ネットで大炎上した外国人労働者家族向け医療傷害保険制度 全国初導入で山梨県は「第2のふるさと」になれるか?

山梨県は6月、「外国人労働者家族向け医療傷害保険制度」を導入した。全国初の試みだ。
山梨県で働くベトナム人が安心して働けるよう、
ベトナムに住む家族を医療面からサポートし、
少子高齢化による人手不足対策と地域での共生社会実現が狙いだった。

しかし制度が発表されると、ネットで大炎上し、
県庁には苦情電話が殺到した。
一体何があったのか。

◼️この記事でわかること
✔ 「外国人労働者家族向け医療傷害保険制度」は、国民健康保険や社会保険ではなく、現地にある民間損害保険会社が提供する保険サービスだ。
✔ 県内の外国人労働者数は、令和5年10月末時点で11,227人に達し、過去最高を記録。なかでもベトナム人労働者は最も多く、全体の約26.9%を占めている。
✔ この医療傷害保険制度は、「やまなし外国人活躍ビジョン」の一環として実施。このビジョンは、外国人にとって、山梨県が「第2のふるさと」となることを目標とし、安心して「働き」「暮らせる」環境をつくることを目指している。

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誤解に基づく大量のクレーム電話

 この制度は、「第2のふるさと」として“選ばれる山梨”を目指す理想を掲げた県が、県内企業と協力し、保険料の一部を助成するものだ。ところが5月16日にネットニュースで制度のことが報じられると、翌日からクレームの電話やメールが入り続ける事態になった。その数約400件(5月末まで)。担当課はまさに機能マヒの状態に陥った。

 男女共同参画・外国人活躍推進課課長補佐の阪本正範さんは「外国人労働者の支援と外国人労働者を雇用する企業への支援という2つの制度が絡まって伝わってしまった。初動時に丁寧で分かりやすい説明と情報発信が必要でした」と原因を分析する。誤解に基づいた主な問い合わせとしては、「日本の健康保険制度をベトナム人家族に適用するのか」「ベトナム人従業員の母国在住家族の医療費の9割を山梨県が負担するのか」との内容だったという。多様性社会・人材活躍推進局次長で、同課課長を兼務する入倉由紀子さんは「私も電話対応しました。ずっと鳴りっぱなしでしたから、取り切れない電話も含めればもっと多かったのかもしれません」と振り返る。

入倉由紀子課長(右)と阪本正範課長補佐(左)。中央は制度の推進に協力している駐日ベトナム大使館のファン・チェン・ホァン労働部長

外国人労働者が安心して働ける環境を目指して

 課員総出で抗議電話に対応し、一定の理解は得られ電話は収まった。多くの誤解を生んだこの制度、本来はどのような仕組みなのだろうか。

「外国人労働者家族向け医療傷害保険制度」は、国民健康保険や社会保険ではなく、ベトナムにある損害保険会社の東京海上ベトナムが提供する民間の保険サービスだ。山梨県で働くベトナム人労働者が加入すれば、母国在住の家族を医療面からサポートする。

 制度の対象は「やまなし外国人労働環境適正化推進ネットワーク」に参加する企業・団体で働くベトナム人労働者だ。具体的には、ベトナム人従業員が支払った保険料(家族1人あたり年額26,000円程度(5-59歳の場合))の3/4以上を雇用する企業が助成した場合、県がその1/2に相当する額を雇用企業への支援として補助する。企業の人材確保にむけて制度の普及を促進している (下の図)。

 制度の特徴は、ベトナム全土の病院での受診をカバーでき、受診後に支払われる保険金により、家族の自己負担を実質1割に抑えられる点にある。これにより、母国に残した家族の健康を気遣うベトナム人労働者に「安心」という価値を提供する。

増えつづける外国人労働者

 外国人労働者の数は年々増加している。これは、少子高齢化に伴う人手不足を補うために外国人を雇用していることが原因で、日本全国で見られる傾向だ。山梨県も例外ではない。県内の外国人労働者数は、令和5年10月末時点で11,227人に達し、過去最高を記録した。もはや、外国人労働者は県内経済にとって欠かせない存在となっている。その中でも、ベトナム人労働者は3,019人と最も多く、全体の26.9%を占めている。

 一方で、外国人労働者の多くは、母国に残してきた家族の健康を心配しながら働いている。県が実施した調査では、「母国在住の家族に関する心配ごとが軽減できれば、より安心して山梨県で働ける」という声が多く聞かれた。

