
“無花果の華”が咲くまで——若きパティシエの挑戦
パティシエの技術を競うスイーツコンテストで、
ひと粒のボンボンショコラが注目を集めた。
作品名は「無花果の華(イチジクのハナ)」。
韮崎で生まれ育ったパティシエ・高見澤美結さんが、
山梨の果物と向き合い続けて生み出したショコラだ。
数々の華やかなスイーツが出品されたなか、最優秀賞を獲得した。
高見澤さんはこの小さなショコラに、
地元への想いと、自分のこれからをそっと重ねていた。
2025年度から、新コーナー「in depth プラス」を始めます。
登場するのは、皆さんの身近で活躍するミライ思考の人たち。幅広い人たちにじっくり話を聞き、その息吹をお伝えします。
■この記事でわかること
✔ 県が開催した「やまなしスイーツコンテスト2025」で韮崎出身のパティシエが最優秀賞を獲得した
✔ パティシエは、コロナ禍を経験する中で「地元への思い」を強めていった
✔ 最優秀賞に輝いたスイーツには、地元生産者のもとを何度も訪れて得られた気づきが詰まっている
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お弁当が変えた進路
——「大変だけど、がんばってください」。
2022年、新型コロナウイルスが猛威をふるっていた当時、八ケ岳の名門ホテルでパティシエを務めていた高見澤美結さんは、コロナ陽性と知らされ、部屋に一人で閉じこもっていた。
2週間の隔離生活だった。そんなある日、届いた弁当の包みに、ていねいな手書きの一文が添えられていた。
「がんばって」。ただそれだけの言葉なのに、不思議なほど胸が熱くなった。
感染拡大で飲食店が苦境に立たされていた時期。仕事も、暮らしも、先の見えない不安に覆われていたなかで見つけた、小さなやさしさ。韮崎市で生まれ育った高見澤さんは、そのときはっきりと気づいたという。
「私はこの土地の人たちのためにお菓子をつくりたい」。
忘れかけていた、大切なことを思い出した瞬間だった。
初めての“誰かのためのお菓子”
「幼稚園から家に帰ると、真っ先に向かうのはいつもキッチンでした。母のつくるオレンジのババロアが大好きで、3時のおやつがいちばんの楽しみだったんです」
高見澤さんは、幼いころを振り返ってほほえむ。

「毎日母のお菓子づくりを眺めるうちに、生地を混ぜたり、フルーツをカットしたりと、いつの間にか手伝うようになっていました」
クッキー、シュークリーム、そしてオレンジのババロア……と、年齢を重ねるたびに、お菓子のレパートリーは増えていった。
なかでも、印象的だったのはチョコレートだ。小学生のとき、バレンタインデーで初めて友達に配ったときの反響は、今も忘れられない。
「これ、手づくりなの?」
「本当においしい」
「美結ちゃん、絶対にお菓子屋さんになれるよ」——。
その後は、バレンタインデーが近づくたびに、「あのチョコレートが食べたい」といったリクエストも届くようになった。高見澤さんにとって、「誰かに食べてもらえる喜び」を知った瞬間だった。
「毎年、バレンタインデー前になるとキッチン中がチョコレートの甘い香りに包まれていました。そのたびに、友達の笑顔が蘇るんです。私のお菓子を食べて喜んでくれる人がいる。あぁ、これってすごく幸せなことだなぁって」
パティシエになろう——将来の夢が決まった瞬間だった。
進路を決める時期が訪れても、迷うことはなかった。調理師学校を卒業後、就職先に選んだのは星野グループが運営する「リゾナーレ八ヶ岳」だ。
全国から観光客が集まる大きな現場で、デセール(デザート)からウェディングまで幅広いスイーツを担当した。やがて、パティシエ部門のトップであるシェフパティシエにも上り詰めた。求められる品質、スピード、的確な段取り……8年間の在籍は、技術的にも精神的にも大きな糧になった。
業務と併行して、国内外で数々の賞を受賞しているトップパティシエに師事し、チョコレートの温度管理をはじめ、数々の技術を学んだ。
「その方は星野グループの統括パティシエだったので、常に全国を飛び回っていました。技術はもちろん、土地それぞれの素材を活かしたお菓子づくりが本当にお上手で、とても憧れていました」
星野グループは全国にホテルを展開している。異動や転勤は高見澤さんにも起こりうることだった。高見澤さん自身も、今後もパティシエを続けていくためには、「当然のこと」だと覚悟を決めていた。
大切な人たちのために
しかし、世界を大混乱に陥れたあの出来事が起こった。新型コロナウイルスのパンデミックだ。山梨県内にも感染が広がるなか、高見澤さんも罹患した。
「当時は先行きが見えなくて、不安でしたね。そうしたなか、地域のお弁当屋さんからとてもあたたかいお弁当とメッセージが届けられて……改めて、地元っていいなって思ったんです」
手書きのメッセージを受け取った瞬間、自分が本当に大事にしたいものは何なのかを考えた。思い浮かんだのは、家族・友人・地域の人——大切な人たちのために、県産の食材を活かしたお菓子づくりをすることだった。
「そこから、地域に根付いたお店『さくら茶屋 La Passion』に転職したんです」
山梨県韮崎市にあるさくら茶屋 La Passionは、欧州で腕を磨いたシェフ・小林裕一さんが率いる人気のフレンチレストランだ。自家農園や地元で生産された食材を地産地消するというコンセプトが、多くの人を惹きつけている。


