施設退所後の若者を支える
若者自立サポートセンター「いっぽ」の挑戦

虐待や貧困、親との死別など、
さまざまな事情から児童養護施設で育った子どもたち。
実は施設を退所したあと、
経済的な困窮や孤立に追い込まれやすいのが現状だ。
そんな若者たちの自立を支えようと、
日々現場を駆け回る女性がいる。
若者自立サポートセンター「いっぽ」の山川真朱美さん。
生きづらさを抱える若者たちに寄り添い、
ともに歩む彼女の姿を追った。

説明文

 2025年度から、新コーナー「in depth プラス」を始めます。

 登場するのは、皆さんの身近で活躍するミライ思考の人たち。幅広い人たちにじっくり話を聞き、その息吹をお伝えします。

■この記事でわかること
✔ 2020年に児童養護施設を退所した若者を支える施設を開設した
✔ 若者の孤立や困窮を防ぐために交流会や講座を実施している
✔ どんな問題児でも大切にしているのは見守ること

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気軽に集える“第二の家”

「お待たせしました〜!」

 甲府市にある「若者自立サポートセンター いっぽ」を訪れると、明るく親しみやすい雰囲気の女性が出迎えてくれた。自立支援コーディネーターの山川真朱美さんだ。

「今ちょうど、“ご飯会”の準備中なんです」

 リビングに案内されると、台所からは食欲をそそる香りが漂ってくる。この日の献立は「三色漬け丼」と「豚汁」だ。

ご飯会の献立は、三色漬け丼と豚汁

 建物は古民家のような落ち着いた佇まいで、壁にはレトロなボンボン時計。どこか懐かしく、温かみのある空間だ。大きな鍋で豚汁を作る山川さんの姿は、まるで大家族のお母さんのよう。

 夕食の時間になると、年齢もバックグラウンドもさまざまな若者たちが集まってくる。

 若者たちはみな、いっぽを通じて知り合った仲間どうし。笑い声が絶えず、にぎやかな雰囲気だ。

おいしそうな料理が並んで、歓声が上がる

 ここ「若者自立サポートセンター いっぽ」は、2020年8月に開設された。児童養護施設などを巣立った若者たちが、社会で自立して生きていくための支援を受けられる場所だ。

 月に2回ほど開かれる“ご飯会”も、数ある交流会の一つ。山川さんは、交流会の意義について「孤立」という言葉に言及する。

「この仕事を始めてから、『孤立』って何だろうと改めて考えるようになりました。児童養護施設にいる子たちって、同じ境遇の同世代がたまたま同じ場所にいるだけで、実は必ずしも仲が良いわけではない。退所すると、ただの他人になってしまうことも多く、やっぱり兄弟姉妹とはまた違う関係性なんです。そうして周囲との縁が切れた子たちは、身近に相談できる友達や大人がいないことで、困ったときにどう乗り越えればいいのか分からない場合もあります」

 だからこそ、同じような経験を持つ仲間と出会える場所を用意することが大切だ。みんなで一緒に食事をするのが苦手であれば、無理せず別の部屋で食べても構わない。顔を見せに来るだけでも、山川さんや生活相談支援員の小町谷麗さん、就労相談支援員の坂本亜紀さんが温かく迎えてくれる。気軽に立ち寄れて、ほっとできるこの場所は、まさに“第二の家”のような存在だ。

「この先、子どもたちが10年、20年と人生を歩んでいく中で、何が残るかと言ったら人とのつながりだと思うんです。つらいときに『自分と同じ悩みを持っているけど、この子はこんなに明るく頑張っているんだ』と感じられたら、『自分は一人じゃない』と実感できるのではないかと考えています」

殺到する若者からのSOS

 児童養護施設などを巣立った子どもたちの自立支援は、長年にわたり全国的な課題となっている。

 施設を出た後の継続的なアフターケアは、法で義務化されているものの、その具体的な内容や実施方法は自治体や施設ごとに大きな差がある。そもそも現場の施設職員は、今いる目の前の子どもたちの対応で手一杯になりがちだ。そのため、退所後の若者への支援が十分に行き届かないケースは少なくない。

 2024年4月の児童福祉法改正によって、従来の「原則18歳、最長22歳で退所」という年齢制限は撤廃された。しかし、実際に支援を受けられるのは、都道府県が「やむを得ない事情がある」と認めた場合に限られ、全ての退所者が対象となるわけではない。

 こうした現状を、かつて児童養護施設の職員として働いていた山川さんは、日々肌で感じていた。そして「いっぽ」設立の際、彼女に声がかかった。

「もともと山梨県内には7つの児童養護施設や里親支援センター、ファミリーホームなどがありますが、施設を出た後の子どもたちを支える“アフターケア”の仕組みは、それまで全くありませんでした。そこで県から業務委託の公募があり、私たちの施設が手を挙げて『いっぽ』を開設することになったんです。2020年、最初の1年目は私一人で、その後はスタッフが入れ替わりながら2〜3人で運営しています」

