「シンボルマークだけでは意味がない」山梨デザインセンターCDOの真意

11月20日、県立美術館附属「山梨デザインセンター」がオープンする。
昨年6月に策定された美術館ビジョンでは、従来の「展示する美術館」から「新たな価値を創出する美術館」への進化を掲げている。
デザインセンターに期待される役割は、まさに新たな価値を創造する拠点として機能することだ。

これは単なるデザイン拠点の整備ではない。
県政運営の基本方針「県民一人ひとりが豊かさを実感できるやまなし」として「デザイン先進県」を目指す山梨県の、行政改革の重要な一環なのだ。
センターのチーフデザインオフィサー(CDO)に就任した多摩美術大学教授の永井一史さんに真意を聞いた。

■この記事でわかること
✔「山梨デザインセンター」に期待される役割は、県立美術館が新たな価値を創造する拠点として機能すること
✔ デザイン思考とは状況や文脈に応じて最適な選択肢を見出すことだ
✔ デザインセンターの取り組みは、県庁職員向けの研修からすでにスタート
✔ デザインセンターという拠点ができたことで、デザインの持つ可能性を行政、産業、教育など、あらゆる分野に広く展開していく

■おすすめ記事
・めざせ、郷土を支えるアーキテクト!県内初の一級建築士認定校が誕生
・全国知事会議 史上初の公式ウェアができるまで/漱石も愛した“おしゃれ”技術に迫る
・(美術館+刑務所)× サワラ材 =「森のパレット」知恵と技が生んだ「返礼品」に込められた思いとは…
・職人たちをヒーローにしたい!山梨のハタオリ文化を広める“ドクター・イガラシ”
・アイスクリームが降ってくる! 「未来の物流」が山村の空で始まった

ラーメンか定食か。その前に考えることがある

−−デザインというとプロダクトデザイナーやグラフィックデザイナーなど、職業としてクリエイティブ職に就いている人をイメージしがちです。

「デザイン的な思考」は、もっと普遍的なものです。デザインを特別な職能を持った人だけのものではなく、誰もが日常的に活用できる思考法として捉え直したい。ひとつ、具体例を挙げましょう。「昼食に何を食べるか」という身近な場面での意思決定のプロセスを想像してみてください。

 普通なら「ラーメンか定食か」という選択肢から考えるところを、デザイン思考ではまず「誰と食事をするのか」「どんな目的があるのか」を考えます。プロジェクトの振り返りが目的なら静かな場所、親睦が目的ならにぎやかな場所が適しているかもしれません。場合によっては、コンビニ弁当を会議室で食べた方が適していることもあるでしょう。このように、状況や文脈に応じて最適な選択肢を見出すのがデザイン思考です。

デザイン思考で埋める理想と現実のギャップ

−−なぜ、いま「デザイン思考」なのでしょうか。

 背景には、行政サービスのあり方を根本から見直す機運があります。従来の行政運営では、担当者の視点や前例踏襲型の政策立案が中心となり、必ずしも県民の真のニーズを捉えきれていないおそれがありました。

−−例えば、山梨県が進める政策に当てはめるとどんなケースがありますか。

 重要施策の「共生社会の実現」を進めていく過程でこんなことがありました。当初、県は多摩美術大学の学生と協働でシンボルマークを作成し、コミュニティづくりを推進しようと計画していました。しかし私は「シンボルマークだけを作っても意味がないですよ」と率直に申し上げました。つまり、誰のために、何をするのかを徹底的に考え、ありたい姿と現状とのギャップを埋めていくプロセスが必要です。共生社会がテーマなら、外国人の雇用に難しさを感じている経営者のように、実在する人が抱えている課題を見つめてアプローチするとより実効性のある施策の立案につながります。

※「やまなし共生社会推進プレイヤーズ」の詳細はこちら

 県がデザインセンターを開設し、政策立案の場面にも「デザイン思考」を活用しようとする取り組みの基盤には、山梨県が2022年12月に締結した多摩美術大学との包括連携協定がある。同大学の青柳正規理事長が県立美術館館長を務めていることで実現した協定により、山梨県はデザインやアートに関する専門的知見を持つ人材の協力を得ることが可能になった。

