日本はリチウムイオン電池の愚を繰り返してしまうのか

水素燃料電池研究・最先端の現場・山梨で考える

 カーボンニュートラル実現には欠かせない技術である燃料電池。山梨大学はこの分野で大きな成果を挙げ、山梨県と県内企業で産業化への取り組みを強化している。だが、彼らは意外なことに「このままでは日本の燃料電池は中国に負ける」と危機感を募らせている。そこにはかつて日本が世界トップを走りながらもあっという間に後発の中国に抜かれたリチウムイオン電池と同じ構図があった。

(冒頭の写真は、種々の温度、雰囲気下で原子レベルの電子顕微鏡観察を可能とする特殊試料ホルダー)

産学官連携で作る「やまなし水素・燃料電池バレー」

 甲府市にある山梨大学の水素研究拠点「燃料電池ナノ材料研究センター」。ここはただ研究に明け暮れるだけの施設ではない。重要なのは、有望なこの「水素」関連の技術を産業に結びつけることにある。研究センターと産業界の橋渡しをするのが、併設されている「水素・燃料電池技術支援室」だ。

 室長は飯山明裕センター長が兼任している。飯山さん自身、元々は日産自動車でエンジニアをしていただけに、「ここでの研究成果を産業界に還元してビジネスにつなげていきたい」と意気込む。

 山梨大学での研究を核として、山梨県は、水素・燃料電池に関連する産業の集積と育成を進めている。すでに、具体的な動きも着実に進んでいる。

 以前は富士電機に勤めていた経験を持つ山梨大学の岡嘉弘・客員教授はこう語る。

「2015年から山梨県とやまなし産業支援機構の3者で協議会を設立しました。大学と官、民が一体となって燃料電池に関する産業化を進めていこうという取り組みです」

 その取り組みの一つが、県から委託を受けて実施している「水素・燃料電池産業技術人材養成講座」である。2016年から始まったこの講座は毎週3時間で40週。大手企業などからも講師を招き、これまでの6年間で118人が修了した。

 2017年には、山梨大学と県が連名で申請した「水素社会に向けた『やまなし燃料電池バレー』の創成」事業が文部科学省の「地域イノベーションエコシステム形成プログラム」事業に採択され、「FCyFINE」というプロジェクト名でスタートした。

燃料電池の産業化を進める岡さん(左)

 山梨大学の稲垣有弥・特任助教がこの狙いを話す。

「FCyFINEには日邦プレシジョン(山梨県韮崎市)、エノモト(上野原市)、メイコー(甲斐市)の3社が参画するなど、すでに水素関連のサプライチェーンに入る県内企業が出てきています。顧客開拓や国からの補助金獲得、事業マッチングなどの支援もしていきます」

 5年間の事業だった「FCyFINE」が終わることを見据え、昨年11月、一般社団法人FCyFINE PLUSを設立した。水素社会の実現によって「新しい産業」が生み出され、大きなビジネスチャンスになることを見越した動きだ。

「これまではFCV(燃料電池車)の研究がメインでしたが、これからはドローンや燃料電池アシスト自転車の開発にもつなげていきたい。地元の企業が燃料電池産業のサプライチェーンに入っていけるようになることが重要です」(飯山さん)

 燃料電池の分野で、国内では山梨県がリードしているのは間違いない。しかし、「水素エネルギー社会」は世界的潮流であるだけに、競争はグローバルで、熾烈を極める。

高コストを解消できない理由

 燃料電池の技術は、すでにFCVやエネファームなどに実用化されている。水素社会はすぐそこまで来ているように感じるが、飯山さんは「まだまだ数年はかかるのではないか」としたうえで、こう語る。

「(水素エネルギー社会を)やれと言われればできる状況にはあります。しかし、まだコストは高いので、皆さんが使う状況にはならないでしょう。(燃料電池への)補助金などで高コストを解消できるかどうかがカギになるのではないでしょうか」

