あなたの健康を「デジタル化」震災がきっかけで生まれた山梨独自の「かかりつけ連携手帳アプリ」

かかりつけ医が患者の「小さな変化」に気づき、
病気の早期発見・早期治療につながったーー。
こんな話を耳にしたことはあるだろう。
病気を判断する際、重要となるのは、
いま、この瞬間の症状だけでない。
何年にもわたって蓄積された医療情報だ。
山梨県は、生まれたときから介護を受けるに至るまで、
一生分の医療データを管理できる山梨発の独自アプリを推進している。
それが、「かかりつけ連携手帳」アプリだ。

大震災の避難者たちが肌身離さず持っていたアレ

 2011年5月、山梨大学教授(現・市立甲府病院院長)の佐藤弥さんら医療チームは、宮城県南三陸町にいた。東日本大震災のボランティアとして、避難所となった中学校を訪れていた。

「血圧の薬がほしいんです」

「お薬の名前はわかりますか?」

「なんだったかな……」

「含まれている成分はわかりますか?」

「うーん。白色で、細長い錠剤で…………」。

 当時を振り返り、佐藤さんは語る。

「色や形で言われても、まったくわからないんですよ。でも、しょうがない。薬はもちろん、お薬手帳も、みんな流されてしまっているから。あの光景は、一度見たら忘れられません。ある橋を渡って南三陸町に入るのですが、その橋を渡った瞬間、本当に何もなくなるんです。結局、その場では『これかな?』と、近そうな薬を処方することしかできませんでした」

 例えば、血圧の薬ひとつとっても、大きく分けて4系統あるという。そのうえ、最近ではジェネリック医薬品も多く、薬の名称や種類は複雑化している。医師ですら、正式な名称をすべて覚えている人は少ない。

 しかし、避難所にいるほとんどの人が持っていたものがある。

 携帯電話と、そのころ普及しはじめたばかりのスマートフォンだ。

「この出来事が『かかりつけ連携手帳』アプリを開発しようと思ったきっかけです」

アプリを開発した山梨大学教授(現・市立甲府病院院長、かかりつけ連携手帳推進協議会理事長)の佐藤弥さん

スタンプも活用して、簡単に、自由に

 2018年、佐藤さんはかかりつけ連携手帳アプリを発表した。

 アプリの実現にあたっては、山梨県の長崎幸太郎知事からも研究当初から後押しをしてもらっているという。

「悩みに悩んで、あるとき、ふっと構想が浮かんできた」というアプリでは、処方された薬はもちろん、市販薬も、バーコードを読み込むことで、情報を取り込むことができる。薬の情報以外にも、検診情報や、日々の健康・運動情報、食事情報を記録していくことも可能だ。

 特徴の一つが「症状スタンプ」だ。「腹痛」「頭痛」「倦怠感」など、さまざまな症状スタンプが用意されており、タップするだけで症状が生じた日時が記録される。「タイムライン」画面を開けば、それらの情報がグラフ化され、いつ、どれくらいの頻度で症状が発生しているのかが、ひと目でわかる。

 スタンプはLINEを参考にしたという。もちろん、手入力で打ち込むこともできるが「簡単に操作できないと、みんな記録するのを忘れちゃうから」と佐藤さんは笑う。

「アプリにはカメラ機能を搭載しています。仮に、皮膚に炎症ができて皮膚科にかかる場合も、経過を写真に収めておけば、医師も判断しやすいですよね。患者さんって『いつから症状が出ていますか?』と尋ねても、はっきり答えられる人は少ないんですよ」

 中には、アプリを使って毎日の食事を記録している人もいるという。

「ある糖尿病の患者さんは、アプリで朝・昼・晩の食事の写真を撮っているようです。ほら、スマホのカメラ機能を使っちゃうと、アルバムの中が記録用の写真と、そのほかの写真でごちゃごちゃになってしまうでしょう。でも、アプリがあれば、健康情報はこの中だけで完結できます。スマホ内のアルバムも、すっきりです。ご自身の状況に合わせて、どんなふうに使っていただいてもいいんですよ」

 そう言いながら、佐藤さんは、自身のスマートフォンを軽快に操作する。アプリ内の検診情報を開くと、「赤色」に染まった数値が目に飛び込んできた。

「あぁ、ちょっと、高血圧気味なんでね……。基準値を超えている数値は赤、反対に、基準値以下は青で表示されるようになっています」

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一生涯の健康データを蓄積できる利点

 かかりつけ連携手帳アプリが画期的なのは、日々の健康記録ができるだけでなく、医療機関が発行した情報を、患者のスマートフォンに落とし込むことができる点だ。

「診療内容によって、病院から処方箋のQRコード、検査のQRコード、注射のQRコード、アレルギーのQRコードが発行されます。患者さんがそれをスキャンすれば、検査結果やその日打った注射などの医療データを、自分のスマホにも保管しておくことができるんです」

