
若手料理人とつくる「美食の地、山梨」――グルマン・エコノミーへの挑戦
フルーツやワインの産地として知られる山梨県が、
次に見据えるのは「グルマン・エコノミー(美食経済)」の確立だ。
目標は、観光の〝ついで〟ではなく、
旅の目的そのものが「山梨県でグルメを楽しむこと」になる地域づくり。
その実現に向け、若手料理人を地域に呼び込み、
定着を支援する新たな取り組みが始まった。
■この記事でわかること
✔「食そのものが旅の目的」となる新たな枠組みが「グルマン・エコノミー(美食経済)」だ
✔ 県は2026年1月に「おためし地域おこし協力隊」を実施し、若手料理人らに県産食材などを体験してもらった
✔ 県産食材を使うことは、気候変動に左右されずにコンスタントに料理を提供することにつながる
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富士北麓キュイジーヌという新たな枠組み
車に揺られながら砂利敷きの林道を進んでいくと、レストラン「nôtori」が現れた。
「ごめんなさい、今日はゆっくりお話ができないかもしれません」
到着した一行に、オーナーソムリエの堀内茂一郎さんがていねいに断りを入れる。茂一郎さんの弟であり、オーナーシェフの堀内浩平さんは、厨房で仕込みにかかりきりになっていた。浩平さんはキッチンの中だけでなく、屋外にも出て焼き窯でメイン料理となるホロホロ鳥にじっくり火を入れるなど大忙しだ。
「普段は、7名様といった大人数の予約をお取りすることはないんです。けれども、今日は特別な日ですから」
そう言いながら、茂一郎さんは片時も手を休めることなくテーブルセッティングを進める。
「今日、みなさんにお召し上がりいただくコース料理は、フランス料理でなければ山梨料理でもない。もっといえば、富士山の東側でも西側でもない、富士北麓地域にフォーカスした料理。つまり、『富士北麓キュイジーヌ』です」

「食」が旅の目的になる県へ
かねてより、山梨県はフルーツやワインなどのブランド化を促進してきた。その結果、現在では「フルーツ狩り」や「ワイナリー巡り」といった観光資源が多くの人を魅了している。
しかし、今、山梨県がめざしているのは、その先にある「グルマン・エコノミー(美食経済)」の確立だ。具体的には、これまでのように観光のついでに食事を楽しんでもらうのではなく、「あの料理を食べるために山梨へ行く」といった「食そのものが旅の目的」となる新たな枠組みをつくることだ。
多くの人にわざわざ足を運んでもらうためには、評判になるようなレストランの存在が欠かせない。幸いにも、近年では富士山麓や八ヶ岳エリアなどで、都市部から移住した若手シェフたちが独立・開業を果たし、県外や海外から多くの美食家たちを惹きつける成功事例が生まれている。
この追い風に乗るべく、県は若手料理人の支援を決定した。そして、2025年に具体的な取り組みとしてスタートしたのが「地域おこし協力隊」だ。
地域おこし協力隊とは、都市部から地方へ移住し、1〜3年の任期中、地場産品のPRや地域活性化活動、農林水産業に従事するという総務省が推進する制度だ。山梨県はこの制度を利用し、若い料理人を地域おこし協力隊として任命することで、県内への定着をめざしていく。
2025年、山梨県の地域おこし協力隊には、東京、長野、大阪とさまざまな地域で活躍している料理人や飲食関係者7名が興味を示した。
そこで県は、2026年1月20日から22日にかけて「おためし地域おこし協力隊」を実施。3日間かけて、山梨県での活動を希望する7人の料理人や飲食関係者に、県産食材の産地や県内有数のレストランを巡ってもらった。県産食材について知ってもらうだけでなく、応募者の中から、今後地域おこし協力隊として活動してもらう料理人を〝本採用〟するのがねらいだ。
行程初日となる20日、最初に訪れたのは、富士吉田市の「ホテル鐘山苑」で開催された「やまなし美酒・美食マッチング商談会」だ。当日は県産食材を携えた生産者17業者と、おためし地域おこし協力隊、そのほかの飲食関係者が集い、商談を行った。

