
小さな子どもからお年寄りまで「縁」をつなぐ
子どもからお年寄りまで多世代が集まる場所をつくりたい。
そんな想いをもって地域食堂を運営している男性がいる。
合同会社にじいろのわ代表の日向大輔さんだ。
過去の日向さんには、明確な夢も目標もなかった。
そんな彼を少しずつ変えていったのは、一つひとつの縁だった。
2025年度から、新コーナー「in depth プラス」を始めます。
登場するのは、皆さんの身近で活躍するミライ思考の人たち。幅広い人たちにじっくり話を聞き、その息吹をお伝えします。
■この記事でわかること
✔ 東日本大震災を契機に「役に立ちたい」と介護の世界へ
✔「コミュニティ」の支えがあって地域食堂の活動を始めた
✔「昔ながらの、少しおせっかいなつながり」を大切にしている
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原体験は「焦げた目玉焼き」
あまり昔のことは覚えていないんです。でも——。
そう言って、合同会社にじいろのわ代表の日向大輔さんは一つ、おぼろげな思い出をたぐり寄せる。
当時、日向さんは小学生だった。学校が休みの土日は決まって父方もしくは、母方の祖父母の家に泊まりに行っていた。
日曜日の朝。台所には腰が曲がった祖母が立っている。
パチパチと、油で卵が焼ける音がする。
「祖母はもう年だったので、たいそうな料理はできないけれど、よく目玉焼きはつくってくれたんです」
次第に、周囲には少し焦げたようなにおいも漂ってくる。
「あまり手がきかなかったのか、フライパンが悪いのかはわかりませんが、できあがった目玉焼きはいつも黒く焦げていて。食べると、パリパリと音が鳴るくらい(笑)。でも、おいしかった。僕のために一生懸命つくってくれたんだと思うと、とてもうれしかった」
現在、日向さんは山梨県内で介護保険外サービスを提供する「まごの手ひなた」を運営している。

「高齢の方にとっては『電球を交換する』『庭の草を抜く』『回覧板を回す』など日常のちょっとしたことができなかったり、大変だったりする。けれども、生活支援や介護のヘルパーさんの手が回りきらないこまごまとした作業はたくさんある。そんな『介護制度のはざま』に“孫の手”を届けたいと思ったんです」
「まごの手ひなた」では現在、日向さんを含めた6人のスタッフで、県内の高齢者のサポートをしている。
家のなかの家事手伝いはもちろん、通院や買い物の介助など、できることは何でもする。買い物の帰りに「久しぶりに、お寿司が食べたい」と言われれば、お寿司屋さんへも付きそう。
そのため、時間にゆとりを持たせ、依頼を受けるのは1人につき1日最大3人までとしている。だが、土日祝日問わず依頼は舞い込み、そのたびになるべく時間を工面して利用者のところへ向かう。
「一つひとつはとても小さい作業なんですけれど、喜んでもらえるとうれしいですし、僕たちだからこそできたんだと思うと、やりがいを感じます」
日向さんのもとには、毎日、利用者から喜びの声が届く。
「いつもありがとう」
「庭がこんなにきれいになってうれしい。ずっと眺めていられる」
「日向さんと出会えて、本当によかったよ」——。
介護の世界に飛び込んだ転機
「まごの手ひなた」について、明るく話す日向さんだが、実ははじめから介護職を志していたわけではなかったという。
「学生時代、やりたいことはおろか、将来の夢も何もなくて。強いて言えば、父が自動車販売店を営んでいたのもあり、車は好きだった。だから、『いい車に乗りたいな』とは思っていましたね」
中学校卒業後は甲府商業高等学校の情報処理科に進み、コンピュータについて学んだ。大学進学も検討したが、両親に負担をかけてまで行こうとは思わなかった。それなら、「お金を稼いで好きな車を買おう」と、夜勤のあるジュース工場で働くことに決めた。給料がよく、20歳で当時400万円の車をキャッシュで購入した。周囲からは羨望のまなざしを浴びた。
その後も、「なんとなく」という気持ちで働き続けた。
ところが、2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
「いまの仕事に不満はないけれど『僕の人生、このままでいいのかな?』って本気で考えるようになったんです。いろいろ思案しているうちに、自分はおじいちゃん・おばあちゃんっ子だったことを思い出して」
お年寄りの人たちの役に立ちたい——。
同年12月に、日向さんはジュース工場を退職し、介護の世界に足を踏み入れた。
ひょんなことがきっかけで入ったコミュニティ
「介護職員初任者研修(当時、訪問介護員2級養成研修課程)」を取得した後、日向さんはさっそく介護施設で働き始めた。
「おじいさん、おばあさんと接するのは大変なこともありますが、やっぱり楽しかった。たとえば、朝食をあまり食べたがらないおじいさんがいたのですが、毎日見ていると、食事前にトイレを済ませられた日は朝ご飯を口に運んでいるとわかったんです。それからは、食事前には必ずお手洗いを済ませることを促すようにしました」
そのほかにも「このおばあさんはこの時間帯にトイレに行けば、便失禁しない」など、利用者一人ひとりを、つぶさに観察した。上司からの信頼も得られ、ほかの職員からも感謝された。
そんな日向さんに第二の転機が訪れる。
コミュニティカフェ「ENISHI」(甲府市貢川本町)を拠点に活動している、県内の任意団体「ファーストシップ」との出会いだ。

