「水素・燃料電池」日本最大の研究拠点は山梨にあった!
目次
水素エネルギー社会の実現に向けて
昨年開催された第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP26)では、G20すべての国を含む世界150カ国がカーボンニュートラル(脱炭素)目標を掲げることで合意した。日本では2050年までという目標を定めている。そのカーボンニュートラル実現のカギを握る技術として注目を集めているのが、水素をつくる「水電解」と水素を使った「燃料電池」である。その燃料電池研究における日本最大の拠点が山梨県にある。水素・燃料電池研究の最前線に迫った。
用途が広いクリーンエネルギー
「FCV」という言葉をご存知だろうか?
FCVとは燃料電池自動車(Fuel Cell Vehicle)のことで、水素と空気中の酸素を反応させることで生じるエネルギー(燃料電池)で動くクルマだ。
ガソリン車に対して、ハイブリッド車、電気自動車(EV)など二酸化炭素排出量の少ない「エコカー」の開発と普及が進むが、それらを超える「次世代型」の車両として注目されている。市販されているFCVのトヨタ「MIRAI」は3分間の水素充填で約800キロもの走行が可能だ。
その燃料電池における最先端の研究拠点が山梨にあることはあまり知られていない。
甲府駅から歩くこと約20分。山梨大学甲府キャンパス手前の物静かな場所に「燃料電池ナノ材料研究センター」がある。
センター長の飯山明裕さんは燃料電池の可能性を次のように語る。
「まずはクリーンなエネルギーであるということです。発電しても水が出るだけで二酸化炭素を出しません。そして発電効率が高い。火力発電が約40%なのに対して燃料電池発電は約60%です。いまはFCVを中心に実用化され、バスや家庭用のエネファームもすでに実用化されています。さらにさまざまな用途に適用することができます。今後はバスやトラック、鉄道、船舶、電動自転車、ドローンなどでの実用化を目指しています」
同センターは1978年に文部省(当時)が山梨大学に「燃料電池実験施設」を設置したことに始まる。その後、2008年にはNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)の事業に採択され、山梨県が県有地を無償貸与してこの研究センターがつくられた。
燃料電池研究のトップを半世紀走り続けた男
なぜ山梨大学が燃料電池研究で日本の最先端をいくのか。それはこの分野の第一人者である渡辺政廣さん(現名誉教授=冒頭の写真左)がいたからに他ならない。
渡辺さんがこの研究を始めたのは1969年。そこから実に半世紀以上もの間、燃料電池研究をリードしてきた。
「政府は2050年にカーボンニュートラルを実現するという目標を掲げています。二酸化炭素を出さない社会にするというのは世界的な課題です。そのためには再生可能エネルギー(再エネ)を最大限増やしていく必要がありますが、再エネは発電量が不安定だという欠点があります。その欠点を補うカギを握るのがこの燃料電池なのです」(渡辺さん)
電力会社は太陽光発電などの再エネを無条件に全て買い取ってくれるわけではない。安定している発電部分のみが買い取られるため、現状では余った電気は捨てられてしまっている。
「いま、県内で使っている太陽光発電による電気のうち、実は4割程度の太陽光発電が無駄になっているんです。この捨てている電気を使って燃料電池の原料としての水素を作り出します。作った水素は大量かつ安定的に貯蔵することができます。この水素を燃料電池で、高効率に必要なときに必要な量だけ、電気に変換して利用することができます」(渡辺さん)
燃料電池の市場は2035年で12兆円
菅義偉前首相は2020年、「2050年カーボンニュートラル実現」という目標を掲げた。その背景には世界の潮流がある。持続可能な社会にしていくための行動指針を定めたSDGsを遵守することは企業にとっても義務になりつつある。
例えばApple社は2030年までにカーボンニュートラルを実現するとしている。この基準を満たす会社でなければ、Apple社に製品を納入できない。日本でもトヨタやホンダなど多くの企業が取引企業に対して二酸化炭素削減を要請している。
また、投資の世界でも、環境に配慮している会社の株を積極的に購入すべきとする「ESG投資」という考えが広がっている。今後の世界の潮流を見据えると環境への意識の高い会社は企業価値を向上させることのできる会社だと期待されるからだ。このようにカーボンニュートラルは、多くの企業が避けて通れない目標になっている。だからこそ、水素・燃料電池に注目が集まっているのだ。
水素・燃料電池は今後巨大市場を形成することが見込まれている。調査会社の富士経済によると2035年には世界で12兆円規模になると予想されている(2021年度は約3700億円)。
