年間約50人「つらい出産」を経験したお母さんをサポートするために/リトルベビーハンドブック【後編】
2022年3月に山梨県が配布を始めた「やまなしリトルベビーハンドブック」。
小さく生まれた赤ちゃんと家族のためのサポートブックで、出生体重が1500g未満の子ども、もしくは2500g未満の低出生体重児の中でも、特に支援が必要な家族に向けて提供されている。
なぜ、低出生体重児に「やまなしリトルベビーハンドブック」が必要なのか。
出産後、お母さんを苦しめる要因とは何か。
県庁職員がリトルベビーの親と話し合い、模索を続けた結果、ブックは誕生した。
おめでたいはずの出産が…
突然、一枚のハガキが届いた。
「こんなに大きくなりました」
晴れ着姿の女の子の写真が印刷されたハガキには、メッセージが添えられていた。リトルベビーハンドブックの作成にあたった保健師の松井理香さん(現・山梨県富士・東部保健福祉事務所次長)は、差出人の名前を見て懐かしく思い出した。
「大きくなったね……」
山梨県では1500g未満の「極低出生体重児」が年間50人ほど誕生する。早産などのため小さく生まれた低出生体重児は、身長や運動機能、学習面での発達が通常の体重で生まれた子どもと比較して「ゆっくり」と進む傾向がある。
また、生まれたときには呼吸器や循環器などが未成熟なケースも多く、新生児期には特別な医療が必要となる。そのため、多くの極低出生体重児は誕生後、体温や呼吸、輸液などの管理を医療スタッフが24時間体制で行うNICU(Neonatal Intensive Care Unit:新生児集中治療室)で、母親と離れて過ごすことになる。治療が必要となるのは臓器だけではない。未熟児網膜症や難聴など、目や耳にもさまざまな症状が現れる。
その後、状態が落ち着くとGCU(Growing Care Unit:新生児治療回復室)へ移る。入院期間は個人差によるところが大きい。
小さく生まれた子どもをめぐっては、退院後も悩みが尽きない。保健師は定期的に低出生体重児と親に面談し、見守ってきた。ハガキに映っていた晴れ着の女の子は、その面談で松井さんと何度も顔を合わせていた。
山梨県内でNICUを経験した親子を支援する育児サークル「*M―ちゃいるど*」代表の岩出絹子さんは、544g・560gで双子の赤ちゃんを出産。現在中学3年生の2人の子どもは、NICUでそれぞれ6ヶ月・7ヶ月を過ごした。
「実年齢と、目の前にいる子どもの成長を比べたとき、とても悩みました」
松井さんの仕事を今年春から引き継いだ子育て政策課の大船朋美さんは、「小さく生まれた子どもが『一般的な』体重で生まれた子どもの成長に追いつくのには、個人差があります」と話す。
「本来なら、出産はとてもおめでたいことです。けれども、低出生体重児を産んだお母さんは、『小さな状態で出産してしまったこと』に対して申し訳なさを感じたり、ご自身につらくあたったりしてしまうこともあるようです」(大船さん)
低出生体重児の親は、「一般的な」成長をたどる子どもと、小さな我が子を比較してしまう。
交付される母子健康手帳も、母親をさらに追い詰める。多くの母子健康手帳では「首がすわっているか」「寝返りをするか」などの成育に対し「はい/いいえ」の2択で記録を進めていく。しかし、低出生体重児は、「一般的な」体重で生まれた赤ちゃんと比較して、身体の発育や成長がゆっくり進むこともあるので、質問項目のほとんどが「いいえ」で埋まってしまうという。
「成長記録をつけている意味がない」
「こんなにも発育が遅れていて、我が子は本当に大きくなるのだろうか」
保護者は成長発達の不確かさに不安を抱いてしまう。
低出生体重児の存在を知ってもらいたい
そうした保護者の声を踏まえ、山梨県では母子健康手帳を補完するものとして「やまなしリトルベビーハンドブック」を作成することにした。作成を県に頼んだのは、育児サークルを主宰する岩出さんのほか、サークルスタッフの三水由香里さん、玉置已穂さんの3人だ。
ハンドブック作成の実質的なスタートは2020年9月だった。当時子育て政策課だった松井さんが、岩出さんらからハンドブック作成への思いをヒアリングしたときからだ。松井さんは、静岡県、広島県、岐阜県、福岡県と、さまざまなハンドブックの先行事例を集めた。そして、県内の98%の「リトルベビー」が生まれる山梨県立中央病院の総合周産期母子医療センターや助産師会、保健所、市町村の保健師、産婦人科や小児科の医師が所属する団体などあらゆる関係者に協力を仰いだ。ハンドブックの必要性はみな感じていたようで、協力的だった。