「下は20歳、上は70歳くらいまで、学生、会社員、主婦、個人事業主、会社経営者など、さまざまな人が参加できる団体があると知って。あまり深く考えずに入会してみたんです」
これまで、日向さんは自治会をはじめ、コミュニティに属したことはなかった。家、職場以外に初めてできた「第三の居場所」だった。気がつくと、日向さんはファーストシップのメンバーに自身の仕事の悩みを打ち明けていた。
メンバーは、親身になって日向さんの話に耳を傾け、アドバイスをくれた。
「日向くんは、介護の仕事自体は向いていると思う」
「ずっと続けたほうがいい」
「いっそ、自分で事業を立ち上げてみてもいいんじゃない?」
「大丈夫。食べるものに困ったら、私たちがご馳走するから」——。
2017年、日向さんは独立を決意。現在の「まごの手ひなた」を立ち上げた。
「やろうよ」いつも後押ししてくれる仲間の存在
2018年、日向さんは新たなチャレンジを始めた。高校生以下の子どもは無料で、それ以外の大人も誰でも低額で利用できる地域食堂「こどもとみんなのえにし食堂」の運営だ。場所はファーストシップの活動拠点である「ENISHI」を利用している。
「コミュニティがあったからこそ、いまの僕がある。だから、悩んでいたり、居場所がなかったり、食べるのに困っていたりする人たちにとっても、気軽に来られて、おいしい食事をとりながらコミュニケーションを育める場所になればと」

同じ場所で、学生を対象に無償で食事を提供する「学生食堂」も実施している。
「こどもとみんなのえにし食堂」も、ファーストシップのメンバーの後押しがあって始めたという。
「僕が『こんなことをやりたいな』と話したら、『いいじゃん、やろうよ』って言ってくれたんです」
食堂に出すメニューは、現在、15人からなるメンバーがそれぞれおかずを担当して持ち寄る。そのほかの食堂にかかわる家賃や光熱費といった費用は、メンバーの会費(月額8000円)と、同団体メンバーの雨宮正直さんが、同じ場所で午後から夜にかけて営業しているボードゲームカフェの売上からまかなっている。おかずを寄付してくれたお弁当屋さんもいた。「自分たちで成り立たせる」感覚を大切にしたくて、公的支援は一切活用しない。

味噌を貸しあえる仲
コミュニティにおいて、日向さんがめざしているのは「昔ながらの、少しおせっかいなつながり」だ。
「現代人は、隣人との関係性が希薄ですよね。もちろん、いろんな考えがあります。でも、たとえば震災などが起きたときにそれでは助け合えないと思うんです。ふだんから『お味噌が切れちゃったから、ちょっと貸して』と言い合える仲が理想かなって」
ただ、日向さんが言う「味噌を貸しあえる仲」は、決して馴れ合いの関係ではない。
「ボードゲームカフェの店長の雨宮くんは、発達障害なんです。世界中のゲームを200〜300種類集め、そのルールをすべて把握しているという才能を持っていますが、ルーズなところもあって」
ボードゲームカフェ営業後の翌日、メンバーの一人が「ENISHI」を訪れると、エアコンや電気などがすべてついた状態だった。

「はじめ、彼は『自分は発達障害なんで』と少し開き直っていたところがあった。けれど、みんなで『それは違うよ』『みんなのお金で運営しているんだよ』ときちんと説明しました。『いいんだよ』と言ってしまっては、商売をしていく以上、彼のためにならないと思ったんです」
その後、チェックリストをつくるなどの対策を立て、雨宮さんも守ってくれるようになっている。
現在、雨宮さんは得意の数学を店内で教えるフリースクールをスタートするなど、活躍の幅を広げている。
自然なやさしさを身に付けてほしいから
日向さんには大きな夢がある。多世代が出入りするような「シェアハウス」の立ち上げだ。特別養護老人ホームで働いていたとき、ある利用者から「ここは刑務所みたいだ」と言われたこときっかけだったという。
「同じ時間に起こされ、食事をとらされ、お風呂に連れて行かれ……と、利用者さんからすれば、そう感じるのも無理はありません。一方で、介護業界は人手不足で、流れ作業にしなければ、現場は回らないのも事実です」
どうすれば、この業界に興味を持つ人が増えるのか——その解の一つが、自身の過去の経験にあった。
「僕が介護業界に入ったのは、祖父母が大好きだったからです。幼いころからおじいさん・おばあさんにかかわることで、お年寄りが身近な存在になるだけでなく『おじいちゃんはここが大変なんだ』『おばあちゃんはこれができないんだ』と知ることができる」
そうすれば、たとえその子が介護業界に入らなかったとしても、大人になった際に高齢者の荷物を持ってあげたり、電車で席を譲ったりと、自然なやさしさが身に付くはずだと日向さんは考える。
「こんな活動をしていると、たまに僕を仏のようだと勘違いする人がいるのですけど、本当にやりたいことをやっているだけなんです。今だっていい車に乗りたいし、将来、自分が理想の介護施設に入りたいから、シェアハウスを構想しているだけ。でも、こういったことを考えるのは、楽しいですね」
現在、「こどもとみんなのえにし食堂」「学生食堂」はそれぞれ月1回の頻度で、ともにコミュニティカフェ「ENISHI」で実施している。
縁(えにし)から、日向さんの夢はどんどん大きくなっていく。

文・土橋水菜子、写真・山本倫子(提供写真を除く)


