世界一の武者行列「信玄公祭り」、過去最大規模で初の秋開催 支えた裏方たちの「情熱」と「秘策」とは
信玄公が3年半ぶりに甲府の街によみがえった。
いつも春なのに、2022年は秋に。
史上最多の人たちが季節外れの「信玄公」を出迎えた。
2023年の準備も始まっている。
「節目の祭りは自分がやる」
2020年春の異動を前に、丸山孝さんは古巣の山梨県観光資源課に異動希望を出していた。2021年の信玄公祭りは「第50回」の節目であると同時に、武田信玄公の生誕500周年。かつて信玄公祭りで開催準備にかかわり、当日は「信玄公付き(信玄公役の俳優の世話をする担当)」を担った丸山さんは「この節目の祭りを自分がやらないで誰がやる、という気持ちだった」という。
希望は叶い、古巣へ戻った。ところが、思いもよらない事態が丸山さんを待ち受けていた。
コロナの波をかいくぐって開催へ
丸山さんが古巣への異動となる2ヶ月ほど前の2020年1月。新型コロナウイルス感染者が日本で初めて確認された。そして、4月には緊急事態宣言。
毎年、信玄公の命日である4月12日の前に開かれていた信玄公祭りは49回目となるはずだった2020年、開催が見送られた。43~46回の信玄公祭りを担当し、満を持して戻ってきた丸山さんは呆然とするしかなかった。新型コロナの余波は続き、生誕500周年にあたる2021年も祭りは開けなかった。
丸山さんが古巣に戻って3年半。
2022年4月から観光資源課長になった丸山さんは、秋晴れの下、甲府駅前の平和通りに立っていた。目の前をパレードの一団が通り過ぎていく。「とにかく開催できたことにホッとし、あとはこのまま何事もないようにと思っていました」。
10月28日から3日間の日程で開かれた「第49回信玄公祭り」は、過去最多となる17万8千人が、「3年半ぶりの信玄公」を出迎えた。新型コロナ感染の波をくぐりつつ、いつもの春ではなく、信玄公の生誕した11月3日にちなんで秋開催にこぎつけた。
しかも、開催時期を秋にずらしただけ、ではなかった。
ハロウィンの時期と重なったことから、仮装パレードも開催。県内各地で出陣式を済ませた武者姿の人が電車に乗って集まったり、国籍や障がいなどに関係なく多様な人たちが参加するイベントも開かれたりするなど、県がめざす共生社会を象徴するイベントになった。そのほかにも、県内の飲食店や宿泊施設を利用してポイントを貯めると県産商品が当たるキャンペーンや、若者たちのダンスイベントなどを開催し、例年よりグレードアップした信玄公祭りは「秋の観光シーズンの目玉」(長崎知事)になった。
この成功の陰には、いくつものハードルを越えて舞台裏を支え続けた人たちがいた。
「下剋上」を先読みした事務局長
やまなし観光推進機構事務局長の中村洋一さんは、祭りとはまったく関係ないスポーツ大会の行方を気にしていた。信玄公祭りをめぐる対外的な折衝を一手に引き受けている人物だ。気にしていた大会は、天皇杯JFA全日本サッカー選手権だった。
祭りの開催まで1ヶ月を切っていた10月5日の準決勝。サッカーJ2のヴァンフォーレ甲府がJ1鹿島アントラーズを1対0で破った。「下剋上」とサポーターらが興奮し始めていた。
そして10月16日、天皇杯決勝の日。J1サンフレッチェ広島との戦いは延長戦も含めた120分間で決着がつかず、PK戦の末にヴァンフォーレが優勝を果たした。下剋上は、山梨日日新聞が号外を発行、翌日の紙面は1面トップ、横にぶち抜きの見出しで報じられた。東京のメディアも多くが甲府入りし、ヴァンフォーレを追いかけていた。
「J1に昇格したときもパレードをやりましたし、優勝したら信玄公祭りに来るかな、とピンときましたから」
警備会社に断られ続け…
県秘書課も動き始めていた。
秘書課で表彰担当の遠藤雄介さんは、高校時代サッカー部員で、天皇杯の決勝は家のテレビでPK戦が終わるまで見ていた。そして、翌17日の月曜日。登庁すると、いきなりヴァンフォーレへ県民栄誉賞を授与することと県庁の噴水広場での優勝報告会を開催するよう指示を受けた。さらに信玄公祭りのパレードにヴァンフォーレが参加できるよう調整することも命じられた。
優勝報告会で選手がけがをするなど不測の事態は避けなければならない。ざっと配置を考えて警備員は50人必要だと判断し、各部局に協力を呼びかけたが、すでに多くの職員が駆り出されていたため、集まったのは30人だった。まだ20人足りない。21日朝から同僚と4人で県内の警備会社に電話をかけ始めた。
