「化ける人」を発掘!才能を見抜いて育てる名物スカウトの視点とは

名だたる数々のサッカー選手を無名時代から見出してきた人物が、山梨にいる。
それがヴァンフォーレ甲府のスカウト、森淳さんだ。
今年のW杯北中米大会でも大活躍した日本代表の伊東純也選手も発掘された一人だ。
森さんが実践するのは、人間観察にもとづいた独自の「目利き」と「人づくり」。
そこには、スポーツの枠を超えて実践できそうな「人の隠れた才能を開花させる哲学」が詰まっていた。

説明文

 2025年度から、新コーナー「in depth プラス」を始めました。

 登場するのは、皆さんの身近で活躍するミライ思考の人たち。幅広い人たちにじっくり話を聞き、その息吹をお伝えします。

■この記事でわかること
✔ 荒削りで自己流の選手が後から大化けする理由
✔ 情報や肩書きに惑わされず、隠れた才能を見抜く視点
✔ 人を育て、活かすために必要なこと

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人の「伸びしろ」は誰にもわからない

「人の伸びしろなんて、本当のところ誰にも分かりません。『あいつには将来性がある』なんて言う人間も、突き詰めれば自分の直感を後付けで語っているに過ぎません」

 穏やかな口調でそう語るのは、Jリーグ・ヴァンフォーレ甲府で長年スカウトを務める森淳さんだ。

 森さんは、神奈川県立旭高校、日本体育大学を経て、フジタ工業(現・湘南ベルマーレ)でディフェンダーとして活躍。1988年には日本代表にも選出された実績を持つ。

 現役引退後は、ベルマーレ平塚で日本初となる専任スカウトとして活動をスタート。各クラブからオファーが殺到していた高校時代の中田英寿さんを獲得した。

 その後、ベガルタ仙台を経て2010年にヴァンフォーレ甲府のスカウトに着任。のちに日本代表となる伊東純也選手や佐々木翔選手、稲垣祥選手、下田北斗選手といった数多くのトップタレントを無名時代から見出し、育て上げてきたJリーグ屈指の目利きだ。

 人の伸びしろは、誰にもわからない。その見解に揺るぎはない。一方で、森さんは長年の経験から導き出た一つの確信を口にする。

「18歳の時点で完成されていて欠点のない選手よりも、技術的に荒削りで自己流(個性)が残っている選手のほうが、後から化ける可能性を秘めています」

ヴァンフォーレ甲府の森淳スカウト

型にハマらない「自己流 (個性)が大切」

 いまや日本代表の主軸であり、世界屈指のサイドアタッカーとして活躍する伊東純也選手。彼こそが「後から大化けした」典型例だ。森さんは「学生時代の純也は、決して上手な選手ではなかった」と振り返る。

「純也の育ち方を振り返ると、エリートコースを歩んできた選手たちとは根本的に環境が違いました。今の若手の多くは、名門ジュニアユースや全国レベルの強豪高校で育ちます。厳しい指導者から、この場面ではこう動け、リスクを冒さずパスを回せ、と戦術や規律を徹底的に叩き込まれる。基礎を学ぶ上でそれは決して悪いことではありません。しかし、教え込まれすぎた選手は、指導者が作った枠組みの中で小さくまとまってしまいがち。誰もが同じようなプレースタイルになり、突き抜けた個性が失われてしまいます」

ヴァンフォーレ甲府時代の伊東純也選手(ヴァンフォーレ甲府提供、冒頭の画像も)

 一方で、パスは下手だしポジショニングも怪しいけれど、「足の速さだけは誰にも負けない」「恐怖心なく体を張れる」「特定の角度から信じられないパスを通す」といった自己流の強みを持つ選手は、プロの環境で基礎を身につけた瞬間に一気に化ける可能性が高いという。

「純也の出身校である神奈川県立逗葉高校は、全国大会の常連校ではありません。そこには、Jクラブのユースに上がれなかったけれど、サッカーが大好きでたまらない仲間が多く集まっていました。みんな、サッカーが楽しくて好奇心だけでボールを蹴っていた。だから、純也のプレーには誰かに押しつけられたような型が一切ない。完全に自己流でした」

 大学時代の伊東選手のパスは不正確で、守備の連動性もおぼつかなかった。けれど、プロ1年目の伊東選手はその圧倒的なスピードを遺憾なく発揮し、日本代表へと一気に駆け上がっていった。

「型にハマらず育ったからこそ、純也の生まれ持った圧倒的なスピードと野性味が削ぎ落とされることなくそのまま残ったんです。その点が大学、プロへと進む過程で一気に爆発した最大の要因だと考えています」

