冨永愛さんが「真っ赤な信玄公」に 「初の女性起用」決定までの舞台裏

信玄公はお気に入りのものを赤色で統一していたという説がある。いわゆる「勝負カラー」だ。

武者行列の先頭に現れた「信玄公」は、真っ赤な陣羽織に、真っ赤な髪留めで長い髪を結っていた。そして真っ赤なルージュ。2023年の信玄公は、勝負カラーを配した衣装に身を包んだ、女性だった。

*この記事は、2023年6月13日に一時公開したものをリライトしたものです。

驚きの配役

2023年10月28日午後4時半。信玄公の「皆のもの、いざ出陣じゃ!」の掛け声とともに、武者1300人が行進を始めた。

約5ヶ月前の6月6日。
「今年の武田信玄役は、ひょっとしたらあの人では?」とあれこれ妄想していた人は、「第50回信玄公祭り」の配役を見て、驚いたに違いない。

そう、今回の信玄公祭りで信玄公役を務めるのは、古代ローマ人から信玄公役までマルチに担ってきた、あの俳優さんでもなく、有名男優でもなかった。

抜擢されたのは、モデルで俳優の冨永愛さんだった。これまで、俳優の松平健さんや大物芸能人が信玄公役を務めてきたが、女性は初めてだ。

ある職員の発言をきっかけに

 信玄公祭りは、戦国の名将・武田信玄公の遺徳をしのぶ祭りで、祭りのハイライト「甲州軍団出陣」では、信玄公役を中心に武田24将の軍団が編成され、武者約1200人が参加して街を練り歩く。これは、かつて武田信玄と上杉謙信が激突した「川中島の戦い」に出陣する様子を再現したものだ。第49回は、お笑いコンビのジャルジャルの後藤淳平さんが信玄公役を担い、話題となった。

 山梨県観光資源課課長の丸山孝さんは話す。

「今年は記念すべき第50回目です。大きな仕掛けがほしい。さらに、これから先の50年につながる新たなスタートとなる祭りと山梨県が進むべき方向性、あらゆる人に開かれた『開の国づくり』の理念にも一致する人がよかった」

 観光資源課とやまなし観光推進機構の数人が集まるブレスト会議は、第49回の祭りが終わった直後から始まり、断続的に開かれた。過去にNHK大河ドラマで信玄公役を演じた俳優、山梨県にゆかりのある芸能人や文化人……。候補者はかなりの数にのぼった。

 そんなさなか、一人のメンバーがこうつぶやいた。

「信玄公役を女性が務めてもいいんじゃないですかねー」

 メンバーたちは一瞬、あっけにとられたが、反対の声は出なかった。逆に、すぐに「それ、いいね!」と声が上がった。

 その背景には、山梨県が「共生社会の推進」を政策の3本柱の1つに掲げていることが関係する。昨年秋に開かれた第49回信玄公祭りでは、外国人やLGBTQの人たちが参加するパレードを実施し、男女はもちろん、性的マイノリティーや外国人らと共に生きる県の姿勢を打ち出した。

 女性の候補者としてすぐに名前が挙がったのが、冨永愛さんだった。丸山さんらが正式オファー前に配役について相談した際、長崎幸太郎知事は「いいですね、それで行きましょう!」と目を輝かせた。

「冨永さんは、トップモデルとして世界の舞台で成功してからも、俳優、パーソナリティーなどさまざまな分野に挑戦し、活躍されています。可能性をどんどん広げられているご様子が、山梨県がこれからめざしたい姿にぴったり重なったんです。女性初の信玄公役も快諾くださり、改めて『チャレンジをされる方なんだな』と感じました」(丸山さん)

第49回信玄公祭りの様子

運命の糸をつないだ1頭の馬

 1枚の写真を手に、やまなし観光推進機構の事務局長、中村洋一さんは話す。

「この写真を見たときから『きっとご縁がある』と感じていました」

 そこには、袴姿で馬にまたがる、冨永さんの姿が写っていた。「男女逆転大奥」で注目を集めたNHKのドラマ「大奥」で、冨永さんが徳川吉宗役を演じたときのものだった。

※写真はこちら

「この冨永さんがまたがっている馬は、山梨の乗馬クラブが育てたバンカー君です。信玄公祭りの際に歴代信玄公が乗った馬で、去年はジャルジャルの後藤さんが乗っていました。顔の中心の白い筋模様が特徴です」(中村さん)

