「素敵なブドウ農家」になりたい? 新規就農のリアルを訪ねて

「山梨で素敵な農業ライフを始めませんか?」
農家の減少が続く中で、県はアピールを続けてきた。
しかし最近は、“だれでもウェルカム”なムードから状況が変わりつつあるらしい。
夢を持って新規就農するために、現役農家と県職員にリアルな声を聞いた。

◼️この記事でわかること
✔ 果樹で就農を目指す人にとっての農地探しのリアル
✔ 県が取り組む新規就農者に寄り添った支援
✔ 県独自のアグリマスター制度により受け継がれる栽培技術

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シャインマスカットのバブルはいつまで

 山梨県のブドウオリジナル新品種「サンシャインレッド」がテレビで取り上げられるなど、「やまなしのフルーツ」は注目の的だ。とりわけ、県の名産品としてシャインマスカットは大人気だ。

 それは消費者だけでなく、新たに農業を始めようとする“新規就農者”にとっても大きな魅力となっている。

 2011年4月に埼玉から山梨に移住して農業を始めた跡部祐一さんは、いまの状況について「シャインマスカットのような高級品の栽培は儲かりますから、みんなブドウを育てたがります。シャインマスカット・バブルですよ」と話す。

 跡部さんは9000㎡の畑で、巨峰や藤稔(ふじみのり)、シャインマスカットをメインに栽培している。最近は、次世代シャインマスカットと話題になっている「富士の輝(ふじのかがやき)」や、山梨県が育成した 注目の新品種「サンシャインレッド(品種名:甲斐ベリー7)」などの希少品種も取り入れている。

 以前はパソコン販売やIT関係の仕事をしていたが、転職を考えていたときに参加した東京・池袋の「新・農業人フェア」で、山梨県のブースで「果樹栽培をやらないか」と勧められたことをきっかけに脱サラして農業をはじめた。

 働き方が多様になったいま、跡部さんのように“山梨でブドウ農家として成功する”という夢を抱く人が増えている。ここ数年はシャインマスカット人気が追い風になって、山梨の新規就農者数は右肩上がりに増え、2022年度は331人となり、平成以降最多となった。中でも果樹の新規自営就農者は149人と自営就農者(192人)のおよそ8割に増加している 。

 跡部さんは山梨の農業が注目されることを喜ぶ一方で、過熱気味のシャインマスカットをめぐる現状を冷静な目で見ている。

「シャインマスカット・バブルはいつ終わるかわからない。ブドウを栽培し続けるには熱意と根気が必要なので、一攫千金のような気持ちで農業を始めるのはお勧めしません」(跡部さん)

ブドウの苗木の手入れをする跡部祐一さん

10年で大きく変わった状況

 新規就農者が農家として独立する際に問題となるのが“農地探し”だ。実家が農家で畑を所有している場合などを除いて、畑を貸してくれる農家を探さなくてはいけない。

 2013年に独立した跡部さんは当時を振り返って、「自分が山梨県に来たころは、農地がゴロゴロ空いていた。農業研修で実習をしていると、『ここに畑があるから使わないか?』と声をかけられることもありました」と話す。

 しかし近年は状況が変わって、空いた農地が見つからない。それも、“ブドウ畑だけが空いていない”のが実情だ。

 県の調査データを見ると、過去10年で果樹の新規就農者数が2倍に増えている一方で、県内のブドウ栽培面積はほぼ変わっていないことが分かる。栽培希望者が多い「ブドウの農地不足」をうかがわせるデータだ。

 ブドウ畑の面積が増えない要因のひとつには、新しいブドウ棚の建設費の問題がある。5年前には1000㎡あたり120万円ほどで棚を建設できたが、近年は資材高騰の影響で300万円ほどになり、新しくブドウ園を開くことを難しくしている。

「最近はみんながブドウ栽培に集中していて、すぐに収穫できる状態のブドウ農地を見つけるのが難しくなりました。見つかっても、山の方だとか土地が荒れているとか、栽培しにくい場所が多いです。とにかく、根気よく探すしかありません」(跡部)

跡部さんのブドウ畑。これほど平坦な農地は、なかなか空きがない

 あまりにリアルな現役農家の声に、「山梨で就農するのは難しいんじゃないか」「ブドウは栽培できないのか」などと心配する人もいるだろう。県はそうした不安を解消するべく、就農支援体制に力を入れている。

それぞれの農業ライフに合ったサポート

 県は2023年10月と11月に、果樹と野菜の産地を巡るバスツアーを開催した。就農に関する企画や事業PRを担当する、県の担い手・農地対策課の志村純子さんは、「農作業は一段落している時期でしたが定員の20人はすぐに埋まりました。農業に関心の高い人が多い印象です」と言う。生産者が農作業する現場を見ることができる機会に、東京、神奈川、埼玉などから応募があった。関東近郊の20代~40代が多かったという。

担い手・農地対策課の志村純子さん

 農業に触れたことがない人にもしっかりと情報提供できるように、オンライン就農座談会を開催するなど、先輩就農者から直接話を聞ける場も設けている。また2023年度から、ベテラン農家の下で農作業を体験する農業体験事業を開始した。

