職人たちをヒーローにしたい!山梨のハタオリ文化を広める“ドクター・イガラシ”

そこはもう、織物のワンダーランドだった。
山梨県富士吉田市にある産業技術センター富士技術支援センターの奥まった一画。
何十枚もの色鮮やかなジャカード織物の布地が吊るされ、
壁には織物のイベントを告知するポスターが貼られている。
書棚には、テキスタイルやデザインなどの書籍がずらりと並ぶ。
さらに奥の部屋には撚糸機や織機まで置かれた、わくわくするような「秘密基地」。
今回の「やまなしin depth」は、その主のストーリー。

◼️この記事でわかること
✔ 裏方に徹する職人たちを表舞台に立たせたい、という思いから、山梨県の研究員が公式ブログや産地バスツアーを始めた
✔ 東京造形大学とのコラボがスタートし、学生からリスペクトされたハタオリ職人たちが自尊心を取り戻していった
✔ 山梨の伝統織物「甲斐絹(かいき)」は、明治~昭和の文学作品にたびたび登場するほど大流行していた

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ものづくりの現場のかっこよさを伝えたい

 2023年11月23日から12月17日まで、富士吉田市で「フジテキスタイルウィーク2023」が開催された。この催しは、アートやデザインを通じて、テキスタイルの新たな可能性を模索し発見するイベント。国内唯一の布の芸術祭として知られる。

 山梨県の繊維工業品出荷額は全国31位(2020年)と、決して多いほうではない。それなのになぜ、山梨のテキスタイルはここまで大きな注目を集めているのか。「織物山梨」のムーブメントを生み出した立役者の一人が、富士技術支援センター繊維技術部主幹研究員の五十嵐哲也さんだ。

 大学でプロダクトデザインを学んでいた五十嵐さんは卒業後の1991年に山梨県庁に入り、1999年に現在の富士技術支援センター繊維技術部へ異動した。繊維技術部に来て、最も強く感じたのは、ものづくりの現場のかっこよさだった。

「職人さんたちの、真摯に良いものを作ろうと努力している姿が、すごくかっこいいと思ったんです。それなのに、職人さんたちは、あくまで裏方という立場に徹しています。どうしてものづくりの中枢で努力を積み重ねている人が、表に出てこないんだろうと。憤りに近い気持ちを感じていました」

 この思いから、五十嵐さんは独自の動きを始める。めざすゴールは、職人たちが「ヒーロー」になる舞台を築いていくことだった。

ブログ開始、そしてバスツアーも

 2011年8月、富士技術支援センター公式ブログ『シケンジョテキ』を立ち上げた。センターは明治に設立されたときは「山梨縣工業試験場」。愛称として定着している、シケンジョによるテキスタイル・ブログの略だ。織物職人たちの等身大の姿や産地の魅力をネットで発信しはじめた。

 ほぼ同時期に、山梨ハタオリ産地バスツアーを初開催。デザイナーやアパレルバイヤーに山梨県内の織物工場を見学してもらい、BtoBマッチングの場にしている。ここから数々の取引も生まれた。コロナ禍が始まるまで、ずっと年3回のバスツアーを継続。このツアーは今では地元の繊維組合が引き継ぎ、五十嵐さんもアテンドしている。

「取引に繋がることも大切ですが、それよりも、『山梨の織物産地は行っていい産地だ、受け入れてくれる場所だ』ということを知っていただくことの意義が、非常に大きいと思っています」

 繊維工場は小さな企業が多く、専任の営業担当者がいないことが多い。そのため、取引先が固定化され、景気の後退でだんだん取引が先細りしている状況にあった。バスツアーは、新しい取引への接点づくりとして大きな役割を担っている。

 初回のバスツアーに参加したファッションデザイナーの山縣良和さんは、自身が主宰するファッションの私塾「ここのがっこう」の展覧会を富士吉田市で開催。山梨のテキスタイルは、工業製品としてだけでなく、ファッションを支える土台としての評価も定まりつつある。

