
「夏休みが怖い」その声に、山梨県が動いた 緊急食料支援の舞台裏
「いつも夏休みが恐ろしくて本当に困っていました」。
これは山梨県の食料支援を受けた、ある親から寄せられた声だ。
山梨県が前例のない「子どもの緊急食料支援事業」に乗り出した背景には、
そんな悲痛な声があった。
■この記事でわかること
✔ 1日に2回以上食事をしていない世帯の割合が倍増している
✔ 子どもを対象にした食料支援は、山梨県にとって初めての試みだ
✔ 支援を届ける過程では、プライバシーへの配慮も徹底された
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声なき声が、県を動かした
多くの子どもたちにとって夏休みは楽しみなもの。
しかし、長引く物価高騰のなか、学校給食がなくなる夏休みは、食事の確保に苦しむ家庭にとって「恐怖」に変わる。
県の調査では、1日に2回以上食事をしていない世帯の割合が倍増しているという厳しい現実が浮かび上がった。
こうした物価高騰が映し出す厳しい現実は、県が実施した生活保護世帯への実態調査から浮き彫りとなった。調査結果は、少なくない世帯が「非常に厳しい状況にある」ことを示していた。
2025年2月から3月にかけて実施した県の独自調査と、2022年に国が全国で実施した調査と比較すると「1日に2回以上食事をしていない」と答えた割合は8ポイント増加。「1日に1回野菜を食べていない」家庭の割合は16ポイントも増加していた。単純な比較はできないが、食生活が深刻な影響を受けている状況が明らかになった。

普段なら、多くの子どもたちは学校給食で栄養バランスの取れた食事を摂れている。しかし、夏休みのような長期休暇中は、そのセーフティーネットがなくなる。経済的に困難な家庭では食事の回数を減らしたり、量を少なくしたりすることもあるという声が支援団体を通じて寄せられていた。
そこで、関係機関からの要望もあり、県はこの夏休みに緊急食料支援の実施を決めた。今回の支援では高校生も対象に含めた。学校との関わりが減り、本人が家庭の苦しい状況を隠すようになるため、周囲が家庭の状況に気づきにくくなるからだ。年齢を問わず全ての子どもを支えるべく、「直接動かなければならない」という危機感が県にはあった。
前例なきプロジェクトの舞台裏
「子どもを対象にした食料支援は、山梨県にとって初めての試みです」
こう話すのは、こども福祉課課長補佐の齊川征志郎さん。言葉通り、この事業は山梨県にとって前例のない挑戦だった。調査結果が明らかになったのは2025年の春、事業の仕組みが検討され始めたのは6月上旬。目前に迫る夏休みに何としても支援を届けなければならなかった。そのため6月の補正予算で緊急食料支援が事業化されると、7月2日には申請受付を開始するという驚異的なスピードで実現にこぎつけた。

短期間の複雑な事業を成功させるため、県はこども福祉課を中心に、他部署の応援も得て「局を挙げて」取り組んだ。普段は別の業務に就く職員も電話対応や申請審査に加わるなど、部署の垣根を超えた総力戦。食料の調達と配送では、倉庫機能を持つ大手事業者と配送能力のある事業者を同時に選定・調整するという、複雑な調整が進められた。
そうして届けられた支援物資は、1世帯につき約1ヶ月分にあたる31食。主食、主菜、副菜がバランス良く組み合わされ、選定にあたっては「常温保存が可能であること」「子どもだけでも簡単に調理ができること」「栄養バランスが取れていること」という三つの基準が重視された。
しかし、こだわりはそれだけではない。「もらった人たちが喜んでくれるように」という思いを最も大切にしたという。単に栄養を補給するだけでなく、箱を開けた子どもたちの心にも寄り添う工夫が凝らされた。ご飯ものに偏らないよう麺類を加えるなど、種類の豊富さを意識。「開けた時にどれから食べようかな、と思ってもらえそうなもの」を選んだという齊川さんの言葉には、温かい配慮がうかがえた。
支援を届ける過程では、プライバシーへの配慮も徹底された。生活困窮世帯であるということ自体がセンシティブ情報であるだけに細心の注意が払われ、配送物の品名は「食品」とだけ記載。
「外からは支援物資であることが分からないようにしました。また、不在時でも受け取りやすい『置き配』を可能にするなど、利用者の立場に立った工夫をしました」と話すのはこども福祉課児童養護担当の赤池大輔さんだ。さらに、アレルギーに関する注意喚起はもちろん、手続きに不安な人のためのヘルプデスク設置や、外国籍の家庭に向けた多言語での案内など、きめ細やかなサポート体制が事業全体を支えていた。

