富士山の“無謀登山”ストップへ!山梨県が試みた「あの手」「この手」

無謀な登山者を食い止め、
富士山での“人災”をゼロにしたい。
そう考えた山梨県が2023年夏、決断をした。
そして、2024年には、
この“人災ゼロ作戦”が
本格的に実行されるかもしれない。

保全協力金を払うのは6割ぐらい

 2023年7月1日。富士山の開山日。

 日の出前の早朝、突風が吹き荒れていた。時折強くなると、立っているのがやっとだ。今年異動してきた山梨県世界遺産富士山課(富士山課)の中込瑞樹さんは登山道の入り口で、保全協力金の寄付を募るため登山者に声をかけていた。協力金は1人1000円で、環境保全や安全対策のために使われている。

 協力金の徴収が本格的に始まったのは、富士山が世界遺産に登録された2013年の翌2014年からで、例年、支払う人は登山者全体の6割程度だった。

「いつもは看板を立てて協力をお願いするのですが、きょうは風が強いので……」(中込さん)

いろいろな人が見守る富士山の安全対策

 世界遺産登録された2013年から、山梨県は五合目総合管理センターを設置して吉田登山口での安全対策の前面に立つようになり、富士山の開山中(7月1日〜9月10日)は朝8時から夜8時まで、県職員が五合目にいる態勢をとっている。

 県だけではない。安全な登山ができるよう五合目にはいろいろな立場の人が集まって協力しながら登山者のトラブルに対応している。

さまざまな立場の人がそれぞれのブレーカーを着て、富士山登山の安全を守っている

 山梨県世界遺産富士山課の雨宮康課長補佐はこう話す。

「富士山でSOSがあった場合、山梨県側では、山小屋の方など山中関係者が連携して救助をする態勢を敷いています。ただ、基本的には登山者が自力で登山・下山してもらうのが原則です」

台風で山中に取り残された登山者はどうする?

 登山者の救助は緊急かつ的確な判断を求められる。

 1年前の2022年8月12日――。台風が山梨に接近していた。雨宮さんはその日、五合目に詰める当番の日だった。午後3時すぎ、富士スバルラインを管轄する山梨県道路公社から電話があった。

「雨が強くなりそうなので、あすは朝9時からスバルラインを通行止めにする方向で検討しています」

 五合目から山頂までの間に、数百人いると推定された。雨宮さんは山小屋に一斉メールを出した。

 富士スバルラインは夜中に休まず登山する“弾丸登山”を防ぐため、午前3時から午後6時までしか通行できない。さらに、7月14日から9月10日までは環境負荷を減らすためにマイカーの通行ができないので、観光バスで来た人や歩いて下山する人以外は、シャトルバスに乗らないと、麓の街には戻れない。

※弾丸登山者=宿泊を伴わずに夜中登山をして山頂を目指す登山者のこと。睡眠することなく登ることで危険性が増すことから、山梨県は弾丸登山をしないよう呼びかけている。

 午後11時過ぎ、県道路公社から再度、現地連絡本部へ電話が入った。

「予想以上の大雨なので、午前3時から通行止めにする予定です」

 ということは、あす8月13日、スバルラインは一日中通行止めだ。

 連絡を受けた雨宮さんら県庁職員と県道路公社などの関係者で相談し、翌朝、下山者を街へ下ろすために観光バス6台を臨時にチャーターした。バスは6台とも補助席も使わないといけないほど満席となり、通行止めとなったスバルラインを県道路公社の車両が先導する形で300人余りの登山者を街へ運んだ。

 雨宮さんは「富士山は気軽に登れるという印象があるようですが、日本一高い山なので覚悟が必要です。真夏でも山頂は零度ぐらいです。十分に寒さ対策などをして登ってください」と話す。

開山日の7月1日には神事も執り行われた

救護所は開山中フル稼働態勢にしたが…

 コロナ禍が一段落した2023年夏、富士山登山者はコロナ禍前の水準に戻った。一方で、五合目より上にある山小屋はコロナ禍中に、休憩スペースにパーテーションを置くなどして、収容人数を減らしていた。山小屋の収容人数は「コロナ禍前は3000人程度だったが、いまは2000人前後と聞いている」(笠井課長)という状態だ。

 県は旅行会社を通じてPRしたり、登山口でチラシを配ったりして、”無謀な登山”をやめるよう呼びかけているが、弾丸登山者は後を絶たない。

バスで五合目に着いた登山者に山岳ガイドが説明。標高に慣れることで、高山病を防ぐ大事な時間でもある

 弾丸登山者がいれば、登山中に高山病や低体温症で具合が悪くなる人も出てくる危険が高まる。県は五合目と七合目に救護所をつくり、対策を施している。とくに七合目の救護所はこれまで、ピーク時だけ医師や看護師が待機する態勢だったが、今年から、開山中はずっと待機する態勢に増強した。

 しかし、それでも対策は万全ではない。

 地元市町村や観光協会などでつくる富士五湖観光連盟からは6月12日、「山頂付近に大勢人が集まると、将棋倒しが起きる可能性がある。登山者の規制ができないか」という要望を受けていた。

「なんとか、登山者の総数を規制できないか」。そう考えた富士山課の笠井利昭課長は検討を始めた。

開山日の7月1日、五合目の駐車場は満杯になっていた

県警がひねり出したアイデア

 最初は、道路法による通行止めを検討した。

 富士登山口からの登山道は県道。道路の管理者は県だが、「公道は通行の自由が原則になっている。土砂崩れや水害などで道路の通行ができず、安全性が確保できないという事情がないかぎり、通行止めは難しかった」(笠井課長)

山梨県世界遺産富士山課の職員たち。左から、中込瑞樹さん、窪川修さん、笠井利昭さん、雨宮康さん、山下英明さん、秋山晃佑さん

 善後策の検討が続く中、県警が出してきたアイデアが「警察法第2条」による規制だった。

※警察法第2条=第1項で、「警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする」と明記され、警察が雑踏警備をする際の法的な根拠となっている。

 街の雑踏警備と同じように、登山者の安全確保のために必要な措置をとれるという解釈だった。

 山梨県警の小柳津明本部長は、8月24日の定例記者会見で、「渋谷の交差点と富士山は、場所が違っても構図としては一緒だ。警察の責務として雑踏警備を実施できる」と述べた。いま県警は、五合目と六合目に警察官を1〜3人常駐させ、最大8人の態勢で、登山道の安全を見守っている。

 県は、県警の判断に必要な情報を随時共有することや、多くの登山者が集まり危険が高まった際には県職員も現地に行き、県警と連携して登山者への説明などをすることを決めた。

 笠井課長は「私自身、課長になる前にも富士山課にいましたが、ここまで深く県警と話し合うことはありませんでした。真剣に話し合ったことで、今後どのように連携できるか、県と県警がお互いにわかったという点で、一歩前進でした」と触れたうえでこう話す。

「今年、ようやく富士山に活気が戻ってきました。富士山の歴史や文化を安全に満喫してもらうために、来年に何ができるかを、いまから考えていきます」

 富士山の開山期間は9月10日まで。県は八合目付近の巡回指導員を週末に増員し、富士山登山の安全確保を図っている。さらに来シーズンに向け、登山者数を規制する条例案の検討も始まっている。

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文・松橋幸一、写真・今村拓馬

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