 毎年のように信玄公祭りに出陣していた馬に、冨永さんがすでに出あっていたことに運命を感じた。

ブログで「甲州印伝」の紹介も

「冨永さんには、過去に山梨県のキャンペーンにかかわっていただいたことがあるのですが、そのキャンペーンが終わった後も、テレビやラジオに出演するたびに『山梨県のワインはおいしい』など、山梨県をPRしてくださっていて、山梨のことを思ってもらえていると感じていました」(中村さん)  

 他にも、冨永さんはブログで「一生大切にしたいもの」として、鹿革を原材料とする山梨県の伝統工芸品「甲州印伝」を紹介している。

※ブログはこちら

「だから、オファーをお出ししたときは、『冨永さんなら引き受けてくださる』という期待のほうが、『ダメかもしれない』という気持ちより、大きかったです。ですが、結果を聞くまではどきどきしましたね」(中村さん)

 そのため、冨永さんの事務所から「OK」が出たときは、思わずガッツポーズをしたという。

 結果が出たのは夜遅くだったが、中村さんはいても立っていられず「ニュース速報」というタイトルで、信玄公祭りの関係スタッフに吉報をLINEで送った。スタッフからは続々と「マジすか!?」「やったー」「鳥肌もの!」など、喜びの声が返信された。

100年後に向けた、新たなスタート

「第50回信玄公祭りの信玄公役は、モデル・俳優の冨永愛さんに決定しました!!」

 2023年6月6日、信玄公祭り公式Twitterがつぶやいた。

 丸山さんと中村さんは「女性初の信玄公」がどう受け止められるか心配していた。

 しかし、それは杞憂だった。

 配役を伝えるツイートは瞬く間に拡散され、たくさんの反応がつき、県公式Twitterでは異例の反響を呼んだ。

「カッケー!最高!」
「絶対に武者行列を見に行く」
「上様の次は…『御館様ーッ!!』」

 冨永さんも「今年の信玄公、やらせていただきます!山梨には親しみがありますし、とても光栄です!」と呼応し、ますます盛り上がりを見せた。

 この発表を見た南アルプス市議会議員の藤田あゆみさんは、すぐにFacebookでニュースをシェアした。藤田さんは、2人の子どもを育てながら、39歳で初当選を果たした女性議員だ。

「いろんな意味でめちゃくちゃ嬉しい!」

 藤田さんの投稿には、瞬く間に「これまでの信玄公祭りで一番楽しみ」「わぉわぉわぉ!」「センスがある方がいますね」といったコメントが寄せられた。その多くは女性だった。

「ふだん、ニュースを共有しても、多くのリアクションが返ってくることはありません。それだけ、注目度が高かったんだと思います。『今年の信玄公役は、冨永愛さんに』という決断を、知事をはじめ、県庁の職員全員が下したという事実がうれしくて。女性活躍に向けて、山梨県はこれからもっとチャレンジしていける、そんな期待感が高まりました」(藤田さん)

 記者会見でキャスト発表した長崎知事も「変化を恐れずあらゆる可能性に挑戦する冨永さんの姿勢が、本県がめざす『開の国』の理念と合致している」と胸を張った。

周囲からの「どうする?」プレッシャー

 中村さんは決定に至るまでを、こう振り返る。

「2023年1月にスタートしたNHKの大河ドラマ『どうする家康』になぞらえて、周囲からは『どうする?信玄公』なんて、からかわれることもありましたね。何をするにも『どうする?配役は』『どうする?演出は』と、常に『どうする?』が頭の中で渦巻いていました。ものすごいプレッシャーでした。ようやく信玄公役を発表できて少しホッとしましたが、今回の祭りは節目でもあるので、これからどうするのか、いつも以上にプレッシャーを感じていました」

 かつて「信玄公付き(信玄公役の俳優の世話をする担当)」を担い、人一倍信玄公祭りに思い入れが強い丸山さんは次のように話す。

「信玄公祭りは、今後50年、100年とずっと続いてほしいお祭りです。そのためには、新たな魅力を生み出したり、展開したりしていかなければなりません」(丸山さん)

 信玄公祭りが終わったあと、冨永さんはこう話した。
「すばらしい祭りに信玄公役として出られたことは、本当に喜びです。感謝し、名誉なことだと思っています」

※第49回信玄公祭りの舞台裏はこちら

第50回信玄公祭りの公式サイト

文:土橋水菜子、写真:信玄公祭り実行委員会提供

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