 技術があるから競争力のある製品を生み出せる、というわけではない。日本が足踏みしている間に国際競争からはどんどんと遅れをとり始めているからである。

「燃料電池の分野は、ヨーロッパそして中国が進んできています。大量に使われればその分コストも下がっていくので、ある程度の市場の形成は国策的にやる必要があります」

 コスト高のままであれば実用化は進まない。一方では、実用化が進まなければ低コスト化も進まない。この点について日本と中国で大きな違いがある。

中国は「FCV100万台」時代が目前

「これは私の考えですが、中国が急速に進歩しているのは規制が過度に厳しくはないからだと思います。一方、日本は水素で事業を行う際に適用される規制が厳しいと感じます」(飯山さん)

 たとえば、日本では高圧水素タンクを搭載した燃料電池自転車で、公道を走ることすら認められていない。

「日本では、開発品に見合う法令が整備されていないので、既存の法令を適用されてしまう。そのため、いまは高圧の水素容器を乗せた自転車は自由に走れません。
中国では2022年末までに、1万5千台のFC電動アシストシェアサイクルが提供予定ときいています」(岡さん)

 安全第一は間違っていない。しかし、過度な規制で新たな産業の成長を止めてしまうと国際競争に勝つことはできない。この点で中国の手法は他を圧倒している。岡さんによると、2025年までに、北京市は水素ステーションを37ヶ所、上海市は100ヶ所設置し、FCVをそれぞれ1万台以上に引き上げる方針が明らかになっているうえ、中国全体では2030年までにFCVを100万台以上にする計画だという。

「中国は政府がどんどん技術を実用化して市場をつくっていく。日本のように『環境が整えば』ではなく、『環境を無理矢理でもつくり出してしまう』のが中国のやり方です。メーカーが作った製品を実際に市場で使って、使われた際の課題などをフィードバックし、製品を改善している。これが脅威なんです。日本ではそうした市場での実績に基づく情報が得られにくいのですから」(飯山さん)

燃料電池ナノ材料研究センターでは、燃料電池の性能チェックが絶え間なく行われている

リチウムイオン電池敗北の悪夢が再来するのか

 燃料電池研究では、少し前までは、日本が中国を圧倒的にリードしていた。燃料電池研究のトップを半世紀以上走っている渡辺政廣・山梨大学名誉教授は約20年前、中国を訪れたときの印象からは考えられないと驚く。

「代表的な研究所を1週間講義して回りました。そのとき、大連の研究所では500ワットの電球を燃料電池でつくのを見せてくれました。当時、それが彼らのできる最大限のデモンストレーションだったんです。それが、製品開発分野の感覚ではあっという間の20年間で、世界トップレベルになりました」

 日中政府の規制観念の決定的な違いが、新たな技術の命運を左右する。かつては日本が世界のトップを走っていたリチウムイオン電池も2015年には中国に世界シェア1位を奪われ、その後サプライチェーンでも中国に圧倒される結果となった。

「中国は規制を最小限にして、まずは徹底的に使わせて、その結果として事故が起きたら後から必要十分な規制を作るように見えます。リチウムイオン電池はそうしたんです。発火事故が起こっても、とにかくメーカーに作らせて改良しながら電気自動車で使わせるんです。その過程で研究開発のできるメーカーを絞り込んで、そこの会社に十分な安全対策をやらせる。それでいまでは日本と性能が変わらない。そうやってEV車100万台の市場を作ったんです。このままでは、同じことが燃料電池でも起こってしまうでしょう」(飯山さん)

 山梨県はここで培った燃料電池の技術を活かして「水素社会実現」に向けた取り組みをしている。しかし、社会で実用化するには国の規制が大きく立ちはだかるのが現実なのだ。こうした研究者たちの切実な声は政府に届くのか。リチウムイオン電池の二の舞になることだけは避けなければならない。

 山梨県は、こうした状況を打破するため、水素利活用の実証事業に取り組むほか、水素社会のいち早い実現に向け、規制の見直しなどを国へ強く要望していくことにしている。

 日本の産業界は、いままさに大きな岐路に立たされている。その最先端の現場は、山梨にある。

(肩書は記事公開時のものです)

文・小川匡則、写真・今村拓馬

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