6000ロールのトイレットペーパーは語りかけます「あなたの命、終わりにしないで」と。

2022年、全国で2万1584人が自ら命を絶った。
都道府県別にみると、山梨県は発生地ベースで全国ワースト1位だった。
ハイリスク地とされる青木ヶ原樹海があることも要因ではあるが、
県は、「自殺リスクの低い社会の実現に向けた総合対策」を発表した。
自殺を間際で止めるという発想を転換し、
多くの人が自殺を考えずに済む社会をつくるのが目標だという。
だが、すぐに結果が出るわけではない。
さまざまな施策が打ち出されるなか、あるものに注目が集まっている。
6000ロールの「トイレットペーパー」だ。
悩みを抱えた人と直接向き合っている職員の想いが託されている。

ゆっくり話して心が整理されていくのを待つ

「きょうは、どんなことがあってこの電話にかけてきてくれたのですか」

 山梨県自殺防止センターの職員、三神恭子さん(冒頭の写真)が電話口で問いかける。

「…………」

 しかし、電話をかけてきた相談者は、無言のままだ。

「どうしたの?」

「…………」

「…………」

「…………」

 そんなやりとりを何度も繰り返したのち、相談者はぽつりぽつりと話し始める。

「家族とうまくいっていなくて」
「薬を…たくさん…飲んでしまったんです」
「……私の存在自体が、迷惑…なのかもしれない」

交通事故死者数の4倍

 山梨県の自殺者数は、10万人あたり24.3人で全国ワースト。住居地ベースでは、2019年=136人、2020年=129人と微減傾向だが、依然としてたくさんの人が自ら命を絶っている状況には変わりない。2021年の自殺者数は交通事故死者数の4倍にのぼる。

 多くは「追い込まれた末の死」。決して特別な人たちの問題ではない。誰にでも起こりうる「社会的な問題」として自殺を認識し、予防リテラシーを向上させなければならない。

 三神さんは保健師として、山梨県立精神保健福祉センター内の自殺防止センターで心の健康に関する電話相談や面接などにあたっている。自殺防止センターの担当になったのは2020年度から。それ以前も、保健師として県庁内の各所で勤め、もうすぐ30年のキャリアになる。

 ハイリスクな自殺についての電話相談は毎日かかかってくるわけではないが、それでも月に複数回はあるという。相談者の心の整理がついておらず、1回の電話に対して、1時間ほど要することもある。

「気持ちが落ち着くまでには、どうしても時間がかかります。はじめは、うまく話せない方がほとんどです」(三神さん)

悩みを抱える大学生には共通点が…

 なかには「死にたい」と直接口にする人もいるという。

 ある日、相談窓口として最前線に立つ三神さんに、山梨県庁の健康増進課から「トイレットペーパー」制作の依頼が入った。相談窓口の電話番号を印刷したトイレットペーパー6000ロールを、県内の大学12校に配布するため、相談窓口とともに添えるメッセージを考えてほしいというものだった。

 厚生労働省によると、山梨県内の20代の自殺者数は2021年だけで22人。20年と比べて2倍以上になっており、若者の自殺防止対策は急務だ。20代が多く集まる大学内のトイレにメッセージ付きのペーパーを設置することで、相談窓口の存在を知らせることがねらいだった。

「正直、戸惑いました。自殺防止センターで対応している相談者の方は年齢もさまざまで、若い人ばかりではありません。年齢の離れた大学生の心に響くようなメッセージが書けるのか不安でした」(三神さん)

 そこで三神さんは、日頃から学生の相談を受けている大学の先生に連絡をとった。相談をためらっている学生がどのような気持ちなのか、どんな状態にあるのか、意見を出し合ったという。

 その結果、悩みを抱えている大学生には一定の共通点があることがわかった。

 例えば、人に認められた経験がなく、何事においても「自分が悪い」「自分さえ我慢すればなんとかなる」と思い込んでしまっている人。過去に相談窓口を利用しても、よい結果につながらなかった人。自分の弱みを見せることに対して、抵抗がある人……。

 三神さんは、こういった学生へメッセージを届けようと考えた。

「いま思えば、ここからが大変でした」(三神さん)

眠る直前に思いついた言葉をスマホにメモ

 三神さんはさっそくメッセージの制作に取りかかった。

 しかし、思うように筆は進まない。なんとか書き上げたものを、学生の年齢に近い若い職員に見せるが、反応は芳しくなかった。

「各行の頭文字をつなげると隠れたメッセージが現れる『縦読み』のようなことも考えましたが、うまくいかなくて」(三神さん)

 頭の中は、常にメッセージのことでいっぱいだった。寝る直前、いいなと思った言葉が思い浮かんだら、すぐにスマートフォンを取り出し、メモに打ち込んだ。翌日、関係スタッフに見てもらい、フィードバックを求めた。

「つくるからには、よいものにしたかったんです」(三神さん)

 メッセージとともに記載するイラストにも工夫をこらした。犬や猫など、たくさんのバリエーションを用意してスタッフと見比べた。雨が上がる=悩みが解決するというポジティブなイメージとしたかったので、ネガティブなイメージを与えてしまいそうなイラスト案は却下した。

これまで面接した人の顔が浮かんできた

 そんな日々を繰り返し、メッセージ制作の依頼を受けてから2か月が経ったころ、ようやくメッセージが完成した。

  ーーじぶんのことが

    大嫌いだという、あなた

    つらい毎日を、

    誰かのために平気な顔をして

    過ごしている、あなた

    じぶんは弱いから、もう

    終わりにしたいという、

    あなた

    がんばったね

    そのきもち、

    全部じゃなくていいから

    うまく話せなくてもいいから

    ほんの少し

    言葉にしてみませんか?