 現在、これらのデータをフルにシステムに取り込めるのは、山梨大学医学部附属病院と、山梨県立中央病院の二つだが、診療所等が発行する処方データのQRコードや市販薬のバーコードも取り込むことができる。全国でも先駆的な取り組みだという。

 もちろん、対応していない病院の薬の情報、検査情報、外来で受けた注射情報、アレルギー情報についても、手入力は可能だ。

 さらに、子どもが生まれたときは「母子手帳(育児日記)」、親の介護記録をつける際には「看護介護手帳」と、1台のスマートフォンに複数の手帳を入れることもできる。

 スマートフォンを変える際は、データの移行ができるのはもちろんのこと、子どもが大きくなった際に「データの引き継ぎも可能」と、佐藤さんは胸を張る。

「病気になったときに必要なのは、直近のデータよりもむしろ、去年、一昨年の検診結果です。一生涯に渡って、ご自身の健康に関するデータを蓄積していただければ」

 データはクラウド上ではなく、患者本人のスマートフォン内に保管される。これも、震災での経験からだと言う。

「東日本大震災の際、そもそも電波が入らないという問題があったので、オフライン下でも見られるようにしました。それに、クラウド保管は、セキュリティーのリスクがありますし、サーバの管理費も必要となります。スマホ内で完結できれば、そういった危険も回避できるんです」

普及が課題、あの手この手の施策打つ

 2018年にアプリが開発されてから、2023年の現在まで、山梨県は普及を後押しするとともに、この電子版かかりつけ連携手帳を基軸としてさまざまな取り組みをしている。

■診療、処方、検査などのデータをフルで取り込める病院を拡大するための電子カルテシステムの改修に対する助成

■初診患者でも患者のスマホの連携手帳に格納された過去の診療情報をオンライン上で確認できるオンライン診療システムの導入促進

■手帳と連携した電子決済アプリを用いて重度心身障害者が負担する医療費の本人負担分をQRコード決済できるモデル事業の実施

■新型コロナの宿泊療養施設での見守りシステムの活用(5類移行まで)

「一つのアプリを元に様々な事業が広がってきましたが、まだまだ普及が進んでない状況です。アプリ自体はとてもよいものなので、地道に利用者の数を伸ばしていこうと思っています」

 そう話すのは、山梨県福祉保健部の植村武彦さん。ダウンロード数についても、厳密に把握はできないが、おそらく数千単位だという。

アプリの普及に取り組む山梨県福祉保健部の植村武彦さん

 今後は、へき地医療拠点を中核とした高齢者などの見守りシステムの構築も計画している。これは、これまで宿泊療養施設で活用してきた見守りシステムの運用ノウハウを無医地区などでの遠隔見守りに生かす取り組みだ。

 さらに、デジタル化の実装効果が期待される訪問看護分野への普及についても本格的に支援していく。

 先行導入した施設では、これまで手書きで記入していた情報を、アプリのシステムを活用することで、スマートフォンでの音声入力やデジタル管理が可能になった。日中、それぞれの家庭への訪問と、その情報管理に追われていた看護師からは「お昼ご飯を食べる時間がとれるようになった」と喜びの声が上がっているという。

 また、従来は、看護師が作成した情報は、訪問看護ステーション内のみで所持していたが、患者やその家族がアプリをダウンロードしておけば、データを共有することもできる。

 このため、訪問介護事業所でのサービス提供内容や利用者の健康情報を電子化し、電子版かかりつけ連携手帳に取り込むモデル事業を2023年6月補正予算に計上した。介護分野でのデジタル化を進めて、医療と介護の連携を促す狙いだ。

 さらに、手帳の普及を進めるため、今後は動画配信などを通じて利点を紹介していくという。

 アプリは山梨県外の人も使用することができるし、生涯に渡って無料。佐藤さんは力強く語る。

「私は、山梨大学の教授、そして現在の市立甲府病院の院長になるまでは小児科医でした。子どもや高齢者は、自分で医療データを管理することができません。例えば、子どものときに行った予防接種の情報が、大人になった10年、20年後に必要になることもあります。いま、そのような状況に出くわした際は、母子手帳をひっくり返して探してもらうようにしていますが、大変じゃないですか。未来のためにも、記録してあげてください」

※かかりつけ連携手帳アプリのダウンロードはこちら

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文:土橋水菜子、写真:今村拓馬

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