たった1週間で始動した「やまなしホームケア」

県が方針転換した経緯を追う

 山梨県は一貫して、新型コロナの陽性者を、病院に入院させるか、療養施設に入所させる「入院・入所」原則を貫いてきた。しかし、感染力が強いオミクロン株の陽性者は「恐怖を覚える増え方」(長崎幸太郎知事)をしていた。県は1月20日、従来の方針を180度転換させ、自宅療養を積極的に勧める新たなシステム「やまなしホームケア」を発表した。庁内で準備を始めて実施に移すまで、わずか1週間。関係者が口をそろえる「全力疾走」の実態を追った。

職員5人だった「班」がいま25人に

 産業労働部長から突然呼び出された。2022年1月11日、産業労働部の内藤裕利理事は部長室に入るなり、「コロナ対策の新しいチームの長をやってもらいたい」と伝えられた。その直前、産業労働部長のもとに総務部長が訪ねてきて、その人事を伝えてきたという。

 その2日後の13日、県庁防災新館の会議室の一角に、内藤班長を含め5人からなる「ホームケア班」ができた。

 週明けの24日には11人に増え、いまでは各部署から日替わりで職員が応援に入って総勢25人に。看護師4人が常駐し、チームのスペースはあっという間に会議室3室分の広さになった。長崎知事がこれまでの方針を転換し、「やまなしホームケア」を発表したのは、ホームケア班発足から1週間後の1月20日だった。

 内藤班長はこう話す。

「ここにいる多くはこれまで医療行政と関係のなかった職員です。足りない点があれば補足したり、業務の進め方を改善したりしてきました。ここまで、あっという間の2ヶ月間でしたね」

 この話には前段がある。もう一人、突然の連絡を受けた人がいた。内藤班長が産業労働部長から内示を受ける5日前の1月6日にさかのぼる。

夜8時すぎにかかってきた知事の電話

 1月6日、県医師会副会長の鈴木昌則医師のスマホに着信があった。電話の主は早口だった。

「あ、先生、長崎です。オミクロン株の陽性者が恐怖を覚えるほどの増え方をしています。このままでは医療崩壊をしてしまいます。自宅療養の方策を考えてもらえませんか」

 長崎知事との面談は、1週間後の13日にセットされた。

鈴木医師が知事との面談にあたって作った説明資料(鈴木医師提供)

 鈴木医師はその日、急ごしらえした資料を抱えて知事室に入った。すでにオミクロン株の感染が拡大していた広島県と沖縄県で、自宅療養者が「入院・入所」者を大幅に上回っている現状を説明。山梨県内でも1日あたりの新規陽性者数が300人を超えるというシミュレーションも伝え、「先手を打たないと、保健所や病院が機能しなくなり、必要な人に医療が届かなくなる『医療崩壊』が起きる」と説明した。

 長崎知事は鈴木医師の話を聞き終わると、意を決したように話した。

「早急にやりましょう」

 ちょうどこの日が、内藤班長以下5人によるホームケア班の発足日だった。

 当時を長崎知事は振り返る。

「医療崩壊の危機が現実のものになり、これまでの『入院・入所』の方針は変えないといけない事態になってしまいました。あわせて、住み慣れたところで療養できたら、QOL(クオリティ・オブ・ライフ=生活の質)も高まるという思いもありました。自宅療養を選んでもらうために、インセンティブとして、1人当たり3万円を支給することも決めました。この金額は、宿泊療養で滞在する1人当たりのコストと同じ額です」

30人の先陣でスタート

 やまなしホームケアは、ワクチンを2回接種した無症状者などを対象に、医師がオンライン診察で症状や基礎疾患の有無を確認したうえで、自宅療養を認める制度になっている。

 自宅療養期間中、感染者は1日に2回、山梨大学が開発した感染者の症状把握システム「SHINGEN(シンゲン)」に体温や血中酸素飽和度などの情報を入力する。医師や看護師らが常にその情報を把握し、必要に応じてオンライン診療をして、症状が悪化した場合は、入院・入所に切り替えができる。

 山梨県は従来、病院や療養施設への「入院・入所」を原則にしていた。だが、デルタ株の4倍の感染力を持つといわれるオミクロン株で現実味を増した「医療崩壊」を前に、その原則を取り払う苦渋の選択をせざるを得なかった。

 一足先に自宅療養が始まっていた大都市圏では、自宅療養の陽性者が放置され、医療が届いていない現状が報じられていた。このため、山梨県で自宅療養を始めるには、いつでも医師と連絡がとれることが必要不可欠だった。

 鈴木医師は、オンライン診療をする医師の確保に奔走した。山梨県内10地区の医師会長全員に電話をかけ、すぐに協力してくれる医師を推薦してもらった。しかし、多くの医師、とくに内科医は発熱外来の対応などで多忙を極めていた。快諾してくれた医師は県内で約30人だった。

「契約書もなく細則も示せない状況でした。でも、皆さん、快く受けていただきました。この30人がいなければ、ホームケアは始められませんでしたし、始めていなければ確実に、必要な人に医療が届かない『医療崩壊』が起きていました。先陣となった30人の先生方と各地区の医師会長には感謝の言葉しかありません」(鈴木医師)

 いまでは、ホームケアに協力する医師(協力医)は160人に及ぶ。しかし、協力医の仕事は最初の診断だけではない。「SHINGEN」の数値に“異変”があれば、診察をしないといけない。1人の医師がこれまでに100人以上を担当したケースもあるという。

SHINGENシステムのロゴマーク

集団接種会場で担当患者に異変が…

 2月13日、集団接種会場でワクチンを打っていた鈴木医師のスマホが鳴った。担当する自宅療養者の容態がよくないことが、SHINGENシステムでわかったという。

 早速、患者に電話をかけた。患者は電話に出られる状態ではなく、家族と話をして入院が必要と判断、即日、入院治療となった。

「ホームケアは、医療崩壊を防ぐために始まりました。大原則は『必要な人に医療を届ける』です。患者に寄り添って見守ることで、一度は自宅療養と判断した人でも、入院に切り替えていきます」

 ホームケアを始めたことによって病床使用率が下がる。命と健康を守れる体制ができたことによって、多くの人が普通の生活を取り戻す方向に歩き出せる。

 長崎知事は3月11日の記者会見で、「病床使用率が3月5日に50%を切る46.3%になって以来、6日間連続で50%を下回った。いま経済回復に向けて段階的にアクセルを踏み込んでいく時期が到来したと考えている」と述べ、3月14日から、会食の人数制限を解除し、「グリーン・ゾーン宿泊割」も再開するなどの方針を発表した。

 やまなしホームケアは、保健所職員の深夜に及ぶ仕事ぶりや、緊急患者を引き受ける重点医療機関、そして、医師の協力に支えられている。県庁防災新館3階、ホームケア班のメンバーが詰めている会議室のあかりは、毎日深夜に消える。

(肩書は記事公開時のものです)

※感染者の症状把握システム「SHINGEN(シンゲン)」について詳しくはこちら

文・板垣聡旨、写真・今村拓馬

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