甲斐の国から世界に一撃を はばたけ!未来のトップアスリート
国内、いや世界を相手に闘える人材を生み出す。
山梨県がそんな子どもたちを養成するプロジェクトを始動させている。
プロジェクトのコードネームは「カイシンのイチゲキ」。
戦闘ゲームでよく使われる言葉だ。
どんなプロジェクトなのか。真相を探った。
目次
「甲斐人の一撃」と書いて「カイシンのイチゲキ」
山梨学院大学の体育館で、小学生たちが走り、跳び、重いボールを投げていた。まさか、幼いころから戦士を鍛え上げるということなのか。
「私が『カイシンのイチゲキ』を担当している雨宮祐太です」
現れた人物がこのプロジェクトの黒幕だという。想像とはまるで違う、さわやかな青年だった。
「ここで選抜している子どもたちは、将来オリンピックや国民体育大会での活躍が期待できるアスリートの卵です」
アスリート?
「『甲斐人の一撃』と書いて『カイシンのイチゲキ』と読みます。会心の一撃から付けたプロジェクト名です。山梨の子どもたちが、いつか世界に一撃を与えてほしいという願いを込めました」
コロナ禍の真っただ中だったから…
雨宮さんは県スポーツ協会の職員で、2021年4月から県庁のスポーツ振興課に派遣されている。協会では競技力向上に関する業務を担当し、多くの選手を国内外の大会に送り出してきた。
「アスリートががんばる姿は本当に格好よくて、応援する楽しさを知りました。どうやったらオリンピアンを発掘できるだろうかと考えたとき、小さいうちからいろんな競技を体験してもらうことが大切なんじゃないかと思っていました」
県庁に異動したときはコロナ禍の真っただ中。例年なら実施している国民体育大会や競技団体への激励など、各種イベントなどが実施できない状態だった。
「コロナ禍でイベントなどが開けないので、課内で協議を重ねてプロジェクトの企画を練り上げる時間がありました。コロナ禍でなければ、この事業は生まれなかったかもしれません」
指導者や練習環境の整った競技団体と調整を進めて賛同を得て、2022年8月に1期生の選抜にこぎつけた。感覚神経が発達する世代(ゴールデンエイジ)にあたる小学5年生を体力測定し、1期生20人程度を選抜。そのうえで競技を体験できるスキルアップ教室や、基礎能力を向上させるための実技・座学を行う合宿を開催している。
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二刀流どころか三刀流も可能なマルチアスリートに
実は、アスリートの卵を発掘する事業は山梨県が先進例というわけではない。雨宮さんが参考にした「先進県」は福岡と岩手、山形だったという。
岩手の1期生には、北京オリンピック・スキージャンプ男子ノーマルヒル金メダリストの小林陵侑選手がいる。福岡、岩手、山形はいずれも「種目適性型」というシステムを採用していた。種目適性型とは、ひとつの種目に絞って小さいうちから才能を伸ばすのではなく、子どもたちがさまざまな種目を体験したうえで自分に合った競技を探す・選択するタイプだという。
「壁にぶつかっても、マルチアスリートは転向できる強みがある。二刀流どころか三刀流だって可能かもしれない。そんなスペシャルな能力を持つ子どもたちを支えていきたい」
「甲斐人の一撃」が種目適性型になった理由を雨宮さんはそう明かす。
県はプロジェクトを成功させるため、組織を立ち上げた。メンバーは国内を統括する競技団体の関係者、県内の大学教授、スポーツドクターやトレーナーらで、子どもたちの育成戦略や体験競技選びなど、未来のアスリートのために議論する場となっている。
子どもたちはマイナー競技になじむだろうか…
そこまで体制を整えたとはいえ、子どもたちが体験するのはウエイトリフティング、ホッケー、レスリング、カヌー。サッカーや野球などに比べたらマイナー競技が中心だ。選抜された20人の小学生になじんでもらえるだろうか……。
そんな大人の心配は必要なかった。月に3〜4回開かれるスキルアップ教室で、選抜された子どもたちは指導者らを驚かせた。
「やっぱり潜在能力の高い子たちなんです。例えばカヌーのパドリング、レスリングの組み方。その吸収力に指導者が舌を巻いていました。想定していたレベルを超えた内容まで指導が進みました」(雨宮さん)
スポーツを科学してメニューを決める
2023年1月中旬、合宿が行われた。合宿のメニューの一つ「コンディショニング調整」では、健康科学大学の粕山達也・理学療法学科長が登壇して、競技特性に応じて、疲労しやすい筋肉や負担がかかる関節などを解説し、具体的なストレッチの方法を教えた。
子どもたちを支える保護者向けのブログラムもあった。栄養面やアスリートを育成するプロセスで大人が意識しておくべきことなどについて、保護者は専門家の講義を聞いていた。
合宿の目玉は、山梨が輩出したトップアスリートとの交流だ。
東京オリンピックに出場したレスリングの乙黒圭祐・拓斗兄弟が実際に指導した。拓斗選手が金メダル(男子フリースタイル65kg級)を見せると、子どもたちは興味津々だった。雨宮さんは「乙黒兄弟は、こういうプログラムなら今後も協力したいと言ってくれました。心強いです」と話す。
2023年度は20人が10競技にチャレンジ
2期生の選抜に向けて1月29日に開かれた体力測定会には、県内全域から約80人の小学4年生が参加し、5つの測定項目に挑戦した。
①身長・体重・座高
②20m走
③立ち幅跳び
④反復横跳び
⑤メディシンボール投げ
5つの測定結果だけでなく、測定の際に垣間見られたスキルなどの要素を加味して選んでいる。選考基準にもスポーツ科学が生かされているのだ。
こうした選考の末、2023年度の「未来のトップアスリート候補」は20人が選ばれた。
1期生はウエイトリフティング、ホッケー、レスリング、カヌーの4競技にチャレンジした。2023年度はバージョンアップし、
▽ライフル射撃
▽スポーツクライミング
▽ラグビー
▽アーチェリー
▽アイスホッケー
▽ハンドボール
を加えた10競技に子どもたちは挑戦することになった。
甲斐人の一撃プロジェクトをもっと多くの人に知ってもらおうと、県は県内の対象小学生全員に事業のリーフレットを配って認知度を高めていくという。
「山梨県からオリンピアンが育ってほしいと思っていますが、厳しい世界なので全員がオリンピアンになれるわけではありません。オリンピアンをめざすだけでなく、この甲斐人の一撃プロジェクトを通じて、子どもたちが人間力を高めてもらえたらうれしいです」(雨宮さん)
価値観が多様化し、生き方も多様になった。子どものころから、オリンピアンをめざすのもアリだ。はたして、この選抜メンバーから世界を相手にするアスリートは出てくるのだろうか。
数年後、結果が出る。
(肩書などは2023年3月末現在のものです)
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文・大野正人