届いた感謝と見えた次への課題
支援物資にはアンケートが同封されていた。回答によると、「ほぼ全員が満足、またはやや満足」(満足87%、やや満足12%)だったという。
アンケートの自由記述欄には、具体的な感謝の言葉が並んだ。
「食料支援、本当に本当に助かります。感謝しかありません」
「子ども達はクリスマスプレゼントが届いた時のように箱を開けて大喜びしています」
「いつも夏休みが恐ろしくて本当に困っていました。迅速な支援を本当に感謝いたします」
そんな、悲痛な叫びに近いものもあった。寄せられた一つひとつの声が、この支援がいかに多くの家庭の心の支えとなったかを物語っている。
一方で、課題も見えてきた。支援対象と考える子ども約7000人に対し、実際に支援が届いたのは1613人(976世帯)と、想定を下回る結果となった。その原因についてこども福祉課総括課長補佐の井澤久さんは、「十分にその情報が生き届かなかったことが今回の反省点です」と率直に語る。
学校や市町村、SNSなど、さまざまな広報手段を尽くしたものの、本当に支援を必要とする家庭へ確実に情報を届けることの難しさが浮き彫りとなった。
井澤さんは「今回の支援については、学校からメールやアプリなどで案内を行いましたが、保護者の中には、見逃してしまう方もいたようです。また、一部の保護者の方からは、『案内や申請書の内容がちょっと分かりづらかった』というお声もいただきました。できるだけ分かりやすくなるように工夫したつもりではありましたが、行政の申請手続きにあまり慣れていない方にとっては、少し分かりづらく感じられるところもあったかもしれません。この経験は、今後の支援をより深化させるための重要な学びとなったと考えています」とこれからを見据えた。

食卓から、子どもたちの未来を照らす
この夏に届けられた31食の支援はゴールではない。むしろ、それは持続可能な支援への新たなスタートラインだ。長崎幸太郎知事が掲げる「誰一人取り残さない子どもたちへの支援」という理念を実現するために、県は次の一歩を踏み出そうとしている。
なぜ、子どもたちを支援するのか。そこには「子どもが置かれた環境によって、将来が決まってしまうことがあってはならない」という県の強い信念がある。貧困の連鎖を断ち切り、子どもたちが持つ無限の可能性の芽を育むこと。それは、未来の山梨そのものへの投資に他ならない。
県が目指すのは、行政の力だけに頼るのではなく社会全体で支える支援の輪だ。子どもたちに最も近いフードバンクやこども食堂といった民間の支援団体と手を取り合う。そして、企業の協力を得て、まだ食べられるのに廃棄されてしまう食料を「ありがとう」の気持ちと共に届ける。そんな新しい仕組みづくりに向けて、まずは関係者が集う協議会の設立が検討され始めた。

「夏休みが怖い」という声が二度と上がることのない社会へ。しかし「誰一人取り残さない」という理念の実現は、行政の努力だけでは成し遂げられない。取り組みを社会全体で支え、子どもたちの未来を育む大きな輪にしていくことが、今、私たち一人ひとりに求められている。
文:筒井永英、写真・今村拓馬