そして商談会を終えた一行が向かったのが、富士北麓キュイジーヌを提供するレストラン「nôtori」だ。
この地で、自分にしかできない料理を提供したい
「本日、最初にお出しするのはクルミを使ったお料理です」
7名のおためし地域おこし協力隊の前に、木の器に盛り付けられた料理が並べられた。シェフの浩平さんらが採取してきた鬼胡桃(オニグルミ)をつかったメニューだ。クルミが練り込まれた生地に、ローストしたクルミやクルミのペーストをのせ、最後に削ったクルミをふんわりと盛り付けてある。7名は依然としてこわばった表情のまま、目の前に出された皿を見つめる。
「今、nôtoriが建っているこの土地は、もともとはクルミ林だったんです。建物を建てるにあたって、切った分の木は植え直しています。ただ、伐採した木はもとには戻らないので、この料理の器などに再利用しています」
オーナーシェフの浩平さんが料理について説明する。浩平さんは、日本最大級の料理人コンペティション「RED U-35 2021」 にてグランプリを受賞した経歴の持ち主だ。過去には、フランスの星つきレストランで腕を磨いたこともある。
「最後に、ちょっとだけ仕上げをしますね」
そう言うと、浩平さんは料理にとろりとした液体をかけ始めた。
「店の先のクルミの木からとった樹液でつくったシロップです。例年、2月から3月にかけての3週間くらいしかとれません。それをぎゅっと煮詰めています」
──甘いんですか?
おためし地域おこし協力隊の一人から、そんな質問が口をついて出た。
「もとの樹液の糖度はかなり低いです。そのため煮詰めるのに時間を要し、かなり手間がかかります。」
次に出されたのが、グジェール(=チーズを加えたシュー生地)の中に海老の出汁のクリームをつめ、その上に馬肉と海老の身と海老みそのタルタルをのせた料理「手長海老 馬」だ。
「山梨県には海がありません。けれども、このオニテナガエビは、温泉水を利用して陸上で養殖されています。上にのせてあるスライスしたトリュフは、僕がこの辺りでとってきました」
──ほぉ……。
おためし地域おこし協力隊の何人かが、ため息のような声を漏らした。各々がスマートフォンを使ってあらゆる角度から料理を撮影する。
コースはどんどん進んでいく。次に、甘く、美しい赤色が特徴の「もものすけカブ」とアマゴに、特製のソース(アマゴの魚卵を溶かし込んだソースに、魚卵に見立てた柚子果汁のボールを加えたソース)をあしらった料理「アマゴ 蕪」。

続いて、発酵させた白菜のジュースで蒸し煮にした冬野菜とハーブとナッツのデュカ、フェンネルの根ピュレ、クロモジの泡などを合わせた料理「冬野菜」が提供された。そのたびに、茂一郎さんが最適な山梨県産酒をペアリングする。「アマゴ 蕪」では、ペアリングに県産の初しぼりの日本酒が出された。

「実は、nôtoriさんがオープンされて間もないころ、食べにきたことがあるんです。そのときもおいしいなと思ったけど、それ以上にレベルがどんどん上がっていらっしゃる。本当に勉強になります」
おためし地域おこし協力隊の一人は、こう打ち明けてくれた。
皿が重ねられるごとに、場の雰囲気は和んでいった。シグニチャーディッシュ(看板メニュー)の「芽吹き」が出されたときには、感嘆の声がレストランを包んだ。

「芽吹き」は、浩平さんにとっても思い入れのある料理だ。竹炭を練り込んだ「クッションのような」軽い食感の生地に、炭火で焼き上げたシカ、アナグマのモモ肉、イノシシの煮込みと、クマとイノシシのミンチが閉じ込められている。
くしゃりと音を立てながらナイフを入れると、8種類のハーブと身延町曙地域などで明治時代から栽培されている「あけぼの大豆」のフムスが顔を出す。山梨の大地から料理が「芽吹く」ようなイメージでつくられているという。
「すべての食材を地元産にすることで、材料の高騰や気候変動などの影響を受けにくくし、『いつでも提供できるように』という思いを込めています」と浩平さんは語る。
目でも、食感でも楽しめるこの一品は、おためし地域おこし協力隊の会話を弾ませた。
「山梨県の食材がこれほどまでに豊かだとは思わなかった」
「もし、地域おこし協力隊に選ばれなくても、食材を通じて今後も山梨県とのつながりを持ち続けたい」
「今日の商談会で教えてもらったあの食材を使ってみても、おもしろいのではないか」……。
なかには、「nôtoriさんのようなレストランを展開したい」と決意を新たにした料理人もいた。
その間も、ソムリエの茂一郎さんはレストラン全体を見渡しながら、ドリンクを注いだり、質問を受け付けたりする。茂一郎さんはニュージーランドで約10年間、現地のレストランでソムリエとして働き、サービスやワインにおける数々の賞を受賞した。大学を卒業後、一度は会社勤めをしていたという経験もあり、似た境遇にある参加者は熱心にその話に耳を傾けていた。
全員が会話や看板メニューの「芽吹き」に夢中になっているころ、その日のメイン料理となるホロホロ鳥が焼きあがった。
山梨で決意を新たに
翌日からの行程では、県水産技術センターで富士の介やアユなどの淡水魚の養殖について学んだり、富士吉田市で水かけ菜や水ネギの栽培に触れたりするなどした。
今後、本採用した「地域おこし協力隊」の具体的な活動内容については、山梨県で詳細を決定していく予定だ。
「芽吹き」の皿が空になるころ、最初は緊張していた7人の表情はすっかり変わっていた。料理人としての好奇心と、この土地で挑戦してみたいという意志が端々ににじんでいた。
「あの料理を食べるために山梨へ行く」――その未来は、静かに動き出している。
文・土橋水菜子、写真・篠塚ようこ