電気は基本的に溜めておくことができないところに供給の難しさがある。蓄電池の技術開発も進むがそれも一時的な貯蔵に過ぎない。
「水素は貯蔵することができるうえ、多様な形でエネルギーとして使うことができるという大きな特性があります。再エネを最大限活用しつつ、蓄電池や水素を最適に組み合わせることがカーボンニュートラル実現のポイントとなります」(飯山さん)
免許返納した高齢者も自由に外出できちゃう
また、近年開発が進んでいる電動アシスト自転車でも、小さいボンベに入った水素で動かすことができる。電気を充電するタイプの電動アシスト自転車は普及しているが、各地に手軽に水素を補給できる水素ステーションが整えば、それは燃料電池で代替できる。
「山梨のような地方は交通が不便で、自動車社会になります。しかし、高齢になり運転免許を返納してしまうと外になかなか出られなくなり、老けこんでしまう。そこで、車ではなく、燃料電池を活用した高齢者向けの乗り物を開発すれば、高齢化社会における交通問題の解消に役立つのではないかと考えます」(渡辺さん)
単にカーボンニュートラルを実現するだけではなく、燃料電池を使って社会問題の解決を図っていくことも「水素エネルギー社会」の目指す姿である。
自然エネ増えるほど水素に脚光があたる理由
山梨県内は太陽光発電だけでなく、水力発電も多く、2030年度には県内の電力消費量の7割を自然エネルギーでまかなう計画だ。自然エネルギーが増えるほど、供給量の調整弁として水素が機能するのである。
燃料電池の原理はシンプルだ。原料となるのは水素と酸素で、それらを反応させる過程で電気が発生し、水を生成する。原料のうち酸素は大気中に存在するので、問題は水素をいかにして作るかということになる。これは燃料電池とは逆の仕組みで、水を電気分解して水素を作る。このセンターの研究の目的は、燃料電池の発電効率と、水素を作る効率の両方を上げることに重点を置いている。
「我々の成果は製品ではありません。燃料電池の発電効率を上げるためには水素と酸素の反応の効率を上げる必要があります。そのためにはより良い触媒や電解質膜などの素材を開発していくことが求められます。研究を重ねてそうした『材料』を発見するのが、我々の成果になります」(飯山さん)
「材料」というのはナノ(10億分の1)スケールでの研究に及ぶ。そのため、同センターには1機2億円以上もする特注の巨大な顕微鏡(冒頭の写真中で2人の背後に映っている筒状のもの)など最新設備が揃っている。
地域の「エネルギー自立」を可能にする水素
ところで、「水素エネルギー社会」とは一体どういうものなのだろうか。
たとえば、自宅からFCVに乗って外出をするとする。燃料がなくなってきたら向かう先はガソリンスタンドではなく「水素ステーション」だ。
「EV車の場合は急速充電でも30分程度かかります。それに対してFCVに水素を補給するのは3分程度で済み、そのうえ、より長距離走行が可能となり、その点でも水素のほうがメリットは大きい」(渡辺さん)
水素ステーションにソーラーパネルを設置して、提供する水素を作り出すことも可能だ。自宅では屋根上に設置したソーラーパネルが生み出した電気で水素を作り、エネファームにより家庭内で使うエネルギーをまかなう。工場でも屋上に設置したソーラーパネルから水素を作る。パナソニックはすでに自社工場で実証実験を始めている。
「水素は地産地消に適しています。その地域で作った水素を水素ステーションに集めたり、利用者間で融通したりして、工場や住民が利用する。地域がエネルギー的に自立することができます」(飯山さん)
「水素エネルギー社会」の実現に向けては最適な水素供給システムの構築が欠かせない。そこで、山梨県は東レ、東京電力、日立造船、シーメンスエナジーら大手企業とともに「やまなし・ハイドロジェン・エネルギー・ソサエティ(H2-YES)」というコンソーシアム(共同体)を構成した。
これは、甲府市の米倉山にある電力貯蔵技術研究サイトにP2G(パワー・ツー・ガス)システムを構築するための事業だ。P2Gとは再生可能エネルギーを使って水素を生み出し、貯蔵・利用できるシステムで、昨年6月に社会実証実験を始めた。水素を生み出すための各工程で必要な技術について、各分野の先進的な企業が山梨に集まり、総事業費は約140億円にのぼるという。最適な水素供給システムを追求し、5年間で複数の工場などに計16メガワットの導入を目指すプロジェクトを展開している。
日本最先端の研究拠点があり、再生可能エネルギーに恵まれた山梨だからこそ、「水素エネルギー社会の実現」をリードしていくことが期待されている。
(肩書は記事公開時のものです)
※山梨大学 燃料電池ナノ材料研究センター について詳しくはこちら
文・小川匡則、写真・今村拓馬