全国知事会議 史上初の公式ウェアができるまで/漱石も愛した“おしゃれ”技術に迫る
山梨県で初の開催となった2023年7月の全国知事会議。
この機会に、山梨県は知事会議では初めてとなる試みにチャレンジした。
「公式ウエア」の採用だ。
公式ウエアに選ばれたのは、長い機織りの伝統を持つ山梨テキスタイルの粋が詰まった「夏服」。
当初は「これ、着なきゃいけないんですか」といぶかる知事もいた。
知事会議で全国デビューを果たした夏服の制作過程を追いかけた。
そして、その評判は――。
◼️この記事でわかること
✔ 山梨県は絹織物ネクタイの生産量日本一
✔ 山梨県には120年前からの生地スタイルが保管され、専門家もいる。
✔ 山梨産夏服は、明治・大正の流行ファッション「甲斐絹」でできている。
✔ 全国知事会議の公式ウェアにするため、急遽制作した。
✔ クールビズを始めた小池百合子氏が公式ウェアを絶賛
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コロナ禍とクールビズが“逆風”に
“夏服”は、クールビズの浸透と、コロナ禍の発生がきっかけで生まれた。
伝統的な絹織物の産地である山梨県は、ネクタイの生産量が日本一。しかし、猛暑続きの昨今、クールビズの流れが広まり、ネクタイの需要は低迷した。さらにコロナ禍が追い打ちをかけた。テレワークやオンライン会議が浸透し、ネクタイの出番は、さらに減った。
新しいテキスタイルを開発するプロジェクトは2022年6月に始まった。
「ネクタイの産地なのに、クールビズだからとノーネクタイを推進するのはいかがなものかというジレンマはありましたが、状況を打破するキーアイテムとして、絹織物技術を生かした“夏服”の開発を進めることになりました」と、産業振興課課長補佐の山田幸雄さんは背景を語る。
夏服を作るとなると、絹よりも通気性の良い素材を探す必要があった。そこで、リネン(麻)素材で生地を作ることが検討された。リネンは繊維の中が空洞で、空気が含まれている。通気性に優れ、余分な熱と水分を逃がしてくれる。
しかし、リネンの繊維は切れやすい。糸切れを起こさずに織るには、織物の機械の設定を変えるだけでは無理で、極めて精緻で繊細な技術が必要だった。そのリネンの生地にいち早くチャレンジしていた県内の織物事業者に、山田さんは白羽の矢を立てた。
「生地さえあればシャツができるかと思ったら、そう簡単なことではありませんでした。形やデザインはどうするのか、パターン(服の型)は誰が作るのか。矢継ぎ早に課題が湧いてきました」(山田さん)
苦心の末、2022年9月に試作品のシャツが出来上がった。その試作品を手にした長崎幸太郎知事は言った。
「いい出来じゃないか。これを、全国知事会議の公式ウエアにしよう!」
まだ試作段階の夏服を、全国知事会議までに全員分用意しなければならなくなった。
全国知事会議に間に合わせろ!
「本当にやるんですか?」「できるんですか?」
職員は一様に驚いた。しかし、決まったからにはやるしかない。
山梨テキスタイルは、織る前の糸の段階で染色する「先染め」という手の込んだ手法で作られる。染色から生地を織るのに2ヶ月、縫製に2ヶ月かかる。多少のゆとりをもって製作期間は5ヶ月と見込んだ。
7月下旬に開かれる全国知事会議に間に合わせるためには、2023年2月に生地の製作に入っていなければならない。デザイン決定は、2022年中がデッドラインだった。
山田さんは、富士吉田市にある富士技術支援センターに駆け込み、繊維技術部主幹研究員の五十嵐哲也さんに会った。
五十嵐さんはこの道25年、繊維の専門家だ。
「富士技術支援センターでは、明治38年からの織物のサンプルをストックしています。約120年前からの生地サンプルが揃っているんです」(五十嵐さん)
山梨県の伝統的な絹織物「甲斐絹(かいき)」の生地サンプルを見ながら、どんなデザインにすればよいか。検討を重ね、白無地/ワインレッドの無地/白地に青ストライプ/白地に3色のストライプ、の4種類を選んだ。
白無地は着る人を選ばない。
ワインレッドは、甲州ワインを表現している。
夏なので、さわやかに青ストライプ。
伝統的な甲斐絹のデザインをもとにした3色ストライプ。
最後の3色ストライプは、五十嵐さんが見せてくれた生地サンプルの中から、山田さんが選んだ。
「このサンプルを見たとき、これだ!と思いました。ストライプ一つひとつの太さが違う、本数も違う。柄も、色合いも違う。有機的で動きがあるんです。人の息吹が宿っているデザインだと感じました」
山田さんは細部にもこだわった。シャツのタグに記された「Yamanashi Teχ」のラベル。本来なら最後の文字はXとすべきところをギリシア文字のχ(カイ)に置き換えた。「甲斐の国にちなんだ意匠にしたら面白いかなと思って」
