東レも、ドコモも… 水素研究者が米倉山に集まる理由

3月30日、「次世代エネルギーシステム研究開発ビレッジ」、
通称「ネスラド(Nesrad)」の開所式が開かれた。
燃料電池の研究機関FC-Cubicをはじめ、
大手企業やベンチャー企業など8社が入居する。
水素研究のトッププレイヤーはなぜ、米倉山に集まるのだろう。

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東レ「山梨はかなり進んでいる」

 まるで、ネスラドの新たなスタートを祝っているかのように、眼下には満開の花を咲かせた桃畑が広がっていた。

 開所式の挨拶に立った長崎知事は感慨深い表情でこう述べた。

「ここ山梨を核として、次世代エネルギーに関する技術革新が飛躍的に進展することを期待しています」

 この研究拠点のキーワードは「シナジー」。ネスラドに集う研究者の交流によって技術革新が進むことが期待されている。

 建物内のセミナー室では、ネスラドに入居した各社がブースを並べ、開所式に集まった人たちに自社技術の説明をしていた。その一つ、水素・燃料電池の分野で圧倒的な存在感を示し、世界的な素材メーカーとして知られる東レ(本社・東京都中央区)のブースを訪ねた。

 水を電気分解して水素を作るとき、そしてその水素から電気を生み出すとき、それぞれで必要なのは「H⁺(プロトン)」という電子を通す膜だ。その膜の精度によって水素の製造効率や発電効率が大きく変わる。この重要な素材をつくっているのが、東レだ。

 ブースで説明をしていたHS事業部門の橋本勝主任部員はこう話す。

「米倉山のP2Gシステムは、1.5メガワットのものがあるのが魅力でした。1.5メガワットは自前ではとても用意できる規模ではありません。だから米倉山は研究環境が優れている。同様の施設をつくろうとする動きは他の県でもありますが、山梨県はかなり進んでいますね」

※P2Gシステム=余剰電力を気体燃料に変換(気体変換)して貯蔵・利用する方法

「米倉山の環境は優れている」と語る東レの橋本勝さん

 東レの研究所は滋賀県大津市にあり、そこで素材を開発。米倉山でその素材を使って実験が行われる。

ドコモは、山梨に実験基地局を設け全国への展開目指す

 ネスラドに入居した企業は、東レのように燃料電池や水素に直接関係している会社ばかりではない。

 国内最大の携帯電話キャリア・NTTドコモは携帯電話の基地局を活用し、次世代エネルギーネットワークの検証をしている。具体的には蓄電池と水素燃料電池を組み合わせた「燃料電池ハイブリッドシステム」を利用し、カーボンニュートラルとインフラの安定性の両立をめざすのだという。

 同社クロステック開発部の竹野和彦担当部長は言う。

「携帯電話のインフラを維持するためには基地局やサーバー、さらにはドコモショップなどを全国に構築しており、使用する電力は膨大です。弊社は『2030年にカーボンニュートラルを実現する』という目標を掲げているので、そのためには再生可能エネルギーを可能な限り導入していく必要があります」

 ソーラー発電による蓄電池だけでも良さそうだが、そこに燃料電池を組み合わせることができれば大きなメリットがあるという。

竹野和彦担当部長(中央)は「ドコモは膨大な電力を使う会社。再エネを可能な限り導入したい」と話す

「たとえば、ソーラー発電でできた電力をリチウム電池で蓄電するというのはかなりのコストがかかります。一番良いのはソーラー発電で水素を作り、その水素から発電する方法です。それであればコストは格段に安くなります」

 ネスラドの良さはその実証実験ができる環境だ。だからドコモは米倉山に拠点を置くことにした。今回はエクセルギー・パワー・システムズと共同で参加している。

 エクセルギー社は東京大学発のベンチャー企業で、「エクセルギー電池」という蓄電池を独自に開発。再生可能エネルギーの欠点とされる電力供給の不安定さを調整する。このエクセルギー電池と水素を併用して使うことでカーボンニュートラルを実現できるのではないかというのがドコモの取り組みだ。

「山梨県内にも数百の基地局がありますが、まずは郊外に蓄電池付きの基地局を2つ建設して実験します。そこで技術を確立できたら全国に展開していくことができます」(竹野さん)