その後、ハンドブックの「たたき台」を作成した松井さんは、検討会でさらに関係者の意見を集めた。検討会の議論は白熱し、「意見がたくさん出過ぎて、取捨選択するのが大変でした」と松井さんは言う。コロナ禍の影響で予定していた検討会を見送ることもあったが、メールでのやり取りをこつこつ続けた。
「お母さんのコメントを書ける欄を増やしたい」「出産後だけでなく、退院後も『おめでとう』を言ってあげたい」「山梨らしいイラストを入れたい」……。多くの意見を盛り込んで、ハンドブックは少しずつ完成に近づいた。そして、2021年12月に最後の検討会が行われたのち、翌年2022年3月、ついにハンドブックは完成した。
「かわいい手帳ができたね」
できあがったハンドブックが届いたとき、子育て支援局内でも思わず喜びの声が上がった。
ハンドブックでは、「首がすわっているか」「寝返りをするか」といった問いに対し「はい/いいえ」で答えるのではなく「できるようになった日付」を記入する方式を採用。あわせて、保護者のコメントを書き込めるよう、スペースも大きくとった。自由記入欄も設けられており、子どもそれぞれの成長を自由に記録できる。
「自分の子どもの成長がわかる、成長を楽しみにできるような手帳になっていると思います」(松井さん)
さらに、子どもの成長に合わせて記録する発育曲線のグラフも「0g」からスタートし、多様な子どもの成長を記録できるようになっている。従来の母子健康手帳では体重が1000gより記入できる仕様となっているが「低出生体重児は、出生時の体重が書けない」という声があがったためだ。
*M―ちゃいるど*スタッフの玉置さんは「ハンドブックを通じて、低出生体重児やNICUの存在を知ってもらいたい」と訴える。
「NICUやGCUにいたと言っても、それがどのようなことなのかわかってもらえないことばかりで。うちはNICU・GCUを経験した男の子が2人いるのですが、体調を崩しても『男の子は体が弱いからね』と誤解されることが多いんです」
低出生体重児は幼いころは特に、さまざま病気のリスクがつきまとう。玉置さんが生んだ男の子は670g。NICUへ入院中も心不全、肺炎、目、耳とたくさんのハードルを乗り越え、現在は小学2年生だ。それでも「コロナ禍は本当に苦労した」と玉置さんは語る。
「風邪を引かせてしまうと大変なので。でも、その理由をなかなか理解してもらえないんです。むしろ、『風邪を引いた方が免疫もつくよ』なんて言われることもありましたね」
時には「神経質だ」と揶揄されることもあったという。
表紙と裏表紙のイラストを手がけた三水さんは714gで女の子を出産。NICUへ入院中の子どもが目の病気を発症し、山梨県立中央病院から東京都内の病院にドクターヘリで搬送されることもあった。ハンドブックの完成を待ち望み、一時は自費出版まで考えたという。
代表の岩出さんは「ハンドブックが行政から出たことが大きい」と話す。
「市販のものだと、だめなんです。県に理解されて、受け入れられて、交付されたことに意味があります。私たちの子どもが認めてもらえた、認知された……。そんなふうに感じて、完成したときは本当に感動しました」
成長が進むたびに、喜びを感じられるように
子育て政策課へ異動する以前は、各地の保健所で母子をサポートする保健師として働いていた松井さんと大船さん。低出生体重児も含め、それぞれの家庭を訪問していた過去を振り返る。
「お子さんの発達が進んでいくたびに、お母さんと一緒に喜んだことを覚えています」(松井さん)
「岩出さんからハンドブックのお話を伺ったとき、保健師として家庭を訪問していた時代を思い出しました。そのときお母さんから伺っていた悩みと、岩出さんがおっしゃることに重なる部分がとても多くて。ハンドブックが、たくさんのお母さんのサポートになればと思います」(大船さん)
親と県職員、医療関係者らが1年半議論し、思いを込めてじっくり編み上げた76ページの小さなブック。子育て政策課には連日、低出生体重児の保護者から、多くの問い合わせが届いている。
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「ハガキの女の子は、生まれた当時900g台だったんです……」
松井さんは優しいまなざしで写真を見つめた。
(肩書はいずれも記事公開時のものです)
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文:土橋水菜子、写真:今村拓馬