高見澤さんが働く「さくら茶屋 La Passion」の店内(同店HPより)
「シェフは、お客様のことを第一に考え、細部まで気を配りつつ、自分の思いをお皿に表現できる人なんです。私もそんなパティシエになりたいと強く思いました」
同店には専門学校時代に実習で訪れていたこともあり、小林シェフ、そしてオーナーとも既知の仲だった。「ここで働かせてください」という高見澤さんの熱意を、2人は快く受け入れてくれた。
たしかな手応えは感じていた
さくら茶屋 La Passionに移ってからは、山梨の人が好むお菓子を追求する日々だ。
「複雑な構成のお菓子より、素材の良さがまっすぐ伝わるお菓子のほうが喜ばれることが多くて。山梨県の果物ってシンプルなままで十分おいしいんだなと、改めて実感しました」
季節のフルーツをそのまま活かしたタルト、軽やかな口当たりのムース、食後でも負担にならない甘さのガトー——。その一つひとつが、“山梨らしいお菓子”とは何かを考える時間につながっていった。
だからこそ、地域の果物を使ったコンクールがあると知ったとき、心が強く揺れた。
その知らせが届いたのは、2024年の冬だった。山梨県が県産フルーツを活用し、パティシエの技術を競うコンクール「やまなしスイーツコンテスト2024」を開催するというものだった。
「山梨の果物を、自分なりの表現で届けたい。その思いに一気に火がついて、応募を決めるまでに時間はかかりませんでした」
初開催となった同コンテストには、全国から83作品が集まった。写真とレシピだけで行われた一次審査を通過した19作品の中に、高見澤さんの「赤ワインのしずく」も含まれていた。
「山梨の“果物とワイン”という2つの魅力を、ひと粒のチョコレートの中で表現したかったんです。ドライにした巨峰のワイン漬けと赤ワインのシロップ、カカオ51%のガナッシュを重ねて、奥行きを出しました」
ルビーのように輝くボンボンショコラが完成したとき、高見澤さんにははっきりとした手応えがあったという。ワインとスイーツのペアリングは、レストランで日頃から親しんできた得意分野でもあった。

だが、最終審査では、東京、静岡など県外のパティシエたちが次々と受賞していくなか、高見澤さんの名前が呼ばれることはなかった。
高見澤さんが応募した「ワインに合うスイーツ部門」の最優秀賞に選ばれたのは、長野県のパティシエだった。
次の挑戦へ、静かに積み重ねた日々
コンテストからおよそ半年後の2025年9月、高見澤さんは北杜市明野町の農園にいた。イチジクの畑だった。
「食材の背景を知らずに、理想のお菓子はつくれないと思ったんです」
気温、雨、土、風——日々の変化が、味わいに影響する。農家の視点を知るほど、スイーツの組み立ても変わっていった。
「やまなしスイーツコンテスト2024」が終了してからも、高見澤さんは研鑽を続けていた。休みの日は農園か、生産者のもとを訪れた。それ以外の時間は、試作に費やす。
お菓子のことを知りたいと思えば、県外の店へ足を運び、今どんなお菓子が愛されているのかを調査した。山梨県内の若手パティシエ育成を進める「若手パティシエ伴走支援プログラム」にも参加し、技術と知識の両面を磨いた。仕事の日はもちろん、休日でも考えるのはお菓子のことばかりだった。
「前回、入賞を逃したことが本当に悔しかったんです。東京や他県のパティシエが受賞していくなかで、山梨の私が名前を呼ばれなかった。それが、なおさら胸に刺さって。このままでは終われないと思いました」
“無花果の華”に込めた想い
そんな高見澤さんに2回目のチャンスが舞い込んだ。「やまなしスイーツコンテスト2025」の開催が決定したのだ。
10月21日の最終審査には、高見澤さんの姿もあった。

今回、高見澤さんが出品した作品は、北杜市産のイチゴと赤いトウモロコシ「大和ルージュ」を用いたパウンドケーキ「ウィークエンド・フレーズ」と、笛吹市産イチジクを使用した「無花果の華」——チョコレートだ。
「チョコレートは個人的にも思い入れの強いお菓子です。だから、絶対にチョコレートで勝ちたいと思っていました」
第1回のリベンジを果たすべく、今回も「ワイン部門(山梨県産ワインを使用したスイーツ部門)」にエントリーした。
コンテスト当日は、参加者らが舞台に上がって作品のプレゼンを行ったのち、審査員による試食審査が行われる。昨年に引き続き、審査委員長を務める銀座ウエスト青山ガーデンシェフパティシエの金子博文さんをはじめ、トップパティシエたちが自らの舌でそれぞれのお菓子を評価した。
審査では、参加パティシエたちに鋭い質問が投げかけられ、言葉に詰まる参加者の姿もあった。
そして、高見澤さんの順番が回ってきた。
審査員の前に、白いボンボンショコラに、エメラルドグリーンの飴細工があしらわれた「無花果の華」が並べられる。
「きれい……」審査員の誰かが、思わずそんな声を漏らした。