体積800分の1に、夢の「磁気冷凍」に挑む地元企業

 ネスラドには大手企業だけでなく、地元山梨県の企業も参加している。

 北杜市に本社を置くミラプロは半導体製造装置部品の製作技術を基盤として、エネルギーや医療機器などの分野へ事業展開する機器メーカーだ。近年ではAI技術を導入した予知保全や各種自動化装置の開発も手掛けており、新たなステージへ挑戦を続ける企業でもある。海外に9つの拠点を持つなど事業の拡大を続けている。

 同社が水素エネルギーの分野でおこなっているのは「水素磁気冷凍液化システム」というものだ。

 技術開発本部の小澤孝仁副主幹は参加の理由をこう語る。

「水素を液化することで体積を800分の1にすることができるため、輸送や貯蔵におけるコストを下げることができます。ネスラドでのプロジェクトでは、従来の冷却技術と違い、国立研究開発法人物質・材料研究機構で長年研究されてきた磁性体の特性を利用して、効率的に物質を冷やす技術を使います。キーワードは『磁気冷凍』です。その技術で、水素を液化する装置を開発し、事業モデルとして確立することで、水素社会におけるユーザーのもとにより効果的に届けるシステムができるようになります」

 開発を進めるうえで、大量の水素が供給されるネスラドの環境は最適だという。しかし、同社にとってネスラドの魅力はそれにとどまらない。東レやNTTドコモなど日本有数の企業と同じ空間にいることで新たなイノベーションが生まれる可能性が広がることも大きな魅力だという。

「現場で他の企業と机を並べるのは初めてのことです。ネスラドからは何かイノベーションを起こそうという雰囲気を強く感じています。すでに入居している企業さんからいくつか新しい事業を一緒にやっていこうという話が出ています」(小澤さん)

 日本を代表する企業が集まる拠点が山梨に存在すれば、山梨の企業がそうした大企業と違う分野でも協業しやすい環境が生まれる。期待されるシナジー効果は計り知れない。ミラプロは今後、ネスラドに10人前後が常駐する体制をつくっていくという。

「入居する企業からコラボの話も来ています」と語るミラプロの小澤孝仁さん(左)

山梨県の狙い① 水素研究の拠点化

 水素研究のパイオニアである山梨県が、なぜネスラドを整備したのか。

 背景には、政府が掲げる「2050年までにカーボンニュートラルを実現する」という目標を達成するために、燃焼時に温室効果ガスを出さない水素が次世代型エネルギーとしての期待が高まっていることがある。政府は水素エネルギーの普及に力を注ぐ方針で、現在は年間200万トン程度の供給量を2040年には6倍に増やす計画だ。

 山梨大学という水素燃料電池の先駆的存在をもとに、成長分野である水素エネルギーの領域に先行して力を注いできた山梨県だからこそ、民間や大学、研究機関の英智を結集する「拠点作り」に真っ先に着手したというわけだ。

 その中でも中核を担う存在が「FC-Cubic」だ。FC-Cubicは自動車や電気、素材、精密機器などのメーカーを中心とした企業が集まり、燃料電池システム開発を支える共通基盤的な推進を目的とした技術研究組合。40企業、5大学と産業技術総合研究所が会員となって運営している。これまでは東京都港区の台場を拠点にしていたが、施設が手狭になっていたことなどから移設先を検討していたところ、長崎知事のトップセールスなど山梨県が熱心に誘致して、2023年4月に移転が実現した。

 FC-Cubicの存在が求心力となって、県内外からいくつもの企業が米倉山に集結しつつある。

山梨県の狙い② 社会で活用できる水素システムづくり

 山梨県の狙いは「拠点化」だけではない。開所式の式辞で長崎知事はこう話した。

「国内に光り輝く多くの技術を1つのシステムとしてまとめ、社会実装を進めていく必要があります。そのためには技術や人財を集積し、多様な分野でトップレベルの研究者が交流・連携することによって、イノベーション創出につなげていくことが極めて重要となります」

 私たちの暮らしや企業の生産活動の中で水素をエネルギーとして使うには、まだまだ越えないといけないハードルがある。

 水素プロジェクトを進める県企業局新エネルギーシステム推進室の宮崎和也室長は「どれだけレベルが高く、社会実装に近い研究開発ができるか、がネスラドの課題です」

 環境は出来上がった。トップレベルの研究者もそろった。これからネスラドはどう発展していくのか。私たちの生活を変えるイノベーションが米倉山で始まろうとしている。

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文・小川匡則、写真・今村拓馬

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