開設当初は、まず「いっぽ」の存在を知ってもらうことから始まった。

「山梨県内を回って『こういう支援を始めました』と広報活動をしました。最初は児童養護施設の職員の方から『不安なのでこの子を見てもらえませんか』といった相談を受けるところから始まりましたね」

 やがて、存在が知られるようになるにつれ、若者たちからの相談件数は急増。メールやLINE、電話などを含めると、年間で3000件を超える相談が寄せられるという。

 しかも、1人の相談者が抱える悩みは1つではない。生活や就労、メンタルヘルスなど多岐にわたる課題を同時に抱えていることが多く、「次に会ったときには、また新しい問題が増えていることもよくあります」と山川さんは話す。

「土日や夜中も関係なく、ひっきりなしに相談の連絡が来ます。夜中に『死にたい』と連絡が来ることも珍しくありませんし、ときには『警察に保護されたから迎えに来てほしい』といった連絡もあります。『もう、いい加減にして!世の中の人は寝てる時間だよ!』と叱りながらも、結局は車で迎えに行くんです」

 山川さんは明るく語るが、大勢の若者の悩みを一身に受けるその苦労は計り知れない。

 寄せられる相談の中でも特に多いのが、メンタル面での不調だ。

「施設にいるときは『自分は大丈夫』と精神科の受診を拒んでいた子も、社会に出て一人で抱え込むようになると、自分の課題が一気に重くのしかかり、乗り越えられずに引きこもってしまうケースも多いです」

いっぽに寄せられる相談は年に3000件を超える

 深刻なメンタルヘルスの問題を抱える若者には、「いっぽ」と連携している精神科の受診を勧め、まずは自分の状態を見つめ直すことから始めてもらうという。

 医療機関のみならず、行政の福祉課や生活保護課、警察など、さまざまな関係機関に加えて不動産業者などとも連携しながら、若者たちの多様な相談に対応できるようにしているそうだ。

“経験値の差”を埋める学びの場

 児童養護施設で育った子どもたちは、一般家庭で育った子どもたちと比べて、どうしても生活経験が限られてしまう傾向がある。

 そのため「いっぽ」では、実生活に役立つさまざまな講座を定期的に開催している。たとえば「お金の知識」や「一人暮らしのコツ」、「生き抜くための7つのこと」など、日々の暮らしに直結したテーマが並ぶ。

 中でも反響が大きかったのが、今年実施した「お金について」の講座だ。

「最初はみんな、毎月自分で何十万円も稼いでやりくりするという感覚がなかなか持てません。これまでもお金に関する講座はさまざまな形で行ってきましたが、今年はそれを“人生ゲーム”のような形式にしたことで、とても盛り上がりました」

 この講座では、おもちゃのお金を使い、銀行役から給料を受け取るところから始まる。その後、家賃やアクセサリーなどが描かれたカードを「ニーズ」と「ウォンツ」に分けて選び、実際に給料から出費する体験をする。元中学校教師の講師を招き、参加者たちは楽しみながら学ぶことができたという。

「講座後のアンケートで『これからはちゃんと貯金しようと思った』と書いてくれた子もいて、しっかり伝わったんだなとうれしくなりました」

 また、講座以外にもBBQやボウリングなどの交流イベントを定期的に開催している。さらに、年に一度はフォーマルな食事会も行っているのが特徴だ。

「最初は県からの委託事業ということもあり、費用のかかるフォーマルな食事会を開くべきかスタッフ間で悩みました。でも、社会に出れば友人の結婚式や会社関係のお葬式など、フォーマルな場に出る機会は必ずあります。家族との関係が薄い子も多いですが、社会で生きていく上でそうした経験は必要だと考えました」

 昨年は洋食、今年は和食の懐石料理を体験。来年は中華料理を予定しており、若者たちが語り合いながらテーブルマナーを楽しく学べる場となっている。

一歩踏み出すの「いっぽ」、一歩ずつの「いっぽ」

 自立支援センター「いっぽ」という名前について、山川さんはこの5年間でその意味合いが変化してきたと語る。

「最初は特に深く考えていなかったのですが、今では『一歩踏み出す』のいっぽでもあり、『一歩ずつ』のいっぽでもあると実感しています。名前の意味を思い返すと、『この場所だからこそ、私も頑張らなきゃ』という気持ちになれるんです」

 実際、若者たちを支える日々は“一歩ずつ”の積み重ねであり、常に試行錯誤の連続だ。

「若者の支援は本当に簡単なことではありません。相手はエネルギーがあって、『嫌なものは嫌!』と全力でぶつかってきますから。そのパワーを良い方向に導ければいいのですが、なかなか思うようにはいきません。正直、腹が立つこともありますよ(笑)」と山川さんは率直に語る。それでも「我慢強く、長期戦ですね」と、どっしりと構えている。