舞台に上がった高見澤さんは堂々としていた。
「まずは、『無花果の華』という名前について。イチジクの花は『無花果』という名前の通り、外からは見えません。けれども、実は果実の中にたくさんの小さな花を咲かせています。そのようすが、中にガナッシュやコンフィチュールなど、たくさんの味わいや香りを閉じ込めているボンボンショコラに似ていると思い、今回、ショコラでそれを表現しました」
ホワイトチョコレートの中には、笛吹市のイチジクのコンフィチュール、富士川町のユズの皮・種・実をすべて活用したピューレ、スギ、ヒノキ、クロモジと白ワイン(2023 ルバイヤート甲州甘口)を使ったガナッシュを三層になるよう閉じ込めた。食べた瞬間、イチジクのプチプチとした食感とホワイトチョコレートが複雑に絡み合い、最後にハーブのような爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
表面の飴細工には、自社農園で栽培したイチジクの葉を練り込んだ。イチジクを育てるなか、葉自体も甘い香りを持っていることに気づいたのだ。

「〝食べる香水〟と言ってもいいくらい、華やかなイチジクの甘さとユズのアクセント、ハーブの青い香りが口いっぱいに広がると思います」——。
発表を終えたとき、高見澤さんの表情は晴れ晴れとしていた。
「これは、戦略を感じる作品ですね……」。審査員を務めた「葡萄屋kofu」の株式会社プロヴィンチア代表取締役・古屋浩さんは、静かに感想を語った。
あふれる涙……
——ただいまより、「山梨県産ワインを使用したスイーツ部門」の結果発表を行います。エントリーされたみなさま、ご起立いただき、ステージにお越しください。
最終審査の終了を告げるアナウンスが響いた瞬間、たくさんの人でにぎわうコンテスト会場のざわめきがすっと静まった。
高見澤さんは深く息を吸い込み、舞台に向かった。照明がまぶしく、足元の小さな揺れまで自分でもわかるほどだった。
壇上へ向かう階段を一段ずつ上がるたび、前回のコンテストの悔しさが胸の奥から蘇る。呼ばれなかった名前、飲み込んだ涙——。
審査員特別賞、優秀賞の順に受賞者が読み上げられていく。
歓声、拍手、スピーチ。それらが、少し遠くの出来事のように感じられた。ここまでは、前回と同じ流れ。けれど、胸の鼓動だけは前回よりもずっと大きく、速かった。
司会者が、一瞬だけ言葉を区切った。
会場全体が息をひそめた。
——「山梨県産ワインを使用したスイーツ部門」栄えある第一位は……高見澤美結さんの、「無花果の華」です!おめでとうございます!
その瞬間、視界がふっと明るく開けた。
客席からあふれる拍手が押し寄せ、足元から音の波が伝わってくる。
審査委員長の金子シェフがゆっくり歩み寄り、トロフィーを手渡す。
金子シェフが「……前回はね、とても悔しい思いをされたんじゃないかな。作品から、ものすごく努力したのが伝わって……」そう言って、思わず声を震わせる。金子シェフの目には涙が浮かんでいた。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にしまってきたすべての感情が一気にあふれた。
高見澤さんは、トロフィーを持たない右手で顔を覆った。
会場はあたたかい拍手に包まれ、その音は、彼女のこれまでの時間を祝福するようにいつまでも続いた。

新たなステージへ
「おめでとう!」
「テレビに出てたね」
「高見澤さん、すごいじゃない!」——。
11月、さくら茶屋 La Passionは高見澤さんへのお祝いの言葉や、花束であふれていた。
「常連の方に喜んでいただいて本当にうれしいです。優勝をきっかけに初めてお越しになる方も多くて。コンテスト出場が地域に何らかの影響を与えられて、心からよかったなって思います」
高見澤さんははにかみがちに答えた。
「やまなしスイーツコンテスト」で、念願のチョコレートでの優勝を果たした高見澤さんに、次の目標を尋ねてみた。
「今、目標にしているのがチョコレートの世界大会『ワールドチョコレートマスターズ』です。その大会に向けて、チョコレートの技術はもちろん、どういったフルーツが合うのかということも含め、もっともっと日々試行錯誤していきたいです」
見えない場所で育ててきた小さな花が、たしかに開いた。
高見澤さんの挑戦は、これからも一粒のチョコレートのように——新しい層を重ねながら、世界へ広がっていく。
文・土橋水菜子、写真・山本倫子