 農業を一生涯の仕事にしてもらうために、就農準備には1、2年かけて情報収集や研修をおこなう。県内に4か所ある農務事務所が新規就農のサポートをしている。 

 峡東農務事務所で新規就農相談を受ける藤森智幸さんは、「どういう農業をしたいのか、まずはその人の家族や収入といった個人の事情を踏まえて考えます。就農は起業と同じなので、自分が社長になるぞという気持ちで、やるからには本気で農業と向き合ってほしい」と話す。

峡東農務事務所農業農村支援課の藤森智幸さん

 営農計画の立案、技術習得、販路、機械設備、資金調達等のほか 家族の反対の有無、いまの仕事を辞めても生活できる程度の貯蓄があるかなど、話はかなり具体的に進んでいく。

 やる気があっても従来の制度の活用が難しい人には、後継者育成に関心のある農家や農業法人での研修など、本人の実情や希望をきいて柔軟に対応している。

 藤森さんとともに、就農相談に乗っている石坂海さんはまだ入庁したてだ。「新規就農する方たちの後ろで話を聞いて、こっそり一緒に勉強しています」と笑う。「農業を始める人たちをサポートする仕事がしたかった」と人事面接で希望して、23年度から峡東農務事務所に配属された。こうしたメンバーで「担い手育成」の手厚い態勢が敷かれている。

峡東農務事務所・農業農村支援課の石坂海さん

県認定の“アグリマスター”

 山梨県は、特色ある就農支援制度として「やまなしあぐりゼミナール」を用意している。

 営農している経験年数、地域の信頼度、農業技術の高さなどを基準に、2010年度から 県が優れた農家を「アグリマスター」として認定している。現在は約300人のアグリマスターがいる。

「やまなしあぐりゼミナール」ではアグリマスターが2人~10人のグループをつくり、新規就農者の研修を受け入れる。ひとつの農家ではなく、複数の農家で受け入れる システムにしたことによって、フォロー体制の強化につながった。

「農作業は1年に1回しかできないので機会を逃せない。グループにすることで何があっても途切れることなく研修できるようになりました」(藤森さん)

 跡部さんも6人組アグリマスターグループ“農事組合法人アグリ ONE”のひとりとして研修生を受け入れている。もとは跡部さんも“アグリONE”で農業を学んだ研修生だったが、2019年にメンバーに加入し研修生を受け入れ、2021年にアグリマスターに認定された。

 去年は“アグリONE”で研修を受けた2人が就農した。産地を維持するためにも新しい後継者を育てたいという跡部さんは、「あまり話し上手なほうじゃないので、研修生にちゃんと伝えられているか難しいです」とはにかみながら、いまも新しい新規就農者を指導している。

 アグリマスター制度の発足から10年が経過し、アグリマスターの下で研修を受けた新規就農者が、経験を積んでアグリマスターとなり、研修生を受け入れる循環が確立しつつある。

息子の夢を叶えるために目指すブドウ農家

 跡部さんの農園で、ブドウ農家を目指す一人の女性研修生と出会った。2022年7月から「やまなしあぐりゼミナール」の研修生となった石川さんだ。石川さんは、就農準備資金の交付を受けつつ、アグリONE のアグリマスターを回って研修を続けている。

 石川さんは中学3年と小学2年の息子をもつ母親だ。農業に関わったことはなかったが、長男の「ブドウをつくりたい」の一言で農家になることを決意した。

「息子はブドウが大好きでよく食べるんです。農家になればたくさん食べられると思ったのかも(笑)子どもたちが将来なにになるか分からないですけど、本当に農業をやりたいと思ったときに、いつでも始められる環境をつくってあげたい」(石川さん)

 農業と子育ての両立は大変なのではと聞くと、「農業は自分の裁量で仕事時間を決められるのが魅力」だと石川さんは言う。

「作業をしていても、子どもが農園にいれば目が届きます。子どもと同じ空間で同じ時間を過ごせる農業は、子育てに向いている環境だと感じます」(石川さん)

 今年6月には石川さんの研修が終了する。農家として独立するために、石川さんは1年前から農協や農家の人たちに声を掛け、ブドウ農地を探し続けている。

 跡部さんも指摘していたことだが、一般的に農地の貸し借りは、親しい農家同士のコミュニティ内でおこなわれてきた。代々受け継いできた大切な農地を、顔もよく知らない新参者に貸すことには抵抗感がある。新規就農者は空き農地の情報を得ることすら難しいのが現状だ。

 そこで、アグリマスターが新規就農者と地域の農家の仲立ちを行う。新規就農者に地域の農地の情報を伝え、地域農家に新規就農者の人柄や技量を伝えることで、新規就農者が地域の農地を借りやすくしている。

「農家さんたちとの関係を深めるために、休みの日も挨拶にまわっています。まるで選挙活動みたいですよね(笑)安心して“石川さんにブドウ農園を貸してもいい”と思ってもらえるように頑張ります」(石川さん)

 農業は大変だが、夢を叶えようとする石川さんの表情は明るい。

 厳しい現実が待ち受ける新規就農。だが、それを乗り越えるのは本人と産地を守るために、新規就農者を育てようとするアグリマスターの熱量にかかっている 。

文・北島あや、写真・山本倫子

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