世界をまたにかけて「山梨の先進技術を売る」
「県庁の職員」と聞いて
どんな仕事を思い浮かべるだろうか。
庁舎内の決まった席に座り、
淡々と事務仕事をする。
ビジネスからはもっとも縁遠い存在で、
ときに「お役所仕事」と揶揄される存在……。
そんなイメージを思い浮かべる人も多いだろう。
ところが、この2人は毛色が違う。
山梨県庁の「お金を稼ぐ」という異色の部署に所属し、
海外にたびたび出張し、新規のビジネス展開を図っている。
キーパーソン2人が語る現在、そして野望とは。
周囲の評は「まるで商社の人」
カタールでFIFAワールドカップが開かれていた2022年12月、山梨県企業局の宮崎和也さんは中東・オマーンにいた。サッカー観戦のためではない。
国際空港の待合室にいた宮崎さんに、2人組の外国人が突然話しかけてきた。「あなたの話はとても面白かった」。聞くと、ベルギー人だという。宮崎さんは水素事業関連の国際会議に出席して帰国しようとしていた。ベルギー人は山梨県企業局の取り組みに関する宮崎さんのプレゼンテーションに感銘を受けたのだという。
「私も国際会議で各国の話を聞きましたが、『これからこんな取り組みをする』という内容ばかりでした。山梨はすでに太陽光発電で作った水素をもとにしたプラントが稼働している。世界的にみても山梨はずいぶん先を行っているなと実感しました」
宮崎さんはそう振り返る。
県企業局の新エネルギーシステム推進室長である宮崎さんは、もう1枚の名刺を持つ。「株式会社やまなしハイドロジェンカンパニー取締役」という肩書だ。
やまなしハイドロジェンカンパニーは、山梨県企業局が東京電力と東レとの3者がP2G事業を行うために合弁で作った民間会社。P2Gは「Power to Gas」の略で、再生可能電力(Power)から水素(Gas)をつくり、貯めて、電気や熱として活用するシステムのことをさす。やまなしハイドロジェンは、このP2Gシステムを国内はもちろん、中東やインド、アジアに売り込んでいる。その先頭に立つひとりが宮崎さんだ。宮崎さんはこう言って苦笑する。
「周囲からは『まるで商社の人ですね』と言われています……」
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・水素エネルギー社会の実現
サントリー白州工場にP2Gシステムを構築中
もうひとりのキーパーソンは、企業局電気課に勤める坂本正樹さんだ。
1997年に消防防災課に情報通信担当として入庁し、発電やダムの管理業務などを経て現在は宮崎さんとともに水素エネルギー社会の実現に向け、P2Gの社会実装を進めている。坂本さんもやまなしハイドロジェンの取締役を務めている。
やまなしハイドロジェンはいま、サントリーの白州蒸溜所(山梨県北杜市)でP2Gシステムを構築することに取り組んでいる。50年前からモルトウイスキーをつくっている日本有数の工場で水素を有効活用することには大きな意義がある。
製造業がカーボンニュートラルをめざす場合、素材の調達、商品の製造、出荷という3つの工程で脱炭素化をする必要がある。このうちメーカー自身が達成しやすいのは、製造に使う燃料の部分だ。燃料を再生エネルギーに置き換えることは、時間とお金をかければ実現可能になる。
「しかし、燃料を電化できない分野もあります。その典型例が白州蒸溜所です。ウイスキー製造に欠かせない工程である蒸留の際は、炎を使って高温の蒸気を出す必要があるのですが、炎を使う産業の場合には電気では代替できないからです。そこでサントリーは先陣を切って、燃焼用のエネルギーとして水素を使うことを決めたんです」(坂本さん)
海外に打って出る「P2G」
サントリー白州蒸溜所での取り組みはゴールではない。次のステップに向けた大切な挑戦だ。この先には「海外展開」という大きな目標が視野に入っている。
「P2Gの計画として、白州蒸溜所は国内で一番進んでいます。規模は最大級で、実装のための設計も進んでいます。この技術を海外でも展開していくために、白州蒸溜所の計画と同時進行で、山梨のP2Gシステムが適合するかどうか、世界各地を調査しています」
すでにインドやスコットランドでの調査を始めている。坂本さん自身も2023年に入ってからだけでインドに1回、スコットランドには2回、現地に足を運んでいる。
このインドとスコットランドで進められている「やまなしハイドロジェン」の試みは、NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「エネルギー消費の効率化等に資する我が国技術の国際実証事業」で採択されている。
やまなしハイドロジェンはインドで、自動車メーカーのスズキとP2Gプロジェクトを進めている。インドのマルチ・スズキ・インディア(スズキの在インド子会社)の工場にP2Gシステムの導入ができるか、の実現性を調査・研究している。
人口が世界一になったインドで、自動車生産の4割以上を占めるスズキは、ほぼすべての工場で化石燃料を使っている。これらの工場で再エネを電源とし、余った電気でP2Gシステムによって水素を製造することで、ボイラーなどの熱源として使うことを考えている。実現すれば、工場内の脱炭素化が大幅に進むことが期待される。
スコットランドのグラスゴー市では、「寒冷都市におけるエネルギーの脱炭素化」を実現するための実証研究をしている。寒冷地であるスコットランドで、豊富な再生可能エネルギーを利用して、やまなしハイドロジェンの P2Gシステムで「グリーン水素」を製造することをめざしている。