ところが、ここでも壁が立ちはだかった。10月末は秋のイベントシーズンとあって、どの警備会社も人手不足だった。県内業者にすべて断られ、電話作戦の範囲を関東地方すべてに広げたが、それでもダメ。長野県まで範囲を広げたところでようやく、松本市の警備会社が20人の人手を約束してくれた。すでに夕方になっていた。
遠藤さんはその後、警察署を何往復もして警備計画を練り上げた。
5分も絶たないうちに定員オーバー
遠藤さんの次なる課題は、殺到確実なヴァンフォーレのサポーター対策だった。噴水広場で受け入れられる最大人数が700人なので、先着順の事前申し込み制にするしかない。急きょ、県庁内のWebで唯一、申し込み機能があるシステム「やまなしくらしねっと」を使うことにした。普段は行政文書の交付に使われるものだが、いまから申し込みサイトをつくる時間は残されていなかった。
優勝報告会3日前の26日にメディアを通じて告知し、27日正午から受け付けを始めた。
30秒後、パソコン画面にリアルタイムで表示される受付人数が100を超えた。「上司に内線電話で連絡し、電話を終えてパソコン画面を見ると、700に達していた。受付開始から5分も経っていませんでした」(遠藤さん)
優勝報告会が無事終わり、ヴァンフォーレのメンバーをパレードに送り出す直前、県議会棟の玄関で荒木翔キャプテンと2人きりになる瞬間があった。天皇杯決勝の前半26分、FW三平和司選手が決めたヴァンフォーレの先制点は荒木キャプテンがアシストしていた。
「『決勝でナイスアシストでした』と伝えたかったんですが、県庁職員としての役割に徹しなきゃと思って言えませんでした。いまは言えばよかったな、と少し後悔しています」(遠藤さん)
前例のないコロナ対策
関係者が奔走して3年半ぶりに開催にこぎつけたものの、コロナ禍が完全に収まったわけではなかった。過去の祭りにはなかった感染対策の工夫が欠かせなかった。観光資源課の須田達弥さんは「従来は平和通りの4車線全部を使ってパレードをしていました。でも、今回は2車線を観覧エリアに指定して、密を避けるようにしました」と明かす。
さらに、観覧エリアの人にはなるべく座ってもらうようにした。
「座ってもらうことで、人が大きく動かない。それが結果的にはヴァンフォーレのパレードの際にも混乱が起きなかったことにつながりました」(須田さん)
また、今回は新たに、「信玄公祭り混雑状況マップシステム」を導入し、公式HPで会場全体の混雑状況を「見える化」して観覧者の密集回避を図った。祭りの関係者には事前に抗原検査をしてもらい、陰性者だけが祭りに参加するようにした。
「第50回」の記念祭りへ
2023年はいよいよ「第50回」の記念祭りを迎える。
2022年11月、俳優の木村拓哉さんが織田信長役を務めて「ぎふ信長まつり」が開かれた。人出は62万人、経済効果も推計で150億円を超えた。丸山さんのもとには上司から「信玄公まつりの経済効果を出してほしい」と指示が届いた。
「信玄公役の選定は大事だと考えています。甲府駅南口に重厚感あふれる信玄公像があり、県民の皆さんには、そのイメージがあると思います。NHK大河ドラマなどで信玄公を演じる俳優によって、世代ごとに信玄公のイメージも違うかもしれません。個人的には様々な信玄公がいても夢があっていいかなと思っています。また、第50回の記念祭りはいろんな仕掛けをしていきたいです。当日だけではなく、祭りの前からイベントを打って、その助走期間も含めて長いスパンで楽しんでもらう『県民総参加』の祭りを実現したいと思っています。いま、機運を醸成する企画を練っています」(丸山さん)
長崎知事は2023年の信玄公祭りに向けて、こう話す。
「2022年秋の信玄公祭りは過去最多の人たちが集まり、街中のにぎわいは、まさにコロナ後に向けた反転攻勢を象徴する機会になった。また、単にコロナ前に戻るのではなく、仮装パレードなど従来なかった要素を取り入れ、多様性にあふれる新たなまつりの姿を示すことができた。2022年秋の信玄公祭りは県内観光産業の回復に弾みをつけ、県経済の力強い再生につなげるきっかけになったと思う。このいい流れを2023年の信玄公祭りにつなげていきたい」
それにしても、山梨県の人たちは、なぜこれほど信玄公祭りに賭けられるのだろう。丸山さんにそんな疑問をぶつけると、「信玄公は県民から必ず『公』を付けて呼ばれ、慕われている郷土の英雄です。個人的には人心掌握術に長けた武将だと思っています。自分も信玄公のようになりたいと思いますが、ぜんぜんそうなっていません……」
とにかく、止まらない「信玄公愛」。
その情熱が信玄公祭りを支えている。
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文:大野正人、写真:今村拓馬