「常識を覆す新たな山梨県政の挑戦、それが富士山の課題解決だ!」外国特派員協会での会見に国内外から記者約40人
富士山の現状は危機的な状況だ――。
長崎幸太郎知事が訴えかける内容に、
外国メディアの記者は耳を傾け、
質疑を繰り返した。
目次
富士山と観光・地域経済の大議論を
長崎幸太郎知事は8月29日、東京・丸の内の日本外国特派員協会(FCCJ)で「Cleaning up Mount Fuji(富士山をきれいに)」と題して記者会見を開いた。海外メディアの記者ら約20人が集まったほか、同時配信されたオンライン中継にも20人を超える記者が参加し、世界遺産登録されて10年となる富士山に対する国内外からの関心が高いことをうかがわせた。
この会見が開かれた背景には、山梨県が進める富士山登山鉄道構想がある。
登山鉄道構想をめぐっては、8月24日に「山梨の未来を拓く富士山登山鉄道構想を考える県民会議」の発起人会の初会合が開かれた。この会合に出席した長崎知事は、県民会議を「将来の富士山の姿を冷静に議論するプラットフォームとなる存在」と位置づけた。そう話した思いを知事はこう語る。
「登山鉄道構想に対してイエスかノーかではなく、将来の富士山のあり方について、エビデンスに基づいた冷静な議論をすることに価値がある。いろいろな観点から富士山と観光、富士山と地域経済のあり方を大論争していいと思っている」
「海外の人に富士山の惨状を知ってほしい」
一方で、知事は「富士山の現状は県民をはじめ日本国内の人はもちろんだが、海外の人にも知ってもらわなければいけない」と考えていた。
知事が海外に目を向けるのには、わけがある。
2013年6月に世界遺産登録されたあと、富士山の来訪者数はあっという間に500万人の大台を超えた。日本人と外国人の内訳はとっていないが、「日本に訪れる外国からの観光客が増えたことに伴って、富士山にも多くの外国人が来訪している。
7月1日の開山以降、テレビやネットニュースで、睡眠しないで山頂をめざす“弾丸登山”やサンダル履きなどの軽装で登山する“無謀登山”が取り上げられた。こうした登山者には外国人の姿が目立った。
そうした知事の意向を受け、県知事政策局の富士山登山鉄道推進グループが会見を申し入れたところ、FCCJ側から承認され、この日の会見を迎えた。
オーバーツーリズムとゼロドルツーリズムを解消したい
知事は「就任以来、摩擦をおそれず積極果敢な姿勢で県政に向き合い、旧弊を打破する行政を続ける、おそらく全国でも例外的な自治体だと自負している」とし、「そんな私がまた、常識を覆す新たなチャレンジに取り組まなければならないと考えている課題がある。それが、富士山だ」と話してスピーチを始めた。
「増え続ける来訪者をコントロールできない」
「五合目には電力や上下水道などのライフラインがない」
「発電機の排ガス、し尿処理量の増加で環境負荷が高くなっている」
「環境面、衛生面で国際標準を満たしていない」
などと富士山の現状を説明したうえで、
「来訪者が適正限度を超える『オーバーツーリズム』で来訪者の満足度が低下している」
「来訪者の低い満足度が地元経済への波及効果が少ない『ゼロドルツーリズム』につながっているのではないか」
という点を指摘した。
また、イタリア・ヴェネツィアがオーバーツーリズムが原因で、世界遺産センターから危機遺産リストに加えるとの勧告を受けたことに触れ、「このままでは富士山も同じような道をたどる可能性がある」と話した。
富士山を「高付加価値化」する
長崎県政のキーワードのひとつに「高付加価値化」がある。
果物や、ワイン・日本酒を輸出する。県有地の賃貸料を適正な価格に見直す。既存産業が医療機器分野に進出することをバックアップする。環境負荷が少ない農産物をつくる。自然豊かな県土をスタートアップの実証実験場所として提供する……。こうした動きはすべて、県が持つ力を“底上げ”(高付加価値化)することによって、“県民資産を増やす”という考えだ。県が独自に稼げる力を持てば、県の財布が大きくなり、きめ細かい行政サービスができるようになる。
