化を続ける信玄公祭りの舞台裏を取材した。
冒頭の写真:湖衣姫に選ばれた河西歩果さん(中央)、準湖衣姫は井上愛華さん(左)、越石美麗さん(右)の2人(県観光振興グループ提供)
■この記事でわかること
✔ 初の女性信玄公役・冨永愛さんが発したセリフに込められた想い
✔ 信玄公祭りのテーマは「平和を求める心」を甲府から発信すること
✔ 世代を超えて楽しめるお祭りへ――子どもが楽しめるイベントが急増中
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目次
セリフに込めた「信玄公の葛藤」
三谷さんはNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』『西郷どん』や連続テレビ小説『あんぱん』『スカーレット』など多くの映像作品の脚本制作に携わり、俳優としても多数の作品に出演している。
『西郷どん』の脚本づくりに協力したころ、「黒船来航から西南戦争へと発展する中で、内乱なんてしている場合ではない、日本が一つにならなくては……という西郷隆盛の葛藤を織り込みたい」と思った。
だから、第50回信玄公祭りの脚本と演出を依頼されたとき、「武田信玄が生きたのは戦国時代だけど、こんな時代だから仕方ないで終わらせてはいけない。戦争の愚かさを誰より痛感していたのは信玄公ではないか」と考えた。

話を舞鶴城公園のステージに戻す。
信玄公(冨永さん)が山本勘助(白須慶子さん)に言った。「わしは誰にも死んでほしくはない。それゆえ、もう戦(いくさ)はしとうないのじゃ」。山本勘助が「なぜか」と詰め寄る。すると、信玄公は言った。
「憎むべきは戦じゃ」
冨永さんがステージを後にしたとき、舞台袖にいた三谷さんのもとに長崎幸太郎知事が駆け寄り、無言で強く手を握ってきた。
「ものすごく力強い握手で、まさにこれが伝えたかったことだ、という意思が伝わってきました」(三谷さん)
オール山梨を実現するために
山梨県と三谷さんのかかわりが始まったのは2020年。信玄公の生誕500年を記念したYouTubeドラマ「信茂と勝頼」(配信は2023年3月15日終了)の脚本を担当したのがきっかけだった。
これまで、武田家の裏切り者と言われてきた小山田信茂を主人公にしたドラマは、郡内と国中の垣根をなくし、オール山梨を実現したいという思いが込められていた。
記念ドラマの打ち合わせやイベント会場で会うたび、長崎知事から「県全体がひとつにまとまることが大切だ」と声を掛けられた。その後、第50回信玄公祭りの脚本と演出を県から依頼された。
久々に面会した長崎知事は世界中が分断されている状況に憤っていた。当時、ロシアによるウクライナ侵攻から1年が過ぎ、紛争が激化しているころだった。2人で話しているうちに、新たな信玄公祭りのテーマが見えた。「平和を求める心を甲府から発信しよう」。
そもそも甲州軍団出陣は武田信玄が上杉謙信と対決するため、川中島の戦いに向かう出陣の場面を再現したものだ。「相手の領地を奪うためではなく、信玄公自身が戦(いくさ)について本当はどう思っていたのか」。そう想像を膨らませて脚本を書き進めた。
その結果、あの名セリフが生まれた。

想像の3倍以上の熱量
第50回と第51回では、甲州軍団出陣の大義を「領民を守るための戦い」という表現にして、侵略ではなく防衛という側面を強調してきた。
今年の第52回では、さらに一歩踏み込む。その脚本と演出を託されたのも、三谷さんだ。
2026年1月15日、三谷さんと長崎知事が会った。長崎知事が「直接会って思いを伝えたい」と言って、話し合いの場がセッティングされた。「知事は『戦争そのものをなくす意識で』と話したんです。僕が思っていた3倍ぐらいの熱量で、身が引き締まる思いがしました」(三谷さん)。
未来に向けた信玄公と甲州軍団出陣がどのようなものになるか、ぜひ自分の目で確かめてほしい。
時代に合わせて進化する信玄公祭り
そもそも、信玄公祭りはどのように始まったのか。
1947年から舞鶴城公園内で地域住民による「桜祭り」が行われていたが、信玄公を押し出した観光誘致が盛んになり、名称も「甲府信玄祭り」に変更。
その後、1969年にNHK大河ドラマ「天と地と」で川中島の合戦が描かれ、武田信玄の人気が高まると、1970年に現在の「信玄公祭り」に変わった。
1995年には信玄公役に初の芸能人(渡哲也さん)を起用。山本勘助の人生を描いたNHK大河ドラマ「風林火山」が決まった2006年には、武者行列のメインキャストに勘助役を加えた。
信玄公祭りは時代の流れとともに形を変え、盛り上げてきた歴史がある。その中でもひときわ大きなターニングポイントが、第50回に誕生した初の女性信玄公だった。
伝統を受け継ぎつつ、“今の時代に信玄公をどう受け止めるか”という問いが、祭り全体に通底している。だから、信玄公祭りは時代に合わせて進化を続けられる。