若者たちとの向き合いはバトル。明るく見守る山川さん

 そんな中で、特に大切にしているのは「見守る姿勢」だ。

「大人の正論は、絶対に押し付けないようにしています。たとえば、その子が抱える悩みに対して『こうすべき』という100%の正解をぶつけたところで、本人にとっては0%なんです。だから『どうしたいの?』と問いかけて、本人の中から答えを引き出すことが大切。否定せずにじっと見守っていると、本人が変わろうとする瞬間がふっと訪れる。そのタイミングを逃さずに一言、二言アドバイスをすると、自分で軌道修正していってくれる気がします」

 若者が良い方向に“いっぽ踏み出す”のを、山川さんはそばで見守りながら待っている。

出会い、成長した“問題児”

 これまで多くの若者たちを見守ってきた山川さんが、「出会ってから、ものすごく変わった」と紹介してくれたのが、「リサさん」(仮名)という女性だ。出会ったときの彼女は、児童養護施設や自立援助ホームを退所させられるほどの、いわゆる「問題児」だったという。

 アルバイトも長続きせず、ガソリンスタンドの面接に合格して一度も出勤せず辞めてしまったことも。一人暮らしを始めても、すぐに彼氏の家に移り住み、自分の家を放置してしまうこともあった。リサさん自身、「最初は山川さんと全然仲良くなかった」と振り返るが、数々のトラブルを一緒に乗り越える中で、少しずつ信頼関係が築かれていったという。

「山川さんは何でもはっきり言ってくれるし、嫌味がないんです。私も思ったことをはっきり言うタイプなので、ストレートに言ってもらえる方がありがたい。遠回しに言われると『何が言いたいの?』ってなっちゃうので」

 山川さんの裏表のない率直な姿勢に、リサさんも徐々に心を開き、時には素直にアドバイスを受け入れるようになった。山川さんは「昔は『リサ、悪くないもん』が口癖だったけど、今はそれが全然なくなりましたね」と微笑む。

成長したリサさんと談笑する山川さん

 今では、悪影響のあった人間関係を断ち切り、飲食業界で働きながら生計を立てて一人暮らしをしている。給料の一部は母親に仕送りし、さらに一部は山川さんに手伝ってもらいながら貯金しているという。

 仕事への向き合い方も大きく変わった。「前は何も考えずに適当に働いていました。でも、周りの子たちが売上を伸ばしているのを見て、負けたくない気持ちが出てきたんです。自分が苦手なことを、売上の高い子たちに『どうしてる?』と聞いて、その通りにやってみたら、自分の売上も伸びてきました」とリサさん。

 たとえば、常連のお客さんにLINEを送るタイミングにルールを定めて習慣化するなど、日々工夫を重ねながら仕事の質を高めているという。「少しずつだけど、頑張った分だけ結果が出るのがうれしい」と語るリサさんからは、プロ意識すら感じられる。

 山川さんも「一人暮らしをして、仕事をして、給料をもらう。以前のリサからは想像できなかったことなので、本当に成長したなと思います」と、感慨深げに語っていた。

支援の輪を広げるために

「いっぽ」の活動を支えるために、私たちにできることは何だろうか。山川さんは「まずは知ることから始めてほしい」と語る。

「若者たちが直面している課題や、施設退所後の支援がどれほど大切かを知ってもらうことが、最初の一歩だと思います。企業の皆さんには、こうした若者たちに働く場を提供していただきたいですし、地域の方々には、偏見を持たず温かく見守っていただきたい。それが大きな支えになります」

 現在、山梨県内で施設退所後の若者を支援する拠点は「いっぽ」一つだけ。富士吉田方面からの相談も増えており、今後はそちらにも足を運ぶ予定だという。

「本当はもっと職員がいれば、よりきめ細やかな支援ができるのですが、現状では限られたマンパワーでできる限りのことをやるしかない。何もないよりは、あることが大切だと思っています」

 人手不足の中でも、悩みを抱える若者たちのために歩みを止めることはできない。「弱い立場だから特別扱いする、といった支援の仕方ではなく、人と人とのつながりの中で、『助けてくれる人がすぐ目の前にいる』と感じられる幸せな社会になれば、若者の孤立や自殺も減らせるはず」と山川さん。スタッフの深い愛情が、「いっぽ」という場所を支えている。

「私自身、自己肯定感が低くて、子どもたちの人生に関わるような大層なことが自分にできるのか不安でした。開設から5年経った今でも、この仕事を引き受けて良かったのか悩む日もあります。でも、子どもたちが自分の力で前に進めるように、やるしかない。これからも一歩ずつ、着実に支援していくことが、私たちの役割だと思っています」

 若者とともに歩む「いっぽ」の挑戦は、これからも続いていく。

文・中村麻衣子、写真・山本倫子

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