努力の本質は「ただ夢中で没頭する」こと

 森さんは、大化けする選手とそうでない選手の違いとして、「努力に対するスタンス」についても触れる。

 日本人は伝統的に、歯を食いしばって苦しい練習に耐える姿を美徳としがち。けれど、大きく化ける選手の努力は、傍から見ると「ただ夢中で遊んでいるようにしか見えない」と森さんは話す。

「純也は大学時代、決してキックが上手い選手ではなかった。ところがプロ入り後、さらには海外へ渡ってから、正確なクロスやセットプレーを次々と決めるようになった。あれは義務感でやらされた練習の成果ではありません。練習後にチームメイトと笑いながら『どう蹴ったら曲がるか』『こうすればもっと速い球になる』と遊びの延長で毎日蹴り続けた結果だと思います」

 かつての中村俊輔さんも、桐光学園時代に練習が終わった後グラウンドに一人残り、飽きることなくフリーキックを蹴り続けていたという。川崎フロンターレの象徴となった中村憲剛さんも、中央大学時代に先輩の宮沢正史(現・中央大学監督)さんと日が暮れるまで楽しそうにキックの練習をしていたそうだ。

 彼らにとって、練習は苦行ではない。「最高の遊び」なのだ。

「楽しさや好奇心を原動力にして、自発的に試行錯誤を繰り返す。その結果として、無意識のうちに卓越した技術が身についていく。好きこそ物の上手なれと言いますが、寝食を忘れて夢中になれること以上に、人を成長させるエネルギーはありません」

現場へ足を運ぶ

 人の「伸びしろ」は誰にもわからない。ただ、森さんの実践するスカウティングには、独自のルールがある。

 まず、現場へ足を運ぶことだ。

 近年はデータ分析や映像技術が発達し、海外のスカウトを中心に「映像を見れば選手のすべてが分かる」と語る者も少なくないという。しかし、森さんは現場で直接観察することを何よりも重んじる。

グラウンドで選手たちの動きをじっと見つめる森スカウト

「私だけでなく、日本のスカウトは全国のグラウンドに足を運んで選手を見ています。映像に映るのは、基本的にボールの周辺だけ。ボールが動いていない場面で、その選手がどこを見ているのか。首を振って周囲の情報をインプットしているのか。味方や相手とどのような呼吸で立っているのか。ベンチに下げられたときにどんな表情をしているのか。空間認知能力や人間性の機微は、現地で空間全体を生で見ていなければ絶対に掴めません」

事前情報を遮断し、ふとよぎる「違和感」を待つ

 視察時に、有名選手の名前や代表歴といった予備知識をあえて頭に入れない。現場では、目を皿のようにして集中するのではなく、あえてぼーっと全体の空気を眺めるように脱力して観察する。

 これも森さんが徹底していること。そうでないと、どのスカウトが見ても分かるような「器用にまとまった選手」ばかりが目についてしまうからだ。

「スカウト仲間とおしゃべりしながら眺めるくらい力を抜いて、全体を俯瞰しているほうがいいんです。ふとした瞬間に、『身体は細いのにキックしたときの芯を喰った音が全然違う」「大柄なのに、なんでステップの刻み方が異常にスムーズなんだ」といった強烈な引っ掛かりや違和感に気づくことができますから」

 森さんが伊東純也選手の存在を初めて知ったのも、このルールのおかげだ。大学生になった伊東選手のデビュー戦でのことだった。目当ての別の選手を視察しに行った際、たまたま途中出場してきた伊東選手の尋常ではないスピードに目を奪われたのがすべての始まりだった。

組織を活性化させる「多様なキャラクター」を揃える

 選手を獲得する際は、同じタイプばかりではなく多様なキャラクターを重視する。

 これも森さんが意識していることだ。全員が同じような平均点の高い優等生タイプだと、チームは活性化せず、強い組織は作れないからだ。

「たとえば、真面目で責任感がある優等生タイプは、組織の規律を守る上で欠かせません。しかし、全員がそのタイプだと、チームが連敗や逆境に陥ったときに深く考え込みすぎて、ロッカールームの空気がどんどん重くなってしまう。そういうときに必要なのは、『まあいいじゃん、次いこうぜ!』と笑い飛ばして空気を一変させられる、少し適当で明るいお調子者なんです」

 ピッチ上のプレーも同じ。指示通りにミスなくバックパスを繰り返す選手ばかりの試合は、観客の心を動かさない。「なぜそんな無茶な選択をするのか」と観客が頭を抱えた次の瞬間、型破りなプレーで局面を打開してしまうような意外性こそが人を惹きつける。

