
八ヶ岳を超えろ!「馬のまち」小淵沢の挑戦
豊かな自然と夏でも涼しい気候で、
馬の生育地としても歴史が深い「小淵沢エリア」。
なのに、知名度はイマイチ。リゾート地の「八ヶ岳」は有名なのに……。
これは負けていられない!
小淵沢を盛り上げるべく、“馬”を中心としたプロジェクトが始動した。
■この記事でわかること
✔ 戦国時代に活躍した武田信玄の騎馬隊など、小淵沢は馬と共に歩んできた歴史がある
✔ 山梨県馬術競技場では、パリ・オリンピックでメダルを獲得した「初老ジャパン」の4選手も練習を積んだ
✔ 小淵沢の認知度を高めるため、ビジョンの策定や民間協議会の立ち上げも進む
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目次
夏も涼しい、馬のまち小淵沢
この夏、In depth取材班は北杜市小淵沢にある「山梨県馬術競技場」を訪れた。甲府市内は最高気温35度の猛暑日だったが、小淵沢の気温は20度~23度。八ヶ岳南麓の標高1000mに位置し、東京ドームの5倍にあたる22ヘクタールの敷地内には豊かな自然が広がる。
夏でも涼しい風が吹く馬場では、6頭の馬が駆けていた。翌日の「全日本ジュニア総合馬術大会」に向けて、学生たちが練習に励んでいた。
自然と地形に恵まれた小淵沢は、馬がストレスなく育つ環境だ。
山梨県馬事振興センター専務理事の渡邉聡尚さんは「古くは奈良時代から良質な馬を生産して都(みやこ)に献上していました。戦国時代に活躍した武田信玄の騎馬隊など、馬と共に歩んできた歴史があります」と話す。
乗馬文化が根付く小淵沢には、いくつもの乗馬クラブがある。かつて信玄公が長野方面に攻めていくときに軍馬が駆け抜けた「棒道」は人気の乗馬コースだ。
「小淵沢の良さをアピールするために、“馬のまち”というイメージをしっかりと推して地域のブランド化につなげたいと考えています。そのためにも、馬術競技場の素晴らしさを周知していきたい」(渡邉さん)

「初老ジャパン」もここから飛び立った
山梨県馬術競技場は、馬の美しい動きを競う「馬場馬術競技」、障害物を飛び越える「障害飛越競技」、自然を生かしたコースを走る「クロスカントリー」の3種目すべてに対応できる、国内有数の競技場だ。
昨年度は馬の負担を軽減するため、東京オリンピックと同じオランダ産のフェルト入りの白砂を使用した馬場を整備した。


小淵沢が“馬術競技の聖地”になるように、最高の競技環境を整えたいという一心で取り組んできた。
日本オリンピック委員会の認定する「競技別強化センター」に何度も指定された。2024年のパリ・オリンピックでメダルを獲得し、「初老ジャパン」の愛称で話題になった4人の選手たちも、ここで合宿や大会出場などの経験を積んで世界に羽ばたいた。
パリ・オリンピックのコースデザイナーを魅了
そんな小淵沢の環境に惹かれたひとりのフランス人がいる。
パリ・オリンピックで、ヴェルサイユ宮殿前の馬術競技コースをデザインしたピエール・ルグピル(Pierre Legoupil)さんだ。
ピエールさんは今年5月に山梨県馬術競技場を訪れた。渡邉さんが「日本国内でこれだけ自然を生かしたコースをつくっている競技場は珍しい」と言うように、山や森を駆け抜ける往復4㎞の「クロスカントリーコース」を見て一目で魅了された。
それから1ヵ月間、小淵沢に滞在してコースをデザインした。自らチェーンソーで切った丸太を組み合わせた障害物や、小淵沢の笹を集めた障害物を作るなど、現地ならではの工夫を凝らした。
さらに、馬が池を越えると、目の前にカラフルな馬の親子が現れるという茶目っ気ある障害物も設置。オリジナリティに富んだ楽しいコースをつくり上げた。