今回の富士山登山鉄道構想も、この高付加価値化の流れに沿っている。
有識者会議の結論が「富士山登山鉄道」だった
知事はスピーチの後半で、「私は富士山観光について、量から質への転換を図るべきだと確信している」と述べ、「課題を解決できる具体策として有識者の議論の末に出てきた結論」として、登山鉄道構想を説明した。
登山鉄道構想は新たに森を切り開くわけではない。既存の富士スバルライン上に簡易な軌道(ライトレール)を敷き、CO₂を排出しない次世代路面電車(LRT)を走らせる計画だ。
1964年に開通した富士山スバルラインは「日本のモータリゼーションを象徴する“昭和の歴史的遺物”」と評する一方で、登山鉄道について「富士スバルラインを21世紀の現代仕様にリデザインする挑戦だ。高度経済成長型の開発からSDGsへの転換なのだ」と強調した。
さらに、
「富士スバルラインの上にCO₂を排出しない次世代路面電車を走らせる」
「決まった時間に定員を運ぶ電車なら来訪者数をコントロールできる」
「電車と同時にライフラインを整備し、駅舎をつくるなどして景観も整えられる」
と登山鉄道のメリットを挙げ、「なにより来訪者の満足度が上がる。そうなればリピーターも期待でき、また、ゼロドルツーリズム問題も解消できる」という効果を口にした。
「富士山の課題は、世界遺産登録から10年間手つかずのまま放置されてきた。いまこそ、その旧弊を打破して、これまでとはまったく違う発想で、富士山問題の解決に着手しなければならない」と語気を強めた。
【関連記事】
・富士山の悲鳴が聞こえませんか?山梨県が登山鉄道を検討する真意とは
「登山鉄道は本来の自然を回復する試みだ」
スピーチに続く質疑の時間になると、海外メディアからさまざまな質問が出た。
富士スバルラインを通行制限することで来訪者数をコントロールできるのではないか、という質問が出ると、知事は「有料道路の営業時間を短縮することはできるが、日本の法律では『混んでいるから通行制限する』ということができない。富士スバルラインが自動車道路であるかぎり、来訪者数のコントロールは難しい」と答えた。
また、EVバスでもいいのではないかという指摘に対して、知事は「バスは技術的に下り道のブレーキが安全なのかという技術的な問題が残る一方で、登山鉄道は複数のブレーキシステムがあるので、安全性が高い」と言及した。さらに「道路である限り大量の来訪者はそのまま。それに見合ったバスやドライバーを確保できるのか。そのような点などから、EVバスの運行管理を適切に行っていくのは現実的には難しいのではないか」と問題点を指摘した。
登山鉄道に反対する意見があるのかと問われた知事は「自然破壊につながるのでないかという意見がある」と説明しつつ、「この指摘はまったく逆だ。現状の富士スバルラインのほうが自然破壊の状態で、登山鉄道構想は本来の自然を回復させる試みだ」と話した。
「スピード感を持ってコンセンサスを」
インドネシアのジャーナリスト、リチャード・スシロさんは富士山の大ファンで何度も登ったことがあるという。会見後に話を聞くと、「登山鉄道構想は以前から知っていた。いいアイデアだと思う。今回の会見で深く理解できた。構想が進んだら、また会見をしてほしい。簡単ではないと思うが、ぜひ進めてほしい」と感想を述べた。
会見を見守っていた富士山登山鉄道推進監の和泉正剛さんは、父・定廣さんも山梨県庁職員として富士山行政にかかわってきたとあって、「きょうは登山鉄道構想の実現に向けた第一歩になった」と感慨深そうだった。
県は2023年度、富士山登山鉄道構想の実現に向け、登山鉄道の整備手法や技術的課題を調査することに加え、県内の人たちと活発な議論をする場を提供していくこととしている。
五合目で店を営業している人や、山小屋の経営者らには登山鉄道構想に反対の人がいる。和泉さんは「現状を変えることに反対する気持ちはわかる。一方で、このままでいいのか、ということも考えていく必要がある。議論をしながら、スピード感を持ってコンセンサスが得られるように最大限の努力をしていく」と話していた。
【関連記事】
文・松橋幸一、写真・今村拓馬