水素燃料電池の技術者集団がやってきた!山梨のポテンシャルは米倉山から開花するか
燃料電池を実用化するために日本の産業界が結集した技術者集団が、
東京・台場から山梨県の米倉山に拠点を移した。
それは一大事なのか? と思う人が多いかもしれない。
未来の人たちがエネルギーの歴史をひもといたとき、
山梨・米倉山は重要なキーワードになっているかも。
皆さんの暮らしや山梨の将来像にも
大きな影響を与える出来事になりそうだ。
有名企業40社が団結した燃料電池の技術者集団
米倉山(こめくらやま)に拠点を移した技術者集団は、FC-Cubic(エフシー・キュービック)。水素燃料電池(以下、「燃料電池」)の実用化に向けた基礎的な研究をするために、国内の産業界を中心に結成された技術研究組合で、組合メンバーにはトヨタ自動車や日産自動車、本田技研といった自動車メーカー、パナソニック、東芝といった電機メーカーなど、日本を代表する40社が名を連ね、燃料電池研究で日本をリードする山梨大学など5つの有力大学、そして国の研究組織である産業技術総合研究所も参加している。
いわば燃料電池の実用化をめざす「国家プロジェクト」とも言える存在だ。
燃料電池は水素を原料として空気中の酸素と化学反応させることができる装置で、二酸化炭素を排出せずにエネルギーを生み出す「新時代のクリーンエネルギー装置」として注目を集めている。現在、実用化されているものは、トヨタのFCV(燃料電池自動車)のMIRAIやパナソニックの家庭用電力システム・エネファームなどがあるが、まだまだ一般的に普及しているとは言えない。
これらを一般に普及させていくためには燃料電池の性能をより改善していくことや、価格を下げるための製品開発などさらなる研究が求められている。
米倉山に「水素活用の効率的サイクル」が
JR甲府駅から車で30分弱。米倉山に燃料電池の研究の最適環境が整うきっかけは、大規模な太陽光発電所(メガソーラー)をつくったことだった。
米倉山の太陽光発電所では年間約1,200万kWhの電気が発電されている。その量は一般家庭3,400軒分にも及ぶ。
太陽光発電は天候や日照時間などで発電量にムラが出る。需要と供給のバランスの関係で、ある程度「捨てる」電気が出てきてしまっていた。そこで山梨県企業局は、その電気を無駄なく利用するため、捨てていた電気を使って水素を作り貯蔵することを考えた。
それが発電所に隣接して建設された「P2G(パワー・トゥー・ガス)システム」だ。水を電気分解して水素を作り出す。この過程に必要な電気は、米倉山にある太陽光発電でまかなわれる。
米倉山には、「水素エネルギーを活用するための効率的なサイクル」が構築されつつあるのだ。
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情報キャッチ後、すぐに直談判
FC -Cubicはなぜ山梨への移転を決めたのか。
山梨県企業局の宮崎和也・新エネルギーシステム推進室長は舞台裏を次のように明かす。
「(長崎幸太郎知事が初当選した)2019年頃に、ある情報が伝わってきました。当時、FC-Cubicはお台場の評価施設を拡充したいと考えていたのですが、スペースの関係でそれが難しい状況だと。さらに、施設の賃貸借の更新期も間近に迫ってきているということでした」
この情報をキャッチした山梨県はすぐに動いた。
「その年の秋、知事がFC-Cubicの濱村芳彦理事長に直談判に行ったんです。濱村さんはトヨタ自動車 FC 事業領域統括部長も務めていたので、知事はトヨタ本社に出向いて、『ぜひ山梨県に来てください。県として全力でサポートいたしますので』と伝え、一気に意気投合した様子でした。その日のうちに移転を決めていただいたような印象でした」(宮崎さん)
知事の直談判をいろいろな場面で見聞きしていたFC-Cubic顧問の大仲英巳さんは「非常に高い熱量で誘われたことをはっきり覚えていますね」と笑いながら話した上で、こう付け加えた。
「別の候補地もありましたが、山梨県からのご提案は今後の支援体制もしっかりしていて、私たちにとっては、渡りに船でした」と話す。
FC-Cubic専務理事の小島康一さんも「メガソーラーは全国各地にどんどん増えていますが、水素の製造と利用が1ヶ所でできる場所はあまりないと思います。私たちとしては、できたてホヤホヤのグリーン水素をふんだんに使って研究を進めることができる最高の場所です」と言う。
トップ同士が腹を決めれば話は早い。2019年から山梨県の施設で試験が始まるなど具体的な計画づくりが始まり、20年の9月9日に移転の合意書を締結。そして、2023年3月30日、オープンの日を迎えた。
第2の人生を米倉山で
移転に伴って設備を増強したFC-Cubicは2023年、技術者を5人増強し、総勢41人の組織になった。
2023年1月に入社した日下部弘樹さん(59)は大阪府生まれ。山梨県で単身赴任生活を始めたばかりだ。大学卒業後36年間勤めたパナソニックでは1999年から10年以上にわたり家庭用燃料電池「エネファーム」の商品開発に取り組んだ。
その後、現場での開発業務からは離れ、もう定年退職も見えてきたところで、日下部さんはFC-Cubicの採用募集に応募した。
「直近の5年間は品質保証の部門にいたので、開発現場からは遠ざかっていました。研究開発をずっとやってきて、やはり現場でいろいろ作業する方が楽しい。これまでに修得した燃料電池に関する知見を活かせるいいチャンスだと思いました」
山梨県にこうした燃料電池研究の拠点ができる意味は大きい。その一つは山梨大学で学んだ学生が将来にわたって山梨県で仕事をする可能性を増やせることだ。
今年から新たにFC-Cubicに加わった荻野敏一さんは甲府市の出身だ。山梨大学工学部で高分子化学を学び、修士号を得た後は合成繊維メーカーで技術者として働いた。その後、縫製業を営む実家を継ぐために山梨に戻ってきていた。
1月から研究を始めている荻野さんは、FC-Cubicの研究環境はとても魅力的だと感じている。
「発電耐久試験には大量の水素を使うのですが、ここではパイプラインで供給されるので、タンク切り替えなどの心配なく使えます。FC-Cubicも米倉山への移転で、これまで分散していた装置が集約されるので、研究環境は良くなりましたね」
なによりも地元・山梨で燃料電池の研究を存分にできることに喜びを感じているという。
県も受け入れ体制には余念がない。県企業局の宮崎さんは「数十人規模の移住が必要になるため、住む場所も確保しました。多くの人は甲府駅周辺に住むので、通勤のためのシャトルバスも走らせる予定です」と話す。
リニアや交通網で広がる米倉山の可能性
山梨県のP2Gシステムは世界的に注目され、国内だけでなく海外からも視察団がやってくる。ここ米倉山はすでに、日本有数の「水素と燃料電池」の研究開発拠点となっている。さらに大きな可能性も秘めている。
その起爆剤になりそうなのがリニア開通だ。
リニアが開通すると、新甲府駅が米倉山から2〜3キロのところにできる。そうなると、品川駅からはわずか25分、名古屋からは約40分となり、利便性は抜群だ。さらに、中部横断道の開通で静岡県の清水港に直結した。山梨県が「海」を手に入れたことにより、ますます流通網が整備されていくとみられる。人の流れが増えるとその分だけ宿泊や飲食などの経済効果も期待できる。移住者が増えることも期待される。
この「米倉山モデル」が成功を収められるかどうか。
次世代エネルギーの研究という観点はもちろん、地域経済の活性化の視点からも今後に注目したい。
文・小川匡則、写真・今村拓馬 (記事冒頭の写真は山梨県提供)