信玄公祭りを山梨県全体の祭りへ
テーマの転換と並行して、もう一つの大きな課題に取り組んでいる。それは、信玄公祭りを山梨県全体の祭りへと広げることだ。
昨年の来場者数は17万4千人。一見、盛況に見える数字だが、郡内地域や峡南地域など離れた地域からの参加は限定的だった。
県観光振興グループ主査の中澤綾子さんは「全県一体の祭りとしてアピールしたい」と話す。そのために今年、県庁前庭でいわば万博のような雰囲気を創出する。
県内市町村がそれぞれのブースを出し、地域の特産品や観光情報を紹介する。さらに姉妹友好地域の食や文化を紹介したり、伝統芸能を披露したりするなど、地域の魅力を知る機会にする。
「まるで各国の文化が交わる万博のような、各地域への興味を深める催しを目指しています」(中澤さん)

湖衣姫がインフルエンサーに
信玄公祭りに華を添える「湖衣姫」の存在も大きく変わる。
湖衣姫は性別や容姿も問わない。18歳以上であれば、男性でも既婚者でも応募できる。大切なのはどれだけ“やまなし愛”に溢れているかどうかだ。
湖衣姫、準湖衣姫の3人には自らのSNSアカウントを使って山梨の魅力を「インフルエンサー」として発信する。年間を通じて各市町村のイベントや地域行事に「山梨県の観光の顔」として足を運び、自分が感じた「面白い!」や「楽しい!」をリアルに発信することで、山梨のいいところを全国にアピールしてもらう。
信玄公だけでなく、湖衣姫のあり方も多様になっている。
子どもが物語の主人公になる体験型イベント急増中!
一方、別の角度から信玄公祭りの未来を考えている人たちもいる。
信玄公祭り実行委員会事務局(公益社団法人やまなし観光推進機構)の清水正則さんは「大人が楽しめる武者行列に加えて、子どもたちには『なんだか面白そう』と理屈抜きで楽しめる入口が必要です。遊びを通じてお祭りを楽しみ、大人になったときに子どもを連れてお祭りの場所に帰ってきてくれる。世代を超えて愛着がつながっていくお祭りに育てていきたい」と話す。
そんな想いから、第50回以降は、子どもたちが物語の主人公になれる体験型イベントが生まれている。
▽風魔忍者ショー&風魔忍者体験
第50回の節目に、子どもたちが楽しめるイベントとしてチャンバラ合戦を企画。大好評だったため、第51回は手裏剣撃ちや忍者剣術ができる「風魔忍者体験」と、風魔忍者が殺陣とアクションで活躍する「風魔忍者ショー」を開催した。
▽重ね捺し(かさねおし)スタンプラリー
第51回から開催。広大な会場を巡ってポイントごとにスタンプを捺すと1枚の浮世絵風イラストが浮かび上がる。「第51回は次の50年に向けた新たな一歩。新たな出発という初心と未来への想いを込めて、スタンプの絵柄は、第1回信玄公祭りのポスターのデザインにしました」(清水さん)
▽歴史カードゲーム「Hi!story(ハイストリー)」
川中島の合戦を題材にしたカードバトルは子どもに加えて親世代も巻き込んで盛り上がった。今年はさらに規模を拡大し、県内8ヵ所で合言葉「風林火山」と伝えると限定カードが手に入り、4月4日の体験会や4月5日の公式大会でそのまま使える(カード配布は2026年4月12日まで。なくなり次第終了)。カードゲームをきっかけに周辺地域の振興にもつながる仕組みになっている。
清水さんは「武田信玄公という山梨の財産をフックに、どうすれば若い世代に響くのか。機構内の若手スタッフのアイデアを柔軟に取り入れながら、常に試行錯誤の連続です」と話す。

「人は城、人は石垣」
信玄公の名言に「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」がある。
清水さんは県内外の企業を回り、信玄公祭りへの協賛を呼びかける中で、信玄公が残した“人を最も大切にする”という信念を強く感じると言う。
クラフトビール「SHINGEN RED(シンゲンレッド)」もその1つだ。地元企業と県内のクラフトビール醸造場がコラボし、信玄公をイメージしたビールが完成した。
「企画段階から何度も意見交換を重ね、風味や色の検討、ラベルデザインに至るまで、全員で一丸となって取り組んできました。地域のためにと快く協力してくださる皆様のお力添えによって完成にこぎつけました。信玄公が説いたように、やはり『人とのつながり』が何より大切だと実感しています」(清水さん)
信玄公祭りをきっかけに人が集まり、企業が手を結ぶ。清水さんは、この好循環を「これからも焦らず、大切に育てていきたい」と願っている。
挑戦し続けるから、祭りは続く
テーマの再構築、参加層の拡大、県内外・世代・国籍を超えたつながり。信玄公祭りは完成形ではなく、常に進化の途中にある。
過去に積み重ねてきた歴史をリスペクトしながら、未来を切り拓く。その挑戦はこれからも続いていく。
文・北島あや