「人」を起点に考える

−−具体的な「人」が抱える課題から出発し、普遍的な解決策を見出すアプローチが「デザイン思考」の原則なのですね。

 もちろん「こういう社会にしたい」という山梨県の最終的な大きなビジョンはとても大事です。ただ、先にも挙げた共生社会がテーマなら、山梨県が考える共生社会というのはこういう社会なんだ、と解像度を上げて具体的に考えていくことが大切です。シンボルマークや絵やイラストといったものは、表現の方法に過ぎません。デザインには、抽象化した概念を具体的なものに転換する力があります。県の政策立案の段階にデザイン思考を取り入れることで、実現の道筋をより明確にしていってほしい。

−−すでにデザインセンターの取り組みは県庁職員向けの研修からスタートしていますね。

 デザイン思考を取り入れた政策立案によって、山梨県の自然や気候、暮らし、産業を含めた地域の魅力の深堀りが期待されます。その結果、すでに高い評価を得ているワインや果物、ジュエリーなどの価値をさらに高めることにもつながるはずです。

県庁から学校まで 主役はあなた

 デザインセンターは県庁舎内に開設されるが、想定する利用者は県庁職員にとどまらない。例えば、県の産業技術センターのデザイン技術部では、中小企業のデザイン相談に応じている。今後、デザインセンターが企業や個人から相談を受けた際は、案件の内容に応じて産業技術センターと連携していく予定だ。

–県民の皆さんにはデザインセンターをどんな風に活用してもらいたいと考えていますか。

 デザインセンターは県内事業者や学生のデザインリテラシーを育成し、社会課題の解決やイノベーションの創出を支援する役割も担います。人材育成の観点から特に重視しているのは、中学生や高校生向けの講座です。従来の美術教育のように絵の上手さを競うのではなく、新しい発想や問題解決能力を育んでほしい。

デザイナーになるためじゃない。新しい学びのかたち

−−教育現場にもデザイン思考が広がるのですね。

 デザイン思考はデザイナーになるための教育ではありません。どんな仕事に就いても、課題を見つけ、解決策を考え、より良いものを生み出していく。そんな創造的な思考力を育てることが目的です。結果として、山梨の未来を創造できる人材が育っていくはずです。将来的には、教育委員会や各学校と連携し、探究型の授業にデザイン思考を取り入れることも視野に入れています。

–デザインセンターはデザイナーやクリエイターのネットワークを構築し、企業や個人からの相談を適切な支援機関につなぐハブとしての機能も期待されていますね。

 今回デザインセンターという拠点ができたことで、デザインの持つ可能性を行政、産業、教育など、あらゆる分野に広く展開していくことができるはずです。

 デザイン思考を通じて、県民一人ひとりが課題解決の主役となる。それこそが山梨県の目指す「デザイン先進県」の本質だ。行政の枠を超え、県民とともに新しい価値を創造していく。山梨県の革新的な取り組みが、いま動き出そうとしている。

※9月20日、永井一史CDOと、菅 俊一・多摩美術大学統合デザイン学科准教授によるセミナー「デザインによる思考とは?」が開催されました。講演内容は以下の県のYouTubeチャンネルで公開中です。

聞き手・筒井永英、写真・今村拓馬

・めざせ、郷土を支えるアーキテクト!県内初の一級建築士認定校が誕生
・全国知事会議 史上初の公式ウェアができるまで/漱石も愛した“おしゃれ”技術に迫る
・(美術館+刑務所)× サワラ材 =「森のパレット」知恵と技が生んだ「返礼品」に込められた思いとは…
・職人たちをヒーローにしたい!山梨のハタオリ文化を広める“ドクター・イガラシ”
・アイスクリームが降ってくる! 「未来の物流」が山村の空で始まった

関連記事一覧