前代未聞!山梨県が塾代を負担へ すべての子どもが将来の夢をかなえてほしいから 

貧しくて学べない子どもがいる。
将来の夢や進学をあきらめている子どもがいる。
そんな社会を終わらせようと、
山梨県が、前例のない道を一歩踏み出した。

33.3%の衝撃

 きっかけは、山梨日日新聞の2022年6月22日付朝刊だった。

 記事は、市民団体から情報公開請求を受けた厚生労働省が、生活保護を受けている世帯の高校生の大学等進学率(専門学校なども含む、以下同じ)を都道府県別に初めて発表し、市民団体の分析で都道府県別の大学進学率が明らかになったという内容だった。

 その結果によると、山梨県の生活保護世帯の大学等進学率は33.3%と全国21位で、県全体の大学等進学率73.5%(2021年度学校基本調査)の半数に満たないことがわかった。この結果を見た長崎幸太郎知事は「この差は大問題だ。早急に打てる施策を考えてほしい」と県庁内に指示を出した。

知事の熱意が事務方を動かす

 関係者の話をもとに、県が塾費用負担を打ち出すまでの軌跡をたどってみる。

 8月、関係部局を集めたオンライン会議が開かれた。この場で知事は「格差を解消するため、貧困家庭の子どもたちが塾に通えるようにできないか」と熱く語ったという。

 翌9月、子育て支援局や教育委員会、福祉保健部などが協議。さらに、11月末、関係部局は再度話し合いの場を持った。

 この場に参加した知事は
「現状では施策が十分ではない」
「進学率の開きは、家庭の経済環境で大学進学をあきらめた割合ではないか」
「子どもの貧困対策を進めるにあたって、生活保護世帯の大学等進学率アップは象徴的なKPI(達成目標)だ」
「多くの塾の協力を得て、生活保護世帯の子どもも塾に通えるようにすることが必要だ」
などと意見を述べた。

 その場にいた職員の一人は「知事が塾費の負担を念頭に置いていることは理解していたが、複数の部局が関係する施策なので、どう進めていったらいいのか迷っていました」と話す。

議会答弁もギリギリまで調整

 関係部局の話し合いが続くなか、12月9日の県議会を迎えた。この日の議会では、子どもに対する教育支援について県議からの質問が予定されていた。担当部局の職員は、次のような答弁案を用意していた。

「今後は生活保護世帯であるがゆえに大学進学や夢をあきらめることのないよう、学習塾を活用した教育支援など新たな施策の検討を進め、(※後は省略)」

 しかし、知事はより踏み込んだ答弁をすべきと考え、

「今後は生活保護世帯であるがゆえに大学進学や夢をあきらめることのないよう、民間大学予備校への受講料や教材費の助成など民間学習塾を活用した教育支援など新たな施策の検討を進め、(※後は省略)」

と答弁案を修正し、塾の費用を県が負担するという方向性を示したのだ。

 制度づくりや事業の実施は子育て支援局が中心となり、1学期に間に合わせるため、2023年度当初予算案に盛り込むことになった。

「イコール・フッティング」で

 その後の県庁内の協議を通じて浮かび上がってきたのは、「一般世帯の子どもと生活保護世帯の子どもがまったく同じように行動できる『イコール・フッティング』」という考え方を踏まえて事業を考えないといけないということだった。

 具体的には、
▽生活保護世帯で「塾に通いたい」と思った子どもは通塾できるようにする
▽特定の塾ではなく、子どもが希望する塾を選択でき、通えるようにする
▽塾と協議して、他の子どもと同じ条件・環境で学習できる
▽生活保護世帯の子どもだと周囲にわからないよう配慮する
という点だ。

制度設計が終わったのは12月28日深夜

 制度設計の実務を担当することになった子ども福祉課の井澤久・課長補佐(冒頭の写真左)は「前例がない施策なので、正直言って最初は途方に暮れました」と話す。

 制度設計にあたっては、次の3つをポイントにした。

①生活保護世帯に直接給付しない方法があるか
 県は「塾費用」として給付しても別の目的に使われてしまっては元も子もない。そこで考えたのが、塾に補助金を給付する方式だった。

②子どもにどうアプローチするか
 広くPRして、この制度を利用してもらう方法も考えられたが、その方法は採らなかった。生活保護世帯には担当のケースワーカーがいて、日々の暮らしを把握している。このケースワーカーが子どもに直接話をして通塾を勧める方法にした。

③友だちと一緒に行ける塾に通えるようにできるか
 どこか特定の塾と契約し、その契約先の塾に生活保護世帯の子どもを通わせる方法もあった。しかし、友だち同士で「あの塾、一緒に行こうよ」という話になったときに自分だけ行くことができず心理的に傷つけてしまうこともあり得る。このため、多くの塾の理解と協力を得ていくことにし、生活保護世帯の子どもが通える塾を基本的に限定しないことにした。

 当初予算に間に合わせるため、関係部局との協議や資料作成は断続的に続いた。井澤さんが予算資料を完成させ、財政課の担当者にEメールで送ったのは、仕事納めの2022年12月28日(水)。送信時刻は午後11時41分だった。

<子ども未来進学支援事業費補助金の概要>
対象は中学2年から高校3年までの生活保護世帯の子ども。ケースワーカーが子どもに直接説明し、塾での学習を勧める。子どもを受け入れることができる学習塾や予備校は県に対し事前に登録申請をする。子どもは登録された塾の中から希望する塾へ申し込む。塾の費用(月額上限30万円)は県が塾側に直接支払う

予算案説明の3番目

 2023年2月27日、県議会が開会した。知事は、全体的な県政運営の方針を述べた後、2023年度当初予算案に込めた思いを説明した。冒頭は「少人数教育の拡充」、続いて「教職員の処遇改善」。そして3番目がこの制度だった。

「いかなる家庭環境であっても、子どもが将来の夢や進学をあきらめることがあってはならない」

 井澤さんは「県民の皆さんから賛否両論の意見をいただいています。まずは、施策が実際に始まったらいろいろな問題が出てくる可能性もありますので、今後の対応は、阪本正範・主査(冒頭の写真右)と進めていきます。また、生活保護世帯でなくても昨今の物価高で生活に困っている家庭も増えているなかで、どのような支援制度がいいのか、今後も考えて続けていきます」と話した。

 いま井澤さんのもとには、他の自治体からの問い合わせが相次いでいるという。

文、写真・松橋幸一

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