「右利き、左利き、スピード、高さ、泥臭さ。監督が戦術の盤面で自在に組み合わせられる『突出した武器』を持つ選手を揃えることこそが、スカウトの本来の役割です」

観客の心を動かす。そんな「原石」を森スカウトは探し続ける

「試合に出られる環境」が才能を開花させる

「原石」がどれほど優れた素質を持っていても、磨く場所がなければ輝くことはできない。

 選手の才能を開花させる決定打は、「最初に入る組織のハードル、つまり実戦機会の多さ」だと森さんは言う。

 伊東純也選手は大学卒業後、ヴァンフォーレ甲府に加入し、プロ1年目からリーグ戦30試合に出場した。だが、もし資金力のあるビッグクラブに入っていたらどうなっていたか。森さんは、「おそらく1年目はベンチ外で埋もれていたはず」と話す。

「当時の彼は足こそ圧倒的に速かったものの、プロとしての戦術理解や守備の連動性はまだまだ未熟でした。選手層の厚い名門クラブであれば、まだ使えないと判断されて終わりです。甲府のような地方クラブは、資金力やブランド力は大都市のメガクラブに及ばない。その代わりに、若い選手が実戦のピッチに立つハードルは低い。結果的に、ベンチで過ごす間に成長の黄金期を逃す、といったリスクを避けることができました」

 相手との間合いや成功体験から生まれる揺るぎない自信といったものは、実戦のピッチに立ち続けることでしか得られない。森さんは、「若い時期は、目先の待遇やブランド名よりも、実戦経験を積める場所を選ぶほうがいい」という。

「結果を残して価値を高めてからステップアップするほうが、結果として選手寿命も報酬も何倍にも跳ね上がりますから」

「実戦重視のキャリア選択」を極限のレベルで実践したのが、若き日の中田英寿さんだと森さんは解説する。

 高校時代から全国の注目を集めていた中田さんには、当時全12クラブあったJクラブのうち11クラブからオファーが殺到していた。最終的には名門である横浜マリノスとベルマーレ平塚の二択となり、誰もがマリノスを選ぶと思っていた。だが、中田さんが選んだのは森さんがスカウトを務めていたベルマーレだった。

「ヒデは、ベルマーレに決めた理由なんて教えてくれないので真相は分かりません。でも、彼は当時18歳の時点で、『イタリアのセリアAでプレーして優勝する』『30歳手前で引退して次のステージへ進む』という明確な人生設計を持っていた。その壮大なゴールから逆算したとき、強豪マリノスでベンチを温めるリスクを冒すより、1年目から確実に主力としてピッチに立てるベルマーレを選ぶことが、目標への最短ルートだと冷静に判断したのではないでしょうか」

 実際に、中田さんはベルマーレで即座に中心選手となり、日本代表となって初のW杯出場へと導き、21歳でイタリアのペルージャへ移籍した。

「ペルージャという当時無名に近かったクラブを選んだのも、『開幕戦で王者ユベントスと戦えるから』でしょう。ヒデはその開幕戦で鮮烈な2ゴールを奪い、一躍世界に名を轟かせ、やがてASローマで念願のスクデット(セリエA優勝)を勝ち取った。最初から最後まで、すべて『自分がピッチで価値を証明できる場所』を冷静に選び取った結果でした」

「強みを発揮できる舞台」を用意する

 家庭では子どもの教育に、職場では部下や後輩の採用、育成に頭を悩ませる人は多い。

 人を育て、活かすために必要なことは何なのか。

 森さん自身、決してエリート街道を歩んできたわけではない。現役時代は泥臭く練習を重ねて這い上がった。

 自らの歩みと、30年以上に及ぶスカウトの実績。そこから導き出された答えは明快だ。大切なのは「欠点の矯正」ではない。「その人が持つ突出した強みを見出し、存分に発揮できる舞台を用意すること」だと森さんは語る。

「欠点のない人間なんていません。未熟でも、失敗が多くてもいい。欠点を直すことより、その人の突出した強みを見つけ、それが存分に生きる環境を用意してあげること。そのために、本人が持つこだわりや違和感をじっくり観察し、信じてチャンスを与え続ける。そして一度ピッチに送り出したら、余計な口出しをせず任せ切る。これはスポーツに限らず、あらゆる人づくりの現場で共通することではないでしょうか」

「個人の強みを活かす環境を用意してあげること」と人づくりの醍醐味を語る森スカウト

文・黒川なお、写真・今村拓馬

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