2016年に山梨県富士工業技術センター(当時)が発行したフリーペーパー「LOOM(英語で「織機」の意)」。産地の未来を背負う若い職人たちにスポットを当てた

学生たちが職人技に魅せられたプロジェクト

 五十嵐さんの独自の動きは止まらない。

 東京造形大学テキスタイルデザイン専攻領域と富士吉田市と西桂町の織物メーカーによる産学共同の開発事業として、2009年にフジヤマテキスタイルプロジェクトが発足した。発端は、「鈴木マサルさんの教え子とコラボしてみたい」という産地の若手後継者の声だった。鈴木マサルさんは東京造形大学の教授で、当時織物組合の展示会にコーディネーターとして参画していた。

 プロジェクト発足後、学生が日常的に産地へ通うようになり、ともにプロダクトを作りあげるという体験が始まった。

 テキスタイルについて学び、手作業で生地をつくったことのある学生たちは、織物メーカーの技術がどれだけ優れているかにすぐ気づく。この糸がどれだけ細くて切れやすいか、それを準備することがどれだけ大変なことかを知っているので、工場に行くと目をキラキラさせて工程に見入り、感嘆の声をあげる。

 取引先企業の厳しい要望に対応し続けることですり減っていた職人たちの自尊心が、学生たちのリスペクトによって蘇った。

※関連動画

 こうしたプロジェクトで、常に職人たちに伴走してきた五十嵐さん。確実な「変化」を肌で感じていたという。

「バスツアーにしても学生との協業にしても、最初は口下手でなかなか説明できなかった職人さんが、回を重ねるごとにどんどん説明がうまくなって、途中で笑いをとったりできるようにまでになりました。話せる職人というのは、非常に強いですよね」

 東京造形大学を卒業後、山梨に移住し、富士吉田市周辺のメーカーに就職する学生も現れた。

「LOOM」に紹介されている高須賀活良さん(右ページ)。かつて富士工業技術センター繊維部(当時)の臨時職員で、現在は『ハタオリマチのハタ印』ディレクター、アーティストとして活躍

東京のファッションビルに乗り込め!

 ある日、富士吉田の機織メーカーTENJIN Factoryから「エキュート立川で1ヶ月ショップを出せるんだけど、みんなでどうかな?」という相談が五十嵐さんのもとに舞い込んだ。

 開催は、2012年9月から10月。出店準備期間はわずか2ヶ月半だ。

 時間もなければ予算もない。そんな状態でショップができるのか、不安はつきない。ましてやファッションビルへの出店だ。地元土産物販売コーナーなどへの出店とは、わけが違う。

「正直な話、とても怖かったです。せっかく少しずつ学生さんたちと良いプロダクトを作ってきているのに、ここで失敗したらまずい。でもその反面、これがうまくいったら、大きなチャンスになります。怖くはありましたが、『よし、やってやりましょう!』と、チャレンジすることにしました」

 五十嵐さん自ら、ロゴマークを制作した。さらに、当時シケンジョの臨時職員だった高須賀活良さんとともに店舗のコンセプトからレイアウトまで考えた。

五十嵐さんがデザインした『ヤマナシハタオリトラベル』のロゴマーク(五十嵐さん提供)

 コンセプトは「『ハタオリトラベル』ができる店」。織物の道具を置いたり、工場で使っている什器をそのまま使ったり。接客は、実際に工場で働く従業員が行い、社長が店頭に立つこともあった。

 お客さんが商品をただ買うだけではなく、ショップに足を踏み入れることで、山梨の工場を旅しているように感じられる。そんな場ができあがった。

『ヤマナシハタオリトラベル』と名付けたプロジェクトは、思いもよらない場面も生んだ。

「お客さんが作った人から説明を聞いて商品を買って、それを抱きしめるようにして持って帰る姿。それを見て、私もメーカーさんもすごく感動してしまって。気に入って何かを買うって、恋に落ちるみたいなものじゃないですか。その瞬間を目撃できたわけですから」

開発される織物の試作品はシケンジョにある織機で生み出される

博士号を取得し、織物を極める

 2015年、五十嵐さんは山梨大学の大学院に入学。コンピュータ科学系の研究室で、勤務のかたわら博士課程の研究活動に入った。研究内容はコンピュータの画像処理技術を使った、織物の織り方を生成するためのプログラム。論文にまとめ、2018年に博士号を取得した。

 この技術によって、写真やイラストなどの画像データをスムースな織物組織の変化で表現することができるのだ。少し専門的な説明になるが、タテ糸8本とヨコ糸8本の交差点、8×8の64マスに8個の点を置く「8枚朱子」という織物組織パターンのバリエーションをコンピュータで割り出す研究をした成果なのだという。