どちらの事業も、現状では適合性を調査する段階だが、調査の先には実際にP2Gシステムを導入することが視野に入っている。
山梨県企業局が事業主体になるのではなく、「やまなしハイドロジェン」という民間企業を立ち上げたのには、わけがある。
「P2G事業を進めていくためには、県庁では難しい点があると考えたので、民間の会社を作りました。いまは県が中心ですが、今後は民間主導の経営体制に移していき、投資も受けられるようにしたいと思っています」(坂本さん)
民間企業であるやまなしハイドロジェンを作ったことの意味は大きい。県庁であれば、お金の支出は、予算を取って、執行するのが原則だ。だが、ビジネスの現場では1年前から計画していた通りにすべてが動くことはまずない。例えば、先述したNEDOの事業のよう採択されるかわからないことにも取り組んでいかないといけないため、その場面に応じて迅速な対応をするには民間企業でないと難しいからだ。
人材の採用も同様で、県庁は手続きや内規が煩雑だ。だが、民間企業であれば、迅速かつ柔軟に対応が可能となる。やまなしハイドロジェンは民間企業や大学から人材を時限的に採用するなどしている。やまなしハイドロジェンは、県庁の持つ信頼性に、民間の柔軟さを加えた“機動的な組織”になっている。
ちなみに2人はやまなしハイドロジェンからの役員報酬は受け取っていない。
企業局のDNAは「稼ぐ県庁」
他県では見られないこうした企業局の強みはどこから生まれたのか。
宮崎さんは、山梨県企業局の独自性について「甲州商人」という言葉を挙げた。
「たくさんの商売人が山梨県から巣立っていきました。そういう商売人気質が県庁にもあるんだと思います」
一代で若尾財閥を築き、「甲州財閥」の中心にいた若尾逸平をはじめとして、阪急グループ創始者の小林一三、東武鉄道などを作り「鉄道王」と称された根津嘉一郎、ホテル王の異名を取り戦後の政界でフィクサーとしても有名な小佐野賢治ら、山梨県は数多くの大物商人を世に送り出してきた。
昭和30年代、山梨県は県営の水力発電所を4ヶ所稼働させた。
「当時の天野久知事(知事在任期間1951年〜1967年)が『富める山梨』というスローガンのもとで始めた事業です。特徴は稼ぐだけではなく、そのお金を使ってさらに価値あるものを生み出すという発想。水力事業では毎年純利益が10億円以上出ていますが、そのうちの5億円を一般会計に入れています。そのお金は、小学校の25人学級に使われています。『稼ぐ県庁』は、企業局のDNAのようなものですね」(宮崎さん)
そのスピリットがいまの水素事業にも生かされていると、宮崎さんは言う。
「水素事業は社会実装までまだ課題があるので、収益を追いかける多くの民間企業は尻込みしがちです。こういう領域こそ自治体が積極的に取り組むべきです。山梨県は水素・燃料電池の研究に歴史があり、ノウハウを持っている。さらに、ありがたいことに東レなどの大企業と組むだけの信用力もある。水素事業で収益化するのはまだまだ時間がかかりそうですが、挑戦し続けることで稼ぐ力が生み出されると考えています」
しかし、「甲州商人の気質」だけで収益を生み出せるわけはない。
宮崎さんは電気系の技術職として入庁した。技術者としてキャリアを積み、現場を長く経験してきたことが、いまにつながっている。
「坂本も技術に詳しい。そうでなければ東レのトップ研究者と互角の議論をすることはできません。そういう意味でも他の県庁にはない強みになっています」(宮崎さん)
企業局のキーパーソン2人を支えるのは、技術に裏打ちされた卓越した知見だ。
ある県幹部は2人をこう評する。
「通常、県庁はすぐ担当が変わるものだが、2人は長く水素事業に携わるプロフェッショナルなので、民間企業の人たちも技術の相談がしやすいし、信頼関係が築けているんです。民間企業から入社の誘いもあるようですが、2人は県庁から出るつもりはないようです」
新しい「山梨モデル」で富める山梨へ
県庁職員である宮崎さんの野望は、P2Gを社会実装した先にある。
「水素を社会実装できる範囲を広げるだけでなく、事業を広げることで得られる利益を山梨県に還元するところまでやりたい」
実現させるカギは、米倉山にある。2012年に太陽光発電を始めた米倉山では、さまざまな企業と協業してきた。その中のひとつ、電力貯蔵システムの技術開発をしているエクセルギー・パワー・システムズ社に対し、県は2020年、1億5000万円を出資した。
「米倉山で一緒に協力してやっている企業とは、お互いの信頼関係が築くことができます。技術的な面を評価できたところに対して出資をすると、出資先が収益を上げれば株主である県にリターンのお金が入ってきます。これこそ『稼ぐ県庁』です。その収益を県の財源にすることで、いまなら小学校の25人学級のような独自性の高い政策を実現できるようになることが願いです」
小学生時代に25人クラスで質の高い教育を受けた子どもたちが大人になり、山梨県にさらに富をもたらす人材になる。県企業局は「独自に稼いだ収入」を財源に県民のための投資を行い、さらに豊かな山梨県にしていく。
その好循環を生み出そうと、「稼ぐ県庁」である山梨県企業局はきょうも挑み続けている。
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文・小川匡則、写真・今村拓馬