流行の最先端だった「甲斐絹(かいき)」
山梨の伝統的な絹織物「甲斐絹」。もともとは戦国時代に渡来した絹織物「海気」がルーツだ。その技術にならって国内生産が始まったが、甲斐国郡内地方で特に品質のよいものが多く作られたため「甲斐絹」と呼ばれるようになった。
大きな特徴は、美しい光沢だ。
「とにかく糸が細い。一本一本が見えないくらい。また、先染めをしているため、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の色を変えることで、見る方向によって色みが変わる不思議な生地を織り上げることもできます」(五十嵐さん)
甲斐絹は主に、着物の裏地として用いられた。見えないところでおしゃれをするという「裏勝り(うらまさり)」の美学だ。
絵甲斐絹(えがいき)と呼ばれる、模様や風景の描かれた織物まで作られている。織った後に絵を描いているのではない。まず織機の上に並べた経糸にシルクスクリーンのようにして絵や模様を染める。それを乾かしてから織っていくのだ。当時の人々のおしゃれを求める気持ちが、技を追求する職人の心意気に火をつけたのかもしれない。
いずれにせよ、現在では到底再現することのできない技術だ。
夏目漱石の小説『虞美人草』にこんな描写がある。
「投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線(ひかり)をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠の甲斐絹である」
明治、大正時代に記された小説には、たびたび「甲斐絹」や「郡内縞」という言葉が出てくる。山梨の絹織物は、一世を風靡した流行ファッションだった。
鉄鋼や自動車のような産業のなかった当時、日本の輸出工業製品といえば、生糸や絹織物だった。今でこそ果樹王国となっているが、その昔、甲府一体は桑畑が広がっており、どの家でも蚕を飼っていた。
山梨テキスタイルの夏服には、生活に根付く伝統的な甲斐絹のエッセンスが受け継がれている。
メディアでも大きく取り上げられた公式ウエア
生地ができあがるまでに、やらなければならないことは山積していた。
まず、公式ウエアを採用するところから説明しなければならない。全国知事会議で公式ウエアを作るのは初めての試みだったからだ。
伝統的な甲斐絹の流れを汲んだテキスタイルであること、ネクタイに続く新たな特産品であることを伝えた。最初は難色を示す知事もいたが、丁寧に説明した結果、各都道府県の理解を得た。
知事のサイズを確認し、デザインを選択してもらう。それらを集計し、大急ぎで仕立ててもらった。まだ量産体制など整っていない中、誰もが必死の対応だった。
公式ウエアの現物が県庁に届いたのは、会議の2週間前のこと。
「現物を手にしたときは、感無量でした。しかもこれがまた手触りがいいんです。自信をもって知事たちに着ていただけるものができあがりました」(山田さん)
一方で、山梨県の特産物は織物だけではない。ほかの産品についても参加者にアピールする必要がある。
会議と会議の合間には、15分、30分といった休憩が入る。休憩時間にロビーでくつろいでいる間、参加者の目を楽しませるのがPRブースだ。ブースづくりをした産業振興課の阿部純さんはこう語る。
「山梨にはこんな特産品があるんですよ、とアピールするのが目的です。会議の気分転換に見て行かれる方、ご自身の県との違いやPRの方法を確認される方など、さまざま。多くの方でにぎわっていました」
美食のブースでは、産業労働部と農政部と観光文化・スポーツ部が協力。本物のワイン樽と日本酒PR用の酒樽を用意し、見て楽しめる立体的な展示を施した。テキスタイルと伝統工芸品については、産業振興課の阿部さんがメインとなってPRブースを制作した。
「テキスタイルと夏服の展示、そしてハンコの実演販売も開催しました。目の前でハンコを彫り上げる様子を、みなさん熱心に見学なさっていました」(阿部さん)
全国知事会議で初の試みとなった「公式ウエア」。環境大臣のとき「クールビズ」を始めた小池百合子・東京都知事は「このクールビズも素敵。気持ちがいい」。沖縄県の玉城デニー知事も「着心地がいい。地盤産業振興策としていいアイデアなので、今後参考にしたい」と話した。
通常、全国知事会議のニュースはあまり大きく取り上げられないが、カラフルなシャツに身を包んだ知事たちの集合写真が各メディアで大々的に掲載された。青空と木々の緑を背景に、白、ワインレッド、ストライプのシャツ……。写真には、爽やかでありながらカジュアルすぎない「これからの夏服」が並んでいた。
文・稲田和絵