渡邉さんは「馬術競技は敷居が高いと思われがちですが、間近で見てもらうと迫力があって本当に面白いんです」と力を込める。
「馬術競技場は入場無料で、誰でも気軽に入れる場所です。桜の時期は並木道がきれいなので、犬の散歩に立ち寄ってくれてもいい。一般の方々が、もっと馬と触れ合える機会をつくりたいと思っています」(渡邉さん)
校外学習で子どもたちに馬術競技大会の見学会や、キッズホースフェスティバルを開催するなど、“馬”で地域を盛り上げる取り組みを続けている。
「八ヶ岳」より知名度が……
八ヶ岳南麓の雄大な自然のなかでのんびりと過ごしたり、山梨の地元食材を使った料理やワインを味わったり――。ゴルフ場や美術館もあり、高品質な体験ができる。しかも、交通の便が良く、高速道路のインターチェンジから5分で静かな森の中に入ることができる。
上質なリゾート地として小淵沢エリアの魅力は十分ある。にもかかわらず、県がブランド化にさらに力を入れているのはなぜなのか。
観光客のニーズをアンケート調査すると、小淵沢を「まったく知らない」が38%、「知らない」が13%、「あまり知らない」が20%で、小淵沢について約7割の人の認知度が低いことがわかったのだ。
やまなし観光推進機構の理事長を務める仲田道弘さんは「このアンケート結果には愕然としました。我々が思っていたほど小淵沢の認知度は高くなかったんです」と話す。
初めは「小淵沢」と名前をつけていたリゾート施設が、いつのまにか「八ヶ岳」に変更されていることもあった。観光業界では「八ヶ岳」の方がマーケティング戦略に強いという現実を突きつけられた。
合言葉は“八ヶ岳を超えろ!”だ。
「もっと小淵沢をアピールしなければならないと火が付きました」(仲田さん)

本当に「馬のまち」なのか?
地域の住民たちと観光事業者が同じ方向を向いて動きだした。
2024年2月から検討委員会やワークショップを開いて、「小淵沢ブランド」を前面に打ち出すためのコンセプトを話し合った。仲田さんは「始めは、馬を推していこうという考えはなかったんです」と振り返る。
確かに小淵沢は馬と関係が深い。しかし、いま暮らしている人々みんなが馬に親しんでいるわけではない。馬との歴史を知る人も減ってきている。
「他にもっと良いコンセプトがあるのではないか」
「本当に馬なのか?」
話し合いは難航し、開催した検討委員会やワークショップは10回に及んだ。そして「やはり、小淵沢の魅力を象徴する存在は“馬”だ」と考えが一致した。話し合いを重ねたことで、地元への愛着や誇りが生まれた結果だった。
一方で、地域住民のなかには、乗馬中に馬が道路で糞を落としていくなど、マイナスのイメージを持っている人もいる。
「馬に関する『小淵沢のルール』を作り、徹底することで、地元のみなさんの理解を得ていかなくてはいけません」(仲田さん)
観光客が減ってしまう冬場はスケートリンクやスキー場とあわせて、馬と触れ合うことで心のケアをする「ホースセラピー」の体験を企画するなど、シーズンに関わらず集客する仕組みをつくる。
北杜市を中心に観光業界や民間企業が横につながることで、“持続的な組織作り”ができるようになったことも大きな成果だ。町全体でイベントのPRに取り組むなど、コンパクトな小淵沢エリアだからこそできる強みがある。
10年後は認知度が3倍に
県内各地の高付加価値化を進める中で、小淵沢の取り組みはモデルケースとして先行されている。
2025年3月、「小淵沢エリア振興ビジョン」が策定された。小淵沢の認知度を2034年度までに11%から30%に引き上げる目標だ。
この高い数値目標を達成するために、県政策調整グループの齊藤裕雅さんは「まちづくりは行政だけ頑張っても限界があるし、民間の事業者だけでも限界がある。地元の事業者さんの背中を押せるような支援をして、お互いに連携して進めていきたい」と話す。
電柱を地中に埋めるなどして景観を整える。馬術競技場の整備。観光情報の発信を強化……などなど、県が検討する事業イメージは多岐にわたる。
「認知度30%を達成できれば多くの観光客に来てもらえる。認知度とあわせて、訪れた人の満足度を高めることも重要なので、質をいかに高めていけるかという視点も必要だと考えています」(齊藤さん)

みんなでつくる、まちの未来
7月には民間の有志で集まる協議会「馬のまち小淵沢活性化協会」が発足した。
どうすれば「馬のまち小淵沢」がより良いものになるのか――。住民にとっても、観光客にとっても過ごしやすい環境にするため、地元の観光業界を中心としてみんなが積極的にまちづくりに関わっていく。
議論の中で「ここは市や県の協力がほしい」という課題が出れば、行政が吸い上げて政策に反映する。
続く8月18日には、北杜市が事務局となる「小淵沢エリア振興ビジョン推進会議」の設立総会も開催された。今後は県と北杜市、地元団体関係者、事業者が協力して取り組む。
観光地としてまだ掘り起こしきれていない小淵沢の魅力を、どう磨き上げていくのか。「馬のまち小淵沢」のビジョンには地域の人々の大きな期待が込められている。
文・北島あや、写真・今村拓馬