 円安が進み、より給料の高い韓国などへと人材は流れている。東京などの大都市とも労働力を奪い合っている。このような状況を受け、県は外国人労働者、特にベトナム人労働者にとって魅力的な就労環境を整備し、「選ばれる山梨」となるため、この新制度を導入した。また、ベトナムとの関係強化も背景にある。昨年、日越外交関係樹立50周年を迎え、両国の交流がさらに深まっていること。加えて、ベトナムのクアンビン省と山梨県が昨年9月に「姉妹友好県省」を締結している。

企業にとっても、ベトナム人従業員にとっても、意義の大きい制度

 県内でベトナム人労働者を雇用している企業からは、この制度を歓迎する声が聞かれている。

 ビルの清掃や設備管理などのメンテナンスを提供する甲府ビルサービス株式会社では、従業員630人が働く。このうち、5人のベトナム人労働者が在籍している。

 同社は2007年にベトナムに現地法人を設立し、現在はホーチミンとハノイに拠点を置く。

 ベトナム進出の背景には、将来の人手不足を見据えた戦略があった。甲府ビルサービスでは、日本とベトナムの間で人材の循環型採用・育成を実践している。ベトナム人従業員が日本で研修を受け、その後ベトナムの法人で働くケースや、逆にベトナム法人の従業員が日本で研修を受けるなど、両国間の人材交流を積極的に行っている。

甲府ビルサービス会長の坂本哲司さん

 同社の坂本哲司会長は、ベトナム人労働者の特性について、「真面目で日本語習得に熱心」「家族思いで親孝行の精神が強い」と語る。また、今回の医療保険制度について「画期的な取り組み」と高く評価し、従業員の安心感向上と人材確保に有効だと考えている。

 甲府ビルサービスで働くベトナム人のホ・アイン・ドゥックさん(25歳)は、コーヒー農家の両親のもと、ベトナムのコントゥム省で育った。子どもの頃から日本のアニメが大好きで、「日本に行きたい」と思っていたという。現在2回目の来日で、特定技能外国人として3年の予定で働いている。日本での生活にはすぐに馴染むことができたが、ベトナムの家族が健康でいるか、いつも気がかりだという。新しい保険制度については「すごいと思った。遠くで働いていても自分の家族のことを守れる」と評価。給料の約40%を実家に仕送りしているアインさんは、「月数千円の保険料を負担しても家族を守りたい。この保険があれば、他のベトナムの人たちも日本に来やすくなると思う」と話した。

ビルの清掃作業をするホ・アイン・ドゥックさん

「第2のふるさと」として“選ばれる山梨”を目指して

 この制度は、山梨県が2020年2月に策定し、2023年3月に改訂した「やまなし外国人活躍ビジョン」に基づいて実施されている。このビジョンは、外国人にとって「第2のふるさと」となることを目標とし、安心して「働き」「暮らせる」環境をつくることを目指す。

 その一環として、多文化共生社会の実現に向けてさまざまな取り組みを行っている。例えば、外国人向けの相談センターの運営、地域日本語教育の推進、外国人の地域活動参加の促進などだ。

「外国人労働者家族向け医療傷害保険制度」は今後、効果を検証しながら必要に応じて改善や拡充を行う。また、ベトナム以外の国の労働者に対しても、同様の支援の可能性を検討していく。ただし、国によって保険制度や法制度が異なるため、慎重に検討を進める。

 この新制度を通じて、山梨県はベトナム人労働者にとって、そしてその他の外国人労働者にとっても、安心して働き、暮らせる魅力的な地域となることを目指している。

 課長補佐の阪本さんは、こう語る。

「多様な価値観を認め合い、誰もが自分らしく活躍できる共生社会を実現することは、本県に多様な人材が集い、持続的に成長していくための礎となる大変重要なことです。そして、安心して働き、暮らせる魅力的な地域をつくることは、外国人材の受け入れのみならず、日本人にとっても有益なことであり、県内企業の人手不足解消に向けた総合的な対策の1つと考えています」

 山梨県は、日本人も外国人も互いの文化を尊重し、共に支え合い、誰もが活躍できる多文化共生社会の実現を目指している。この新しい保険制度は、その実現に向けた重要な一歩だ。

 課長の入倉さんは「最近は、県内で働く外国人労働者の方が人手の足りない消防団に入ったり、地域のお祭りに参加したり(冒頭の画像=県提供)というケースも出てきており、経済のみならず地域社会の担い手としても重要な存在となってきています。皆さんが、『山梨県は第2のふるさとだ』と感じられるよう、共に歩んでいくことが求められています」と話す。

 今回の制度を通じて、山梨県が外国人労働者にとってより魅力的な地域となり、同時に地域経済の活性化と多文化共生社会の実現につながることが期待される。

文・稲田和瑛、写真・山本倫子

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