「コンピュータ上でいろいろ再現しながら、アルゴリズムを探っていきます。私はおそらく、8枚朱子の8×8のマス目を、世界で一番考えていた人物でしょうね」

 苦笑交じりに話す五十嵐さんだが、この技術で特許を取得している。その研究をもとに開発され、地元の株式会社槙田商店が製作しているのが、ジャカード織りの傘「こもれび」シリーズだ。

 織物の模様は通常、輪郭がはっきりしている。しかし、「こもれび」には、模様の輪郭線がない。グラデーションで色合いが変化していく。そういう織り方を、五十嵐さんが開発した。

 プリントと違って、立体的な織物で形成されているため、光の当たり具合でさまざまな表情を見せる。額に飾って鑑賞するのではない、実用品ならではの美しさだ。

ジャカード織り「こもれび」シリーズの傘を手にする五十嵐さん

最新技術だけでなく、歴史も発見

「最近気づいたのですが、山梨の伝統織物『甲斐絹(かいき)』が、かなり頻繁に文学作品に登場しているんです」

 富士技術支援センター繊維技術部の役割の一つが、山梨県の織物の歴史を受け継ぎ後世に伝えることだ。シケンジョには、明治から昭和初期につくられた甲斐絹の生地が数百点保存されている。その甲斐絹が、当時のさまざまな小説に登場することに五十嵐さんは気づいた。誰もが知るものだからこそ、さらりと小説に記すことができる。これは、甲斐絹が広く親しまれてきたものだということを意味している。

「その甲斐絹を、山梨の人でさえ覚えていない。こういう素晴らしいものがあったということを、私は、山梨に残したいと思っています。富士技術支援センターの前身が設立されたのは、1905年なので、探せばほかにも情報は出てくるはずです」

 職人がヒーローになれる舞台をつくり、新しい技術を開発し、歴史を発掘する。五十嵐さんの探究は、とどまるところを知らない。

“変人?ドクター”にさらに突っ込み!

 やまなしのハタオリとその職人たちの姿を全国に発信しようという五十嵐さんの「執念」。その淵源がどこにあるのか、さらに突っ込んでみた。以下一問一答。

シケンジョの技術開発から生まれた数々の色鮮やかなジャカード織の生地

 なにが織物の産地の魅力発信に駆り立てているのですか。

 人間は一つの独立した総体的な存在であるはずです。ところが、人間が営みを続ける中で、「作る人」「使う人」という切り分けをしてきて、切り離された存在になっていると思うんです。私はもう1回、総体的なあり方を取り戻していきたいと考えています。

 五十嵐さんが発明し、県内企業が製作しているジャカード織の傘「こもれび」シリーズは模様のグラデーションがとても美しいですね。なぜこういう柄に興味が?

 少年時代に愛読した漫画の影響かもしれません。松本零士さんの作品「銀河鉄道999」に登場するメーテルの瞳を描いた、震えるような微妙な線による濃淡の表現。そういうものが好きでした。

 千葉県で育った五十嵐さんが山梨県に就職したのはなぜですか。

 高校生のころ、友人と自転車で日本中を旅していました。自転車のスピードでの旅行なので、地元で暮らす人たちの生活目線でその土地を見ます。山梨県にも行き、普段から山が生活の背景にある土地に憧れて山梨県庁に応募しました。

 シケンジョの日常業務はどういうものですか。

 例えば、県内企業から年に数十件ほどの織物の分析を依頼されます。どういう織り方をしているのかなどを調べています。

 そういう職場で、なぜ産地バスツアーを企画する発想に? なかなかつながらないのですが。

 そうですね。私の職場は、技術的なサポートや研究を通じた企業支援を行うのが主な役割です。その一環として、研究して論文を書いたり特許を取ったりしていますが、企業支援のアプローチとして、バスツアーを実施せよっていう上司はいません。全国の技術センターでも企画しているのは私だけだと思います(笑)。でも、これをできるのは県庁の中で自分しかいないだろうと考えました。

 いないです。勝手にバスツアー。やっぱり変人ですね。(笑)

五十嵐さんの「秘密基地」の入り口には、かかわってきた数々のプロジェクトのポスターが貼られていた

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文・稲田和瑛、写真・山本倫子

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