                        (山梨県制作トイレットペーパーに綴られたメッセージより)

「できあがったトイレットペーパーを手にとったとき、これまでに面接に来られた方の顔が浮かびました」(三神さん)

 三神さんは「私自身、仕事の悩みを保健師や他の職種の仲間に打ち明け、話をきいてもらうことで気持ちを軽くしています。不安や迷いを一人で抱えず、誰かに相談しながら、誰かの支えを受けながら、自分が進みたい道を歩んでいく。相談ダイヤルがそのきっかけになれば」と言う。

 ペーパーに表現したかったのは、心の悩みを抱える相談者。うずくまった猫と、雨上がりの空を見つめる女性の線画を添えた。

「止める」ではなく、「考えないで済む社会」を

 自殺防止対策について「正解のない旅路を、ずっと歩いているようです」と語るのは、健康増進課の谷口順一さん。谷口さんは山梨県の取り組み「自殺リスクの低い社会の実現に向けた総合対策」を推進している一人だ。

 ハイリスク地である青木ヶ原樹海での自殺者は、県外の人が多い。山梨県は以前から、現地での声かけ運動や看板設置、24時間365日電話相談ができる「こころの健康相談統一ダイヤル」など、自殺防止のための水際対策を打ってきた。しかし、コロナ禍で自殺リスクが高まると考え、2022年「自殺リスクの低い社会の実現に向けた総合的対策」をまとめた。

 総合的対策では水際対策に加え、「ささえる」「つながる」「うるおう」の3つの視点を柱に、すべての人が自殺を考えないで済む社会をつくる施策を盛り込んだという。 2022年度は1億7037万円の予算をかけ、さまざまな防止策を打ち出した。

 例えば、総合的対策の中の「⾃殺対策人材育成事業」は、地域住⺠を「ゲートキーパー」として育成することで、住民の⾝近な⼈の⾃殺を防⽌することを目的としている。「ヤングケアラー⽀援強化事業」は家事や家族の世話などを⽇常的に⾏っている子どもを支援する。いずれも、⾃殺リスクのある人を⽀える施策だ。

ゲートキーパーの認定缶バッジ

 そのほかにも、スポーツ活動によって運動習慣の定着と人とのつながりを促進させ、その効果を検証する「スポーツ無尽効果検証事業」など、コロナ禍で希薄となったつながりを回復する施策も盛り込んだ。

 これらの事業は健康増進課が属する福祉保健部だけでなく、子育て支援局、スポーツ振興局、教育委員会など県庁内の組織が一丸となって取り組んでいる。

本当にこれでよいのか、ともがきながら…

 事業内容は、3つの調査結果から考案された。

 一つは、自殺についての先行研究を相関分析した定量調査。それ以外にも、山梨県内の自殺要因の特徴について調べるため、精神科病院や関係機関にアンケート調査も行った。山梨県立中央病院に協力を仰ぎ、自損行為で救急搬送された人のカルテから、経緯や背景を探った。

「例えば、交通死亡事故なら、車の技術を向上させたり、道路を整備したりと技術的な支援で死亡事故を減らすことができます。けれども、自殺防止対策は何かを導入すればすぐに解決へ結びつくものではありません。私たちも『本当にこれでよいのか』と、もがきながら事業を進めています」(谷口さん)

 同課の今宮晃典さんも「自殺防止対策は、自殺者が減ったときに初めて成果がわかる事業です」と話す。

右から県健康増進課の谷口順一さん、今宮晃典さん

「学校、家庭、仕事と、心に悩みを抱える要因はさまざまで、一つの問題に対して一つの解決策があるわけではありません。いろいろと対策を行った結果、自殺者が減ったときに振り返ると『あの施策がよかったんじゃないか』とわかるんだと思います」(今宮さん)

 今宮さんは「カルテ調査の掘り下げなど、突き詰めていきたいところはまだまだある」と力強く語る。

 三神さんらがつくったトイレットペーパーは、メディアにも取り上げられ、県外の自治体からの問い合わせが相次いだ。NPO法人日本トイレ研究所が主催する「日本トイレ大賞2022」も受賞した。けれども、学校内に設置したことで、若者の自殺防止に寄与できたかどうかはわからない。

「それでも、一歩ずつでも進んでいかなければ自殺者を減らすことはできません」(谷口さん)

 正解がないから、終わりは見えない。でも、誰かが真剣に考え、一歩ずつ進めないといけない。そんな仕事に取り組む人たちがいる。

文:土橋水菜